無人ノ墓。 | -遠山月子の-明日はどっちだ。

無人ノ墓。

何を突然、小説の真似事を始めたのか?と思う人も少なくはないに違いない。
が、これらは実際にあったことだ。
いや当時の嘘と本当の境目が、数年経った今でも私にも判別しきれないことも多々あるため事実とは異なるかもしれない。
それでも、私から見た事実を書いておこうと思う。
尚、改めて登場させる人物の人となりや背景などを、なるべく特定されないよう改竄していることをお断りしておく。

Kという男友達から、彼の愛しのOなる女性の話を聞き違和感を感じた私は一人、都内の墓地を目指した。
丁度、ある伝手からWという男性の話を聞いた頃だった。
WとNという二人は親友同士でありながら同時にどちらもOと付き合っていたが、Oは死んだと聞かされ疎遠(この場合この言葉は正しくなさそうだが)になったらしいということ。
この話は、Kは知らない。
そしてそのKには、Oは「自分は結婚歴があり、Nという男と結婚していたがNは死んだ」と話していた。
地方に暮らしているはずのWとNのもとへ行って確認するには時間も費用もかかるので、Oが話の中でKに言った、Nの墓があるとされる墓地へ行ってみることにしたのだ。

結論を言うと、Nの墓はなかった。

思ったよりも広大な墓地だったのでここでも確実なことは言えないが、事務所で調べてもらったのだ。
NとOが本当に結婚していたとして、墓はどちらの名義になっているのか?
わかるはずもない。
Oが偽名であるならば戸籍に記されているだろう(と予想した)苗字、養子と宣っていたので謎の父の苗字、など4通りの苗字で調べたが、Nの墓は見つからなかった。
Nの親族の誰かが名義人であれば情報も少ないしほぼお手上げだが、Nが珍しい苗字であったことが幸いしたというべきか。
その珍しい苗字が一致するデータはない、と言われた。

ちなみに、墓地で墓を検索する場合だが、必要なのは故人の名前ではなく登記した名義人の名前なのだ。(場所によるとは思う)
その墓地で聞いた理由は、
「生きている人はある程度限られるが、亡くなった人は過去に遡り生きている人以上にたくさんいる」からだそうである。
だがOの場合、死んだ人が生きていたり、生きた人が存在しなかったりするのだから参る。

ただ、Oにとって誰かしらは確かに死んでいる…根拠はないが、そんな気がした。