希望ヶ丘 | AKI―エーケーアイ―

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本年3月28日、ブログ開設17周年を迎えます。これまでのご声援に、深く感謝申し上げます。

「希望ヶ丘」

 

という名前のニュータウンが、大阪府にあります。

 

これは「北大阪ネオポリス」とも呼ばれております。

昭和末期のバブル期に、大和団地(現在の大和ハウス工業)により造成されました。

 

この希望ヶ丘は、

 

将来、箕面有料道路や第二名神(現在の新名神高速道路)、大阪モノレールができれば利便性が良くなる!

 

彩都や箕面森町(別のニュータウン)ができれば、家を売って引っ越しできる!

 

などの美辞麗句で売り込まれていたようです。

 

場所は、大阪府の北部、いわゆる北摂地域の一角、豊能郡豊能町にあります。

その豊能町は、京都府亀岡市と接する山間部に位置しております。

亀岡といっても、外れのほうの山間部です。

 

それゆえ標高が高く、隣町の能勢町とともに

 

大阪の軽井沢(北海道、シベリア)

 

と呼ばれるほど冬は寒く、バスが運休に追い込まれるほどの雪が降ることもあるのだそうです。

 

この希望ヶ丘はなんと、

 

最寄り駅の千里中央駅まで、阪急バスで約1時間

 

もかかるのです。

 

バスで1時間。これはさすがにたまったもんじゃない。

その千里中央からは、20km近くも離れております。

まさしく陸の孤島です。

 

20kmといえば、大阪ではJR京都線の大阪~高槻くらいの距離です。

新しい快速電車で16分です。

 

関東では京急電車の品川~神奈川新町くらいの距離です。

特急で19分です。

 

時を経て、バブルは崩壊。

彩都も箕面森町も、箕面有料道路も新名神も、大阪モノレールの阪大病院前~彩都西も、2000年代になってようやく現実化しました。

バブル崩壊後の今となっては、売り出し当初の美辞麗句は、時すでに遅しという状況です。

 

そんな有様から、この希望ヶ丘は

 

絶望ヶ丘

 

とまで言われるようになりました。

特に若い人が、希望ヶ丘の交通アクセスや生活環境の悪さ、将来性のなさを嫌い、このように呼ぶことが多いようです。

 

そうだよな。

たしかに当時は、バブルで地価が高かったかも知れない。

しかしながら、営業マンの美辞麗句に踊らされて、こんな山奥生活を余儀なくされるのは惨いよな。

私も、中学卒業時に故郷から離れた場所へ行くのが、とても嫌だったな。

 

繁華街まで電車で1時間ならまだしも、その繁華街へ行くための最寄駅までバスで1時間というのは拷問です。

 

山奥の大学でも、最寄駅からバスでこんなにかかるところはあるだろうか?と思ってしまいます。

 

それが「希望ヶ丘」なのです。