俺はこのテの超理論が全くもって理解出来ない。

真偽不明ながら強烈な話が出た為、紹介しておこう。



卒業旅行で嫁が同級生の男と一夜限りの結婚式をしてたことが発覚した。嫁友と俺の友人もそれに加担してた
http://oniyomech.m.livedoor.biz/article/52038589?guid=ON

スマホの方はサイトの名前と記事のナンバーからか、タイトルで検索してもらった方がいいかも知れない。


一応事前の注意として、今日の締めくくりに見るにはあまりに悲惨かつ胸糞悪い内容な為、そういう覚悟で見てもらいたい。

ここからは読んだ方向けになる。



俺の感想だが、このケースで特に質が悪い物として、余命が短い事でのカミングアウト含めて、すべてが実行犯の間男の都合でしか動いていない事にある。

また具体的な言及はされていないが、他にも被害者がいる可能性があるなら、恐らく社会的な信用度は報告者の考える程に高くはない。

かなりの人間の恨みを買っている可能性が高い為だ。

それを力で黙らせながら、自分のしたい様にしてきた結果は、報告者のこれまでの人生が実行犯の偽善による虚構に過ぎないと報告者が知る事になるのだが、言うまでもなく報告者の人生と、実行犯の身勝手の都合は完全に別だ。

報告者はこの件で物理的な失踪を選んだ様だが、恐らくこのままでは終わらないだろうし、向こうが終わらせない。

そういう事態を防ぐ意味でも、こうした非常識な人間の歪んだ偽善と欲望は淘汰しなくてはならないのだが、救いがなさすぎるこの件で報告者は覚悟が出来るのか。

本当にいざという時、自分の人生を守れるのは自分しかいない。
誰の知識を借りても助力を得ても、その結果として実行犯の人生が破壊されようと、その引き金を引く覚悟は自分にしか出来ない。

時として戦わねばならない場合がある。

真偽不明ながら改めてそう感じるインパクトのある話だった。




と言うのが表の感想だが、もちろん当ブログではさらに深く言及しよう。

政治的に左に寄っている雑誌社は俺の見た所、SPA!、AERA、週刊女性などが特に左傾化が著しい。

目立たないが、朝日新聞デジタルと組む東洋経済オンラインや告白ハラスメントという異次元な定義を記事にしたダイヤモンド社も同様だ。


東洋経済オンラインから週刊女性prime経由で、こんな記事が出たのを知っているだろうか。

紹介したのがかなり前な為、もし読めなかったら、東洋経済オンラインからタイトルを探した方がいいかも知れない。


恋愛大国・フランスからすれば、日本の不倫 “叩き” が不思議でならない
http://www.jprime.jp/articles/-/10704


“若い頃から、亡き夫の背広のポケットには決して手を入れることはしなかったわ。夫はとてもモテる人でしたの。とても魅力のある人だからこそ、一緒に生きることを決意したのですもの。全てを束縛するなんて、考えもしなかったわ" マリアンヌ 80歳

昨今の日本では、有名人の不倫スキャンダル報道の嵐がおびただしいようです。ターゲットになった人たちへの世間からのバッシングもすさまじく、こと女性に対しては、より厳しいように感じます。

こうした風潮に対し、私は「あぶないな」と思います。犯罪に手を染めたわけでもないのに、ときに社会的に抹殺されるに等しい仕打ちを受ける点に、暴力的な同調圧力を感じます。ニッポンはこのままでいいのでしょうか。

中略

バッシングはしません。もしそんなことをしようものなら、自分たちがミゼラーブル!当然ながら、私も身に覚えがある“叩けば埃の出るカラダ"です。罪深き人々に石を投げられるはずもありません。

そもそも、恋とはどんなものでしょうか。受験やスポーツ競技のように、勉強しトレーニングを積んで手にする栄冠のようなものでしょうか。そうではありません。ロマンチストと言われることを恐れずに言えば、恋は手に入れるものではなく “落ちる"ものなのです。

中略

その結果、わが身も相手をも傷つけ、時に死と破滅をもたらします。ただ、恋愛の自由とは、世の中や親族ではなく、愛しあう者同士の意志がもっとも尊重されるということです。さらに、身体の快楽とは各人格に宿るもの。したがって、フランス人は、他人のセックスや恋愛そのものに興味が湧かないのです。

日本が他人の不倫を執拗に責める理由とは?

一方、日本人の他人の快楽にやっかみ横やりを入れ、時に道徳的な非難(あんただけ楽しむのはおかしい)まで口にする傲慢さは、どのように醸成されたのでしょうか。協働しなければ成り立たない農耕社会の歴史的蓄積でしょうか。

とはいえ、こうした集団主義が悪いとばかりは言えません。他人の痛みに寄り添うことのできるやさしさは、格別なものがあります。

ただ、『古事記』や『日本書紀』など日本古代の文学作品には、また別の世界が広がっています。古代の日本人の恋や性は大らかで天真爛漫です。天皇も庶民も、相手が誰であろうとどんどん口説き、さっさとすることをしています。

天真爛漫とは、生まれたままの純真さで、偽り飾ることなく光り輝いていることです。偽り飾ることがないというよりも、偽る必要もなかったと言ったほうが正確です。古代日本人には、今ほど厳しい倫理の観念はありませんでした。

仏教と儒教が大陸から渡来してはじめて、人々は因果応報や輪廻転生を知り、正しきを義と謂い同情を忠と謂うことを知ったのです。その結果、日本人の恋や性のおおらかな天真爛漫さはなくなっていきました。

その結果、美を創り出すものとしての恋愛が“明るい日向"だとすれば、恋愛による倫理的な堕落は“暗い日陰"時には“深い闇"となっていきました。

ただ、老子は「上善は水のごとし」と言っています。水は低きに流れつつ、あらゆるゴミや汚物を併せ呑み込んで去り地上を清くします。澄んだきれいな水が悪臭を放つ汚水となっていくことで、善きことが成し遂げられるのです。

人ならば、自らの堕落を見つめることができれば、我も他もよくできる上善の人となるというのでしょう。上から目線はなにものも見えない、下からの目線で見れば真実が見えてくるとも言えますね。

不倫を責める権利があるのは、当人の家族のみ

一説によると、人類史最高の恋愛小説はトルストイの『アンナ・カレーニナ』といわれます。日本では、紫式部の『源氏物語』の右に出るものはないでしょう。ともに不倫、不義密通を扱った文学作品です。品行方正で常識的なストーリーは、芸術に値しないだけでなく、人々に感動を与えることすらできないのかもしれません。

だからこそ、物語に値しない“ふつうの生活"が大切だともいえますが、だからといって、自らを棚に上げつつ、よってたかって他人の道徳的違背を責めるのはどうかと思います。『聖書』の「汝らのうち罪なき者、石もてこの女を打て」は大切な言葉だと思うのです。(ヨハネ福音書第8章)

恋は素敵なものです。道を外れてもいいとは言いません。けれど責めることでもありません。責める権利があるのは当事者周辺の家族たちのみ。所詮人ごと。どうでもいいではありませんか。人生は赤の他人の色恋沙汰に構っていられるほど長くはないのですから。





これである(;・ω・)

全文公開はしていないが、全文を読むと更に開いた口が塞がらない事態になる。

これが左翼側の記事なのだから、左翼と一般に言う不倫脳というのは、一定の親和性があるのではないだろうか。



現実の上に立たない感情論優先の非論理的な推測前提の論理の展開

他罰的にも関わらず自分が責められると当然の権利の様にダブルスタンダードを展開する

質が悪くなると目的の為なら、傷害や偽計業務妨害、名誉毀損などの違法行為も辞さない



俺は、左翼に不倫が付き物ではなく、左翼と不倫は始めから親和性が高いから、共同で動くのではないかと見ている。

だから、左翼に女性問題が多発するのも、特定の業界に不倫やセクハラが横行するのも、それらは左翼と不倫の親和性による非常識な世界で起きている事ではないだろうか。

何をどうしても、一般化していい物ではなく、一般化などしようがないのだ。

非常識な人間は非常識な人間でコミュニティを作るが、結果としてはそれが左翼の劣化を招いている。

あるTwitterアカウントは、愛国はならず者の最後の拠り所と主張したい様だが、実態は逆で、左翼はならず者の最後の拠り所になっている。

確かにそこでは不倫すら黙認される。

だが、そんな世界で一般人が生きたいなどと思うだろうか。

左翼に寄る雑誌が不倫すら肯定する現実。

皆にはどう写るだろうか。

俺には左翼が日本の家族制度を破壊したがっている様に見えるが…



左翼はよく多様性を謡うが、その多様性に不倫は含まれるのか。
死刑制度の廃止も左翼の主張の1つだが、どういう訳か左翼は犯罪者に優しい世界を作りたがっている様に見える。

そんな世界で自分の身を守る為のあらゆる手段は器が小さいと、多様性がないと否定される物だろうか。

自分の人生と命を守るのは器以前の問題なのだ。