とうとう沖縄県知事選も終盤だ。
左右問わず、ここが分水嶺となっているのを理解しているのか、随分と情報戦が活発化している。
これは俺の縁の町の町長選でも起きていた事だが、俺は調べていく過程で議事録から何を優先するべきかを考えたが、これはあくまでも俺のやり方で判断しただけだ。
この時代、情報を得るのにあらゆる手段がある。
台風がすでに来ているだろうが、もし投票に行こうという気概のある方がいるなら、投票前に双方の政治的イデオロギーをしっかり聞いておくのがいいだろう。
だが、行くにしてもくれぐれも命の危険が少なくなる様に、車持ちの方の協力を仰ぐなど、可能な限り安全を確保して投票に行って頂けたらと思う。
無論、単身世帯で車がないって場合、さすがに無理強いは出来ない。
可能な限り協力を願いたいが、安全には代えがたい部分もある。
もし投票に行くのであれば、安全を確保し、十分な対策をして頂きたい。
投票が不可能でも、今回は仕方がない。
上手くすれば、30日午後にチャンスがあるかも知れないから、待つのも一手だ。
後悔のない選択を願う。
さて、今回はこれといった目新しいネタがない。
よって、今回は非常に個人的な話をしよう。
毒親に対して、皆はどういうイメージを持つだろうか。
今はある程度の認知は進み、少数ながらそういう輩がいるという程度には理解が進んだ。
毒親は明らかに世間一般の常識が通用しない。
これは共通認識だと言える。
最近の情報だと、2017年から定期的に更新をしているらしきカウンセラーの見解がある。
そこで挙げられた特徴を確認してみよう。
俺の母がどの程度該当するかも併記しておく。
毒親育ちの特徴と対処法(毒親カウンセリング)
http://hide1010.com/dokuoyacomplete/
■ 子供を支配する毒親←
■ 常に自分の都合を優先する毒親←
■ 子離れできない毒親←
■ 支離滅裂な毒親←
■ 完璧主義な毒親←
■ 子供の幸せを取り上げる毒親←
■ 過干渉な毒親←
■ エリート育ちの毒親←
■権威的(家族内で絶対的な存在)な毒親←
■子供を否定、抑圧する毒親←
■親の役割や義務を果たさない毒親←
■何かにつけて兄弟姉妹と比較する毒親
■親子関係が逆転している毒親←
■病弱で家庭内で存在感がない毒親
■子供のプライバシーを無視して侵入してくる毒親
■子供を私物化する毒親←
■夫婦喧嘩を子供の前で平気で見せる毒親
(面前DVとも言います)
実にその大半が該当するが、それはうん、知ってた(予知)程度の事として、
こうした傾向に該当する数が多い程、その危険度は高くなり、項目の大多数が該当するなら、それはもうマジキチとしか言いようがない人格破綻者だ。
まず、まともな話し合いなど出来るはずがない。
これは俺自身実害付きで実感している為、個人的な物だが確信がある。
毒親を左翼に変えてもほぼ違和感がないが、それは今回の主題とは違う為、置いておくとして、ここからは少し自分語りになる。
これまで先代も含めた当ブログでは、政治的な話題やジェンダーの話題と平行して、俺個人の立場を明確にする意味でも毒親との関わりについても考察してきた。
先代ブログ「語り部のひとりごと」のex.partシリーズは正しくその考察の段階だが、実の所あれすらまだ一部に過ぎない。
今の俺にとってあの毒親との関わりを通じて得た技術は悩みの種だ。
自己評価の低さはやり方を間違えなければ、謙虚なナイトを維持する手段になるからまだいい。
問題なのは、手相にまで現れる癒し線の存在だ。
すでに触れているが、俺が母から受けた苦痛は虐待の連鎖による物だ。
母は実母である祖母を強く嫌悪しながら、自らもまたその祖母と同じ間違いを繰り返している自覚はない。
母が俺に対して労働契約の様に扱う理由は、祖母が俺に甘かったからだ。
祖母は俺の一族の女性に相応しく女傑であったが、親戚が言うには女傑にしてもそれが過ぎるという指摘がされた。
親戚は元より祖父に同情的な立場だった事もある。
もちろん俺は親戚に対して俺には甘かったかんですけどね(苦笑)とささやかに反論したのだが、親戚はそりゃあ孫なんだから甘くなるさとピシャリと制した。
全くその通り。
いかに実の娘を洗脳しようと孫にはそれが出来なかった。
だが、それは母の嫉妬を招く材料でもある。
母は承認欲求に激しく飢え、しかもそれは自分が望む形でなければすべて無価値にしている。
これは、結局幼い頃に自分が満たせなかった欲求の投影、その延長線なのだ。
そして、これが母のACの根元でもある。
残酷な事だが、基本的に子供時代に満たせなかった欲求は誰にも補填は出来ない物だ。
親の代わりはそういる物ではないし、やりたがる人間もまた少ない。
基本的に、子供時代に生じた空白は自分で処理する他ない。
これはさすがに諦める他ないのだ。
だが、母は誰からもそれを告げられる事のないまま、拗らせ続けて大人になった。
その結果は出生すら誤魔化さなければならない程の欺瞞だ。
全く救いがない。
俺は確かに毒親の元に育ち、最悪あの秋葉原の通り魔になりかねなかったルートを歩み、そして堕ちる事なくこの場にいる。
そして、俺は毒親育ちという属性を持っているが、何故左翼に荷担しないのか。
そのきっかけは二つある。
一つは俺の記憶障害に巻き込まれなかった幼馴染みの記憶だ。
今でこそ家庭環境の事案や発達障害に関して教育界隈でも認知が進んだが、あの当時はまだそんな言葉もなかった。
言うまでもないが、当時の俺は沸点が異常に低く、奇行に走って問題行動は起こし、それでいて成績は決して悪くはない。
(ただし運動芸術は全く苦手だが)
よって俺の様な問題児は当時の担任だった女性教諭には随分と嫌われた物だ。
当然、いじめは放置される。
これは俺に原因がある以上やむを得ない部分もある。
だが、決して先が見えない暗闇にいた訳ではない。
それが幼馴染みの存在だ。
唯一俺に偏見がなかったのはその幼馴染みだけで、俺は彼女に救われた。
記憶障害になりながら、彼女の記憶だけが残ったのは、それからの俺に必要なのだと無意識に判断していたのだろう。
結果として、俺は正気を失わずに済んでいる。
両親の虐待と学校のいじめというほぼ積んだ状態にいながら、俺は暗い状況で手を伸ばす存在がいかに重要なのかも、幼いながらに感じたのだ。
それはある意味では別な悲劇を呼んだのかも知れないが、それを含めてもあの当時の幼馴染みの存在は良くも悪くも今の俺の根元になっている。
恐らく、俺と母の価値観はここから違ってきたのだ。
あの当時の経験を整理していく過程で、俺自身が手を伸ばすという選択に行き着いた。
それが高校一年の時だ。
そして、それが間違いではないとハッキリしたのが高校3年の卒業式の日。
俺は、手探りながら多数の失敗を重ねて、数度に渡り積み上げたメソッドを破壊され、あるいは自ら崩しながら、再構築を繰り返してひたすらにまともな人間を目指す事を続けた。
不思議と同情される事は目的にしなかった。
俺は俺の技術と処世術によって、どこまでまともな人間になれるのかに拘っていた。
これが俺の半生だ。
下手くそすぎて全く誉められた物ではないし、そこに至るまでに多数の人間に迷惑をかけたが、どうにかここまでは来れた。
今、俺が目指しているのは、毒親育ちという属性をも超えて、一般人として社会に参画する事だ。
実の所、これはほぼクリアに近いが、まだ満足はしていない。
と言うのも、今俺は母との関係性に疲れ果てている為、敢えてスキゾイドの状態を維持してあまり人間関係に拘らない様にしている為だ。
もちろん、これは俺が目指している事からは離れる為、最終的にはスキゾイドの状態は切り離してしまうつもりだ。
出来れば、それまでに俺の癒し線を有効活用する為の技術も改造しておきたい。
とにかく知らなくてはならない事はまだまだ多い。
普通の家庭で育った人間がナチュナルに理解している事を俺は学ばなくてはならないからだ。
俺がここまで一般人に拘るのは、この日本では如何なる人間であろうときちんと訓練を積めばプレーヤーとして参加が可能である以上、毒親育ちがこの社会に参画する事はもちろん、言論の場に立つ事も可能なはずという仮説がある為だ。
それを自ら立証出来れば、間違いなく今後の俺の活動には大きな意味を持つようになる。
どうすれば、連鎖は止まるのか。
どうすれば、毒親を増やさずに済むのか。
それにも一定の答えが提示できるだろう。
何故ここまで来れたか。
その要因になったのは、幼馴染みの存在以外にももう1つある。
これはあくまでも、俺のやり方でしかないから、万能ではないと予め前置きさせて頂くが、俺は運良く行動認知療法を自ら実践していたからだ。
俺は高校時代、自分の記憶障害を自覚したあの時期だが、日記代わりに小説、作詞という器を使っていた。
残念ながら、他の毒親育ちと同じく何も持たされていない人間の物で、大した語彙力もなく完成度は低いが、それでも自己を脇役として小説に投影した事で、俺は自己に対しての客観性を一定数確保した。
今では小説という器ではなく、手記、そして個人ブログにその場所を移していき、今はこのアメブロにいる訳だが、こうして自己を表現する場所を確保し、俺の考察を読み返していく事で、その客観性を一定数確保する。
そして、時折自分の進化を確認出来る。
これはもう高校からの一種のクセだ。
おかげで俺は少しだけ自分を理解した。
プロフィールの質問解答欄の大半はブラックジョークで書いているが、俺という人間は一言で説明するのが難しい。
だから、基本的に読む人間に丸投げだ。
悪人を自称しているが、結局今ですら悪人に見えないのですがそれは(困惑)となる事もあり、俺は見る人によって違って写るのも理解している。
俺に出来るのは、考察を公開するだけだ。
後は読む人が好きに決めたらいいだろう。
でも、俺は善良ではない。
いくら威厳が旅に出ようが善良である証明ではないのだ(滝汗)
などと言っても俺の正体を知る人に対しては全く説得力がないかも知れないが…
ただ、これだけは真剣に頼みたい。
俺は毒親育ちではあるが、変にかわいそうだとかは思わないでもらいたい。
他の毒親育ちはどうかは知らないが、少なくとも俺は一般人として参画するつもりでいる以上、他の家庭がどうであれ、俺は一個人の日本人であり語り部、それ以上も以下もない。
ロールケーキとココアと猫に目がなく、他の保守が扱わない話題を積極的に扱うかなりのド変態かつ悪人面だが、それでも俺は一般人なのだ。
同情は必要ない。
俺はALUCARD666という語り部だ。
それでよいではないかヽ(*´▽`)ノ♪
こういう毒親育ちがいてもいいと思うがな(*-ω-)
まぁ、それを決めるのも読む側だ。
生き方は自称する物ではない。
本物かどうかは接する人間が決めるのだ。
左右問わず、ここが分水嶺となっているのを理解しているのか、随分と情報戦が活発化している。
これは俺の縁の町の町長選でも起きていた事だが、俺は調べていく過程で議事録から何を優先するべきかを考えたが、これはあくまでも俺のやり方で判断しただけだ。
この時代、情報を得るのにあらゆる手段がある。
台風がすでに来ているだろうが、もし投票に行こうという気概のある方がいるなら、投票前に双方の政治的イデオロギーをしっかり聞いておくのがいいだろう。
だが、行くにしてもくれぐれも命の危険が少なくなる様に、車持ちの方の協力を仰ぐなど、可能な限り安全を確保して投票に行って頂けたらと思う。
無論、単身世帯で車がないって場合、さすがに無理強いは出来ない。
可能な限り協力を願いたいが、安全には代えがたい部分もある。
もし投票に行くのであれば、安全を確保し、十分な対策をして頂きたい。
投票が不可能でも、今回は仕方がない。
上手くすれば、30日午後にチャンスがあるかも知れないから、待つのも一手だ。
後悔のない選択を願う。
さて、今回はこれといった目新しいネタがない。
よって、今回は非常に個人的な話をしよう。
毒親に対して、皆はどういうイメージを持つだろうか。
今はある程度の認知は進み、少数ながらそういう輩がいるという程度には理解が進んだ。
毒親は明らかに世間一般の常識が通用しない。
これは共通認識だと言える。
最近の情報だと、2017年から定期的に更新をしているらしきカウンセラーの見解がある。
そこで挙げられた特徴を確認してみよう。
俺の母がどの程度該当するかも併記しておく。
毒親育ちの特徴と対処法(毒親カウンセリング)
http://hide1010.com/dokuoyacomplete/
■ 子供を支配する毒親←
■ 常に自分の都合を優先する毒親←
■ 子離れできない毒親←
■ 支離滅裂な毒親←
■ 完璧主義な毒親←
■ 子供の幸せを取り上げる毒親←
■ 過干渉な毒親←
■ エリート育ちの毒親←
■権威的(家族内で絶対的な存在)な毒親←
■子供を否定、抑圧する毒親←
■親の役割や義務を果たさない毒親←
■何かにつけて兄弟姉妹と比較する毒親
■親子関係が逆転している毒親←
■病弱で家庭内で存在感がない毒親
■子供のプライバシーを無視して侵入してくる毒親
■子供を私物化する毒親←
■夫婦喧嘩を子供の前で平気で見せる毒親
(面前DVとも言います)
実にその大半が該当するが、それはうん、知ってた(予知)程度の事として、
こうした傾向に該当する数が多い程、その危険度は高くなり、項目の大多数が該当するなら、それはもうマジキチとしか言いようがない人格破綻者だ。
まず、まともな話し合いなど出来るはずがない。
これは俺自身実害付きで実感している為、個人的な物だが確信がある。
毒親を左翼に変えてもほぼ違和感がないが、それは今回の主題とは違う為、置いておくとして、ここからは少し自分語りになる。
これまで先代も含めた当ブログでは、政治的な話題やジェンダーの話題と平行して、俺個人の立場を明確にする意味でも毒親との関わりについても考察してきた。
先代ブログ「語り部のひとりごと」のex.partシリーズは正しくその考察の段階だが、実の所あれすらまだ一部に過ぎない。
今の俺にとってあの毒親との関わりを通じて得た技術は悩みの種だ。
自己評価の低さはやり方を間違えなければ、謙虚なナイトを維持する手段になるからまだいい。
問題なのは、手相にまで現れる癒し線の存在だ。
すでに触れているが、俺が母から受けた苦痛は虐待の連鎖による物だ。
母は実母である祖母を強く嫌悪しながら、自らもまたその祖母と同じ間違いを繰り返している自覚はない。
母が俺に対して労働契約の様に扱う理由は、祖母が俺に甘かったからだ。
祖母は俺の一族の女性に相応しく女傑であったが、親戚が言うには女傑にしてもそれが過ぎるという指摘がされた。
親戚は元より祖父に同情的な立場だった事もある。
もちろん俺は親戚に対して俺には甘かったかんですけどね(苦笑)とささやかに反論したのだが、親戚はそりゃあ孫なんだから甘くなるさとピシャリと制した。
全くその通り。
いかに実の娘を洗脳しようと孫にはそれが出来なかった。
だが、それは母の嫉妬を招く材料でもある。
母は承認欲求に激しく飢え、しかもそれは自分が望む形でなければすべて無価値にしている。
これは、結局幼い頃に自分が満たせなかった欲求の投影、その延長線なのだ。
そして、これが母のACの根元でもある。
残酷な事だが、基本的に子供時代に満たせなかった欲求は誰にも補填は出来ない物だ。
親の代わりはそういる物ではないし、やりたがる人間もまた少ない。
基本的に、子供時代に生じた空白は自分で処理する他ない。
これはさすがに諦める他ないのだ。
だが、母は誰からもそれを告げられる事のないまま、拗らせ続けて大人になった。
その結果は出生すら誤魔化さなければならない程の欺瞞だ。
全く救いがない。
俺は確かに毒親の元に育ち、最悪あの秋葉原の通り魔になりかねなかったルートを歩み、そして堕ちる事なくこの場にいる。
そして、俺は毒親育ちという属性を持っているが、何故左翼に荷担しないのか。
そのきっかけは二つある。
一つは俺の記憶障害に巻き込まれなかった幼馴染みの記憶だ。
今でこそ家庭環境の事案や発達障害に関して教育界隈でも認知が進んだが、あの当時はまだそんな言葉もなかった。
言うまでもないが、当時の俺は沸点が異常に低く、奇行に走って問題行動は起こし、それでいて成績は決して悪くはない。
(ただし運動芸術は全く苦手だが)
よって俺の様な問題児は当時の担任だった女性教諭には随分と嫌われた物だ。
当然、いじめは放置される。
これは俺に原因がある以上やむを得ない部分もある。
だが、決して先が見えない暗闇にいた訳ではない。
それが幼馴染みの存在だ。
唯一俺に偏見がなかったのはその幼馴染みだけで、俺は彼女に救われた。
記憶障害になりながら、彼女の記憶だけが残ったのは、それからの俺に必要なのだと無意識に判断していたのだろう。
結果として、俺は正気を失わずに済んでいる。
両親の虐待と学校のいじめというほぼ積んだ状態にいながら、俺は暗い状況で手を伸ばす存在がいかに重要なのかも、幼いながらに感じたのだ。
それはある意味では別な悲劇を呼んだのかも知れないが、それを含めてもあの当時の幼馴染みの存在は良くも悪くも今の俺の根元になっている。
恐らく、俺と母の価値観はここから違ってきたのだ。
あの当時の経験を整理していく過程で、俺自身が手を伸ばすという選択に行き着いた。
それが高校一年の時だ。
そして、それが間違いではないとハッキリしたのが高校3年の卒業式の日。
俺は、手探りながら多数の失敗を重ねて、数度に渡り積み上げたメソッドを破壊され、あるいは自ら崩しながら、再構築を繰り返してひたすらにまともな人間を目指す事を続けた。
不思議と同情される事は目的にしなかった。
俺は俺の技術と処世術によって、どこまでまともな人間になれるのかに拘っていた。
これが俺の半生だ。
下手くそすぎて全く誉められた物ではないし、そこに至るまでに多数の人間に迷惑をかけたが、どうにかここまでは来れた。
今、俺が目指しているのは、毒親育ちという属性をも超えて、一般人として社会に参画する事だ。
実の所、これはほぼクリアに近いが、まだ満足はしていない。
と言うのも、今俺は母との関係性に疲れ果てている為、敢えてスキゾイドの状態を維持してあまり人間関係に拘らない様にしている為だ。
もちろん、これは俺が目指している事からは離れる為、最終的にはスキゾイドの状態は切り離してしまうつもりだ。
出来れば、それまでに俺の癒し線を有効活用する為の技術も改造しておきたい。
とにかく知らなくてはならない事はまだまだ多い。
普通の家庭で育った人間がナチュナルに理解している事を俺は学ばなくてはならないからだ。
俺がここまで一般人に拘るのは、この日本では如何なる人間であろうときちんと訓練を積めばプレーヤーとして参加が可能である以上、毒親育ちがこの社会に参画する事はもちろん、言論の場に立つ事も可能なはずという仮説がある為だ。
それを自ら立証出来れば、間違いなく今後の俺の活動には大きな意味を持つようになる。
どうすれば、連鎖は止まるのか。
どうすれば、毒親を増やさずに済むのか。
それにも一定の答えが提示できるだろう。
何故ここまで来れたか。
その要因になったのは、幼馴染みの存在以外にももう1つある。
これはあくまでも、俺のやり方でしかないから、万能ではないと予め前置きさせて頂くが、俺は運良く行動認知療法を自ら実践していたからだ。
俺は高校時代、自分の記憶障害を自覚したあの時期だが、日記代わりに小説、作詞という器を使っていた。
残念ながら、他の毒親育ちと同じく何も持たされていない人間の物で、大した語彙力もなく完成度は低いが、それでも自己を脇役として小説に投影した事で、俺は自己に対しての客観性を一定数確保した。
今では小説という器ではなく、手記、そして個人ブログにその場所を移していき、今はこのアメブロにいる訳だが、こうして自己を表現する場所を確保し、俺の考察を読み返していく事で、その客観性を一定数確保する。
そして、時折自分の進化を確認出来る。
これはもう高校からの一種のクセだ。
おかげで俺は少しだけ自分を理解した。
プロフィールの質問解答欄の大半はブラックジョークで書いているが、俺という人間は一言で説明するのが難しい。
だから、基本的に読む人間に丸投げだ。
悪人を自称しているが、結局今ですら悪人に見えないのですがそれは(困惑)となる事もあり、俺は見る人によって違って写るのも理解している。
俺に出来るのは、考察を公開するだけだ。
後は読む人が好きに決めたらいいだろう。
でも、俺は善良ではない。
いくら威厳が旅に出ようが善良である証明ではないのだ(滝汗)
などと言っても俺の正体を知る人に対しては全く説得力がないかも知れないが…
ただ、これだけは真剣に頼みたい。
俺は毒親育ちではあるが、変にかわいそうだとかは思わないでもらいたい。
他の毒親育ちはどうかは知らないが、少なくとも俺は一般人として参画するつもりでいる以上、他の家庭がどうであれ、俺は一個人の日本人であり語り部、それ以上も以下もない。
ロールケーキとココアと猫に目がなく、他の保守が扱わない話題を積極的に扱うかなりのド変態かつ悪人面だが、それでも俺は一般人なのだ。
同情は必要ない。
俺はALUCARD666という語り部だ。
それでよいではないかヽ(*´▽`)ノ♪
こういう毒親育ちがいてもいいと思うがな(*-ω-)
まぁ、それを決めるのも読む側だ。
生き方は自称する物ではない。
本物かどうかは接する人間が決めるのだ。