僕が尊敬するギャンブラー・斉藤圭佑さんのブログ(2020/11/7)で、例の暴露本のことを知ってから約3ヶ月。気にはなっていたのですが、「探して、買いたい」とまでは思わなかったのでそのまま放置して忘れかけておりました。
そしたら先日、本屋で偶然、それを見つけまして、立ち読みしていたら全部読みたくなって…
というか、競艇関係者として「絶対に持っておきたい一冊」だと思いまして、買って読みました。
本のタイトルは、
競艇と暴力団「八百長レーサー」の告白
すごく衝撃的な内容でした。
2/3のブログ『2月は我慢の月かも⁉︎』で触れた「ちょっと精神的な動揺があった理由」とは、このことです。
なかなか書けずにいましたが、今回は本を読んだ感想を書いてみようと思います。なんか複雑な気持ちでずっと気持ち悪いので、それを整理するためにも。
西川昌希元選手(以下、西川と書きます)の八百長のニュースを知った時、僕はそれなりに驚きましたが、それ以上に腹立たしい思いが襲ってきました。
それは、心当たりがあったからです。「不利な枠からの無茶な進入」だったり、「インからのスタート遅れ」だったり…おそらく八百長にあたるレースに出会ったのは数レースですが、レースを壊す印象があったし、たぶん、丸亀で、西川のせいで実際に舟券を外しているので、それもあってかなりムカついた記憶があります。
僕の舟券は、最終的にどうするか(GOか見か)を自身の感性(直感)に委ねます。
直感とは過去の経験から弾き出されるもの。そこに「故意(八百長)」が介入することは想定しておりません。いや、八百長が頻繁に行われているという前提ならそれはそれでいいというか、その体(てい)で検討するので少しは違ってくるのでしょうが、まさか八百長が現実に行われているとは思ってもみなかったので、だとすると、当時はやっぱり腑に落ちなかったんですよね。西川のいるレースで思いもよらぬ結果になったことが。
まあ、そんな感じで、僕は事件が発覚する前から西川に対して良い印象を持っていませんでした。
ところで皆さん、この本で彼が暴露しているように、『八百長だった』と後から対象レースを限定され、そう言われてから見てみると、「なるほど言われてみるとそうだよね」となりませんか?
でも、基本、その時その現場で、僕たちファンは八百長に気付くことはできません。
舟券を外したり、不利益を被ったファンが「八百長だー」と騒ぐことはあっても、それが取り上げられて大きな問題になるケースなんてほとんどありませんよね。
「八百長は存在する」という前提なら、もっともっとファンは厳しい見方をすると思います。でも、ほとんどのファンは(無意識に)「八百長などない」という前提で舟券を買っているだろうから、一瞬はそう(八百長じゃないのか?と)思ったとしても、そこに食らいつくことはあんまりないだろうし、施行者のほうも当然、八百長などあっては困るから、仮に証拠らしきものがあったとしてもそれを潰しにかかります。
告白文の中に、「選手が認めやんだらばれへんわな」という発言がありますが、なるほどその通りです。仮に、ほとんど黒だという状況だったとしても、その不正を証明することなどほぼ無理なんですよね。
僕が衝撃を受けた1つ目はコレです。
八百長が実際に行われていたという事実と、やろうと思えばいつでもできるという事実。
当たり前と言えば当たり前ですよね。
生身の人間がやることですから、よくよく考えれば「八百長をしよう」と思う選手がいて当然です。それなのに僕は、自分の常識(正義感)を軸に考えてしまっていて、特に根拠もないのに「八百長はしたくてもできない」と思っておりました。浅はかでした。
僕自身の理屈は、「相手がいる競技だから(相手の動きを完全に読むことはできないから)やりたくてもできないはず」というもの。あとは、外部と連絡が取れない以上(規則としてスマホ等の持ち込みは禁止)、(買い目や戦法等の)詳細な打ち合わせはできないだろう」という程度の、これも浅はかな素人考えでした。
実際には西川が実行していた「ぶっ飛び」と呼ばれる八百長は、自分が負けさえすればいいんだから、そりゃ相手に関係なく、できますよね。
そして、この「ぶっ飛び」なら、外部との連絡が取れないとしても、シリーズ前の打ち合わせで十分なんですよね。
基本、「八百長はない」と考えるから、その程度のことさえ気付かなかったんですよね。「八百長はある」とか、選手自身が「八百長をしてやろう」と考えた場合、いくらでも「やる方法はあった」ということです。
話を戻します。
西川はさらに衝撃的なことを言っています。「共犯選手がいる」と。「それ以外にも多数の選手の不正事実を知っている」と。「誰が、いつ、どのレースで八百長をしたか、具体的に証言することもできる」とも。
そう、西川以外にも八百長経験者はいるという事実。衝撃2つ目はコレ。
おそらく、ゴーストライターがこの本を書いていることから、ニュアンス的な誤差もあるだろうし、実際に誤字(選手名)もあったし(校正含めてどのぐらいの手がかかっているか不明で、やや信憑性に欠ける気もする)、ライター側の思惑も入ってしまっている可能性も否定できないので、文章中の西川の発言(書かれていること)を100%信用するのは危険です。
でも…
僕の感覚として、西川という男は筋が通っているというか、発言が信用できるか否かで言うなら、僕は西川の発言を信用できると言いたいし、信じます。
西川の八百長が発覚して、(西川の発言が本当だとして)共犯者は、しばらくはおとなしくするだろうし、過去に八百長を行った選手も気を付けるだろうし、競走会の公正課も管理強化をすると思われますが、これも時間の経過とともになあなあになってしまうのは避けられません。
そして、一度、不正をした経験のある選手は、「再度の不正をする可能性は低くない」と僕も思います。つまり、僕たちは今後、不正も視野に入れた予想をしなければならない、ということ。
八百長の可能性まで考えて予想しなければならない、というのも衝撃というか、受け入れ難いことでした。でも、仕方ありません。これからは、その覚悟を持った上で、舟券勝負に臨もうと思います。
そして、最後。これが、僕の中ではすごく深かった気がします。
この本を読んでいくうちに、まんまと筆者側の主張に引っ張られていきました。小学生の頃からヤクザの息子として育てられた西川を擁護するわけではありませんが、彼もまた被害者だと思うんです。
犯罪を犯したのは事実なんだけど、どうも西川だけを責める気持ちにはなれないんですよね。確信犯(施行者等)のほうがタチが悪いと思うのは僕だけでしょうか?
西川は、「罪は償う」と言っています。そこは逃げてないし、半ばハメられた共犯者や育ての親のようなズルさ、悪どさを西川には感じないし、共犯選手を売ることもしないと言っています。
このあたりは自分で決めた「男」の像を貫く覚悟が見えて、その部分に関してはすごく評価したいです。
僕は今、自分の職場でちょっと痛い目に遭っていて、保身でしかない発言や行動をする管理職と非力ながら抗戦している感じなので、本書に出てくる公正課の像とかすごくリンクするところがあって、(政治も含めて)世の中の組織と呼ばれるものはすべて、このシステムの上で成り立っているということをあらためて思い知らされた気がしました。
このシステムというのは、「建前だけは立派だが、実際は人間の私利私欲で動いている」という現実のこと。
ここ1年弱ぐらいの間、僕があえて見ないようにして、知らない体で自身の考え方を調整して、すべてのことをプラス思考で受け止め、人の優しさの部分に着目して、少しでも優しい世の中にしたい!という思いで日々を過ごしてきた一方で、僕とは切っても切れない「競艇業界」も例外なく、「こんなにも汚れていたんだ」と思い知らされたことがショックだったんです。
といっても、もう大丈夫。こんなショックは時間が解決してくれるからもう大丈夫。
僕には競艇しかありませんので、たとえ八百長が行われていようが、内部の人間が腐っていようが、そのすべてを受け入れて舟券勝負に取り組むだけです。
そんな世間の汚さを言い訳にしても仕方ないので、目標を新たに再スタートを切ります!
よろしくお願い致します!
