先日、白金の明治学院へ行き、心理面談のほかに、通常の礼拝、ならびにツリーの点灯式に参加しました。
点灯式の前に、明治学院高校主催の「アドヴェント礼拝」に参加しました。通常の礼拝と同じく、チャペルで行われました。
通常の礼拝では、小型の辞典くらいの大きさの聖書と賛美歌の歌集を渡されましたが(終わったら返す)、ここではアドヴェント礼拝のしおりをもらいました。
デザインが、中学を卒業する際(予餞会)にもらったメッセージカードのようで、懐かしさがありました。
そこでの奨励(説教)から。点灯式を控えていましたが、点灯式は本来「お祭り」ではないという話がありました。これがなぜ「お祭り」となったかというと、
現代人には「お祭り」が足りないから
であると説いていました。これは、町内会のお祭りなども同様だと。「お祭り」とはいつもとは違う、つまり「非日常」だから盛り上がるものだとのことです。普段は規則などの何かに縛られているがゆえに、その「非日常」が盛り上がるとのことです。
そういえば民俗学でも、「ハレ」と「ケ」ということばがあります。これは大学の民俗学の講義で初めて耳にしました。「ハレ」が非日常で、「ケ」が日常のことを指します。
「晴れの舞台」「晴れ着」ということばがありますが、これはまさに「ハレ」の最たるものです。非日常であり、一生一度かというほどの大イベントのことを、よくこういわれます。また、普段は着られないおしゃれ、立派な服装を「晴れ着」といわれます。
何もいわゆる「晴れ着」ばかりでなく、小学生が入学式卒業式に着るようなブレザーや、スポーツの試合のユニフォームなども「晴れ着」といえるでしょう。
人間、「ケ」、つまり同じことの繰り返しでは生活はつまらないものになってしまいます。例えば私は、当ブログに繰り返し書いている通り「地獄の月~金生活」がそれにあたります。そういった生活に潤いを与えるために、「ハレ」、つまり日常とは違うイベントが存在するのでしょう。
学校であれば遠足・修学旅行・林間学校や運動会・体育祭に文化祭など。もちろん家庭ではお正月、節分、お彼岸、七夕、お月見などの年中行事も。
現代人、これはイコールニッポン人と解釈してよろしいかと思います。例えば、サッカーの試合後に渋谷が無法地帯になったり、ハロウィンが一大コスプレ大会と化したり、ラグビーの早明戦後の歌舞伎町の様相などのハンパないヒートアップ感を聞くにつけ、この言葉の重みをひしひしと感じずにいられません。
こういったことからも、現代人は本当に「お祭り」というものが足りないのか、と思います。
それにニッポンにも、上に述べただけでなくもっと数々のお祭りがあります。かくいう私も祭が好きです。いつもとは違う雰囲気を楽しめるし、四季を感じられるからです。そのきっかけは、中学3年の際に本当の志望校の文化祭に行き、それがとても楽しかったことです。
電車に乗って、バスに乗って、おいしい出し物、楽しいアトラクションに、おしゃれな制服と、見るものすべてにトキメキがありました。その思い出は今でも色褪せません。
ただ、町内会の夏祭りはあまり好きではありません。休みが何回もつぶれるし、ベテランからは文句を言われまくるし。
このアドヴェント礼拝は、ニッポンのいわゆる「クリスマス」とは違い、厳かな空気でした。例えていえば、大晦日のNHKの「ゆく年くる年」のような雰囲気です。クリスマス飾りは、正月飾りのようなもの、ともいえるでしょう。
実際、諸外国ではクリスマスといえば家族で過ごすのが一般的なようです。まさにニッポンの年末年始です。その一方で正月は友人や恋人と過ごすということで、ニッポンと正反対です。
チャペルから出る時には、クッキング部から手作りクッキーのプレゼントがありました。ごちそうさまでしたm(_ _)m
荘厳な雰囲気、ありがたい説教、賛美歌の合唱に、手作りのクッキー。明治学院でなければ体験できない、優しさあふれるイベント。
そしてその後、白金の夜空に聖なる光が灯りました。