今回はつい最近公開された『セッション』について書きたいと思います。
内容紹介はシネマトゥデイさんから拝借します。
名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、その指導に必死に食らい付いていくニーマン。だが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気じみたものへと変化していく。
まずこの映画を観終わった直後の感想は、頭ではものすごく拒絶しているのに、体がものすごくこの映画に引きつけられている!!!!でした。この映画を好きなのか嫌いなのか自分でもよくわからないで、朦朧としながら新宿を歩きました。どうして自分がこのような感想を抱いているのかもよくわかりませんでしたが、しばらく歩いている内にこういうことなのかなと思い始め、家についてからもいろいろと考えた結果を書きたいなと思います。
まず拒絶した理由。それは、単純にフレッチャーの指導があまりにひどいからですね。この映画を肯定したら、フレッチャーの指導まで肯定することになるんじゃないかと思ってたようです(自分のことなのに他人事)。本当にひどいんですよ。ニーマンのドラムの技量についてめちゃくちゃに言うのだったらまだわかるのですが、そんなんだからお前のお母さんは家を出ていくんだ!!とか、ユダヤ人のニーマンを差別用語で罵ったりとか、完全にパーソナルな部分まで、ニーマンを否定していくんですね。それを見ていると、ふざけんじゃねえという気持ちがふつふつと湧いてきます。それドラムとは関係ないじゃねーか!!その前にお前は人として最低だよ!!!と見ててずいぶんイライラしたものです。この映画は評判がいいですから、もしかしたら、しごかれてもしごかれてもくらいついて成功したドラマーと師匠の話、やっぱ最高よね!!とかそう言う映画かとなんとなく思っていたんで、たとえ成功してもこんな師弟関係を美化するような話だったらぜってーに認めねーかんな!!!と勝手に思ってみていました。あと、偶然のバスの事故で遅刻したニーマンをコンテストのメンバーから外そうとしたり、事故って血だらけになった状態で戻ってきたニーマンがドラムを叩けなくなって言った言葉は"It's done."って本当に人間のクズだなと思いました。他にも終盤のある仕打ちとか、まあ挙げたらきりがないくらいひどいことがてんこ盛りでしたよ。こんなの見せられたら、たとえニーマンのドラムが花開いたとしても、とてもこの映画大好きと何のてらいもなく言えるものではありませんでした。
続いて引きつけられた理由。これまた単純で、ラストですよね。あのドラムを一心不乱にたたくニーマンを約9分、ほとんどセリフなしで見せられたら、やはり引きつけられますよね。これまでのドラマ部分を差し引いても、この映画を肯定したい!!と思わせる吸引力がありました。まさに「手に汗握る」シーンでした。
さて、今自分はこの映画を非常に大好きになっています。それは、この映画を肯定したところで、フレッチャーの指導まで肯定することにはならないと思ったからです。物語の中盤、ニーマンは退学になってしまいますが、そこでニーマンとフレッチャーの師弟関係は終わったと思うんです。だから、そのあとの終盤のコンテストの場面では彼ら二人は師弟の関係ではなく、個人対個人の関係だったと思うんです。その証拠と言っては何ですが、フレッチャーがニーマンにする仕打ちは極めて個人的な恨みによるものですよね。教える教えられるの関係とは切り離されたものです。だからニーマンがその後に見せる奇跡のドラムは、生徒とか、評価してもらう人としてではなく一人の人間として演奏したものだと思うんです。明確には覚えていないですけど「俺が指示する」的なことを他のメンバーに演奏中言ってましたよね。もう師弟関係ではない、フレッチャーのことなど知ったことか、リードするのは俺だくらいに思っていたのでしょう。彼は「偉大なアーティストになりたい」とよく言ってましたが、ここではそんな他人からの評価は一ミリも思っていません。これまでの口惜しさやもどかしさや言葉にもならないような高まりとか、とにかくすべてをドラム演奏にぶつけて、そしてフレッチャーにぶつけていたと思うんです。言葉でも他の何かでもなく、彼自身が全てをささげてきたドラムを通して語るのは、他のどんな手段よりも雄弁であり胸を打つものでした。だから、このシーンに感動したんだと思います。単純な師弟関係を超えたものを見せつけられたからですね。これまでのニーマンはフレッチャーに評価されるためにドラムをたたいてきましたが、そういった評価するものとされるものを超えたときに生まれた、本物の演奏ということです。実は、こういう映画って少ないんじゃないでしょうか。大体の師弟映画というのは、先生と生徒の関係を抜け出せていませんよね。よくは知らないですけど熱血教師ドラマとか大体そうじゃないですか。全力でぶつかると言いつつ、結局先生は先生として存在しています。ルーキーズとか。それはさておき、だから僕の最初の感想、この映画を肯定したらフレッチャーの指導も肯定することになってしまうという感想は間違っていたわけです。別にこの演奏はフレッチャーのしごきの生んだ成果ということではないのですから。
つまり、二人が師弟関係を超えて、ニーマンが、一人の人間として彼にしかできない方法で彼自身のすべてをぶつけた演奏をした、そのことに感動したということです。
巷ではある二人の論争が話題になっていますが、この映画を最終的に好きになるか嫌いになるかをさておいてでも、映画館で見るべき映画だと思うので、もう一回見に行こうかなと思っています。というか、今サントラを聞きながら書いています。ということで、今回はここまで。
最初に扱う映画は2011年に公開された是枝監督作、『奇跡』にしたいと思います。
内容紹介ですが、ここはAmazonさんの力をお借りしたいと思います。
九州新幹線全線開業の朝、博多から南下する"つばめ"と、鹿児島から北上する"さくら"、二つの新幹線の一番列車がすれ違う瞬間に奇跡が起きて、願いが叶う――。そんな噂を耳にした小学6年生の航一(前田航基)は、離れて暮らす4年生の弟の龍之介(前田旺志郎)と共に奇跡を起こし、家族4人の絆を取り戻したいと願う。二人の両親は離婚し、兄は母(大塚寧々)と祖父母(橋爪功、樹木希林)と鹿児島で、弟は父(オダギリジョー)と福岡で暮らしているのだ。兄弟は、友達や両親、周りの大人たちを巻き込んだ壮大で無謀な計画を立て始める。
そしてその計画は、人々に思いもよらない奇跡を起こしていくのだった――。
さっそくいろいろ書いていきたいと思います。
子供から大人になるには、具体的にはどのくらいかはわかりませんが、何個かのイニシエーションを通過していると思います。例えば、自分の全力を何かに傾けることで自分の実力を知ること。これは『耳をすませば』というジブリの作品でありました。自分のもともと得意なことを封じられたときに(あるいは身近に言うと、自分が得意だと思っていたことについて自分よりもすごい人に出会ったときに)、それを乗り越える真の強さを身に着けること。これまたジブリの『魔女の宅急便』でありました。さらに、自分は平穏に暮らしているつもりでも実は自分の身近に恐ろしい世界が厳然と存在しているのだ、と知ること。『ブルーベルベット』は確かこんな話だったような。他にも、自分がこれまで正しいと思っていた価値観を解体し、一つひとつを丁寧に見つめなおして修正して再構築するというのも必要なイニシエーションなのかなと最近思っています。『桐島、部活やめるってよ』では、学校におけるスクールカーストの価値観の脆さ、空虚さに、東出昌大君が直面してました。
それで、今回の映画はそうしたイニシエーションの中でも、一番最初のイニシエーションを描いていると思うのです。それは何かということを書きたいなと思います。
この映画を見ていると、前半の方で航一が何回も口にする言葉に気が付きます。それは、「意味わからん」という言葉です。鹿児島に来てすぐの航一は、桜島の灰が毎日のように降り積もる鹿児島で暮らす人たちを理解できません。ほかにも、「なんでこんな高いとこに学校建てるねん。意味わからんわ」とまで言います。そこにも突っ込みを入れるか!!と思わず笑ってしまいます。
さてさて、この「意味わからん」という言葉が、実は航一の、というかもっと広く言えば子供の、ある特徴を表していると思うのです。それは何かというと、「自分に理解できない物事は最初から拒絶する」ということです。
子供は世界の中心は自分だと思っているところがありますよね。何でも自分の思い通りになると思っている。自分にできないことはないと思っています。そして、だからこそ自分に理解できないこと、手に負えないことは拒絶して、自分の世界の外に追いやるのです。そうすることで自分の世界(内)を、自分の理解できること、言い換えると思い通りになるものだけであふれさせ、自分中心の世界を作り上げようとしているのです。
もう一つこの特徴が表れているところがあります。航一は、龍之介も家族4人で暮らしたがっていると「勝手に」思い込んでいますが、実際は龍之介はそのことを望んではいませんでした。喧嘩が絶えない家族4人の生活よりはお父さんとの2人暮らしの方が、龍之介にとっては楽しかったのです。航一の、自分の望んでいることはきっと弟も望んでいるはずだという思い込みも、自分中心の考え方を投影していると考えられますね。
先ほどの内容紹介には「無謀な計画」と書いてありましたが、それは二つの新幹線がすれ違う時に願い事を言うとかなうと聞いた航一が、友達や、龍之介と一緒に願い事をしに行くというものです。航一の願いは、桜島が噴火して自分と母親が鹿児島に住めなくなってまた家族四人で暮らすことでした。友達と計画を練り、弟と電話で連絡を取りながら計画実行へと着々と進んでいきます。
具体的なことは、映画を観て確かめてください。航一のある変化について、その原因となることがたくさん起こりますが、挙げていくのはめんどくさいのでそれは見ていただくとして、終盤のネタバレに入ります。
航一は結局、新幹線がすれ違った時「桜島が噴火して、また家族4人で暮らせますように!!」とは言いませんでした。新幹線がすれ違って大きな音を立てている中、ただ黙っていたのです。彼が言うには「世界を選んだ」からだそうですね。ここまで書いてきたことを思い返すと、航一の成長がうかがえます。
彼は、自分ではどうにもならないことが世界にあることを知り、受け入れたのです。航一は桜島が噴火すると、鹿児島の人たちが怪我をするかもしれない、大事な家を追い出されてしまうかもしれない、と考えたのでしょう。自分の欲だけを押し通すことをあきらめたのです。
なんでもできるという思い込みを捨て、自分にはどうにもならないこともあるのだということを受け入れる。これが、私たちも含めてすべての人間が経験した最初のイニシエーションだと思います。いまだに自分はスーパーヒーローだと思っている人はいませんよね。
それで、私的な話に入るのですが、自分はどういう経験をしてどうにもならないことを受け入れたのだろうと思うわけです。私は、子供のころポケモンが大好きで、自分がサトシになった夢をよく見ていました。でも今となっては、せめてなれるのはタケシだろうとか思うのです。はっきりと意識の変化が存在しています。ぼんやりとしか考えられないのですが、私は小さい頃学年で一番くらいに足が速かったのですが、だんだんいろんな子に抜かされていきました。それかなあと思ったりして。みなさんも考えてみては。大事な試合でミスしてしまった、とか、いくら勉強しても成績が上がらなかった、とかあるんじゃないでしょうか。
まあ、でも覚えていなくても、どうにもならないことを受け入れるという一見ネガティブなことでも、でもその瞬間に「奇跡」が起きていたんですよ!!!
この文章を読んだだけではわからないでしょうが、映画を観ていればわかります。それは奇跡なんです。そして、その奇跡は、私たち誰もが起こしてきたものなのです。
是枝監督の作品は、こうした日常の中にある、小さいけどまぶしいモノを拾い上げてくれます。あー、自分の人生って地味だし嫌なことも多いけど、それでも悪くないもんかもしんないなと思わせてくれます。だから大好きなんです。
ということで、今回は終わります。言いたいことを言えた気が全然しない・・・(笑)
内容紹介ですが、ここはAmazonさんの力をお借りしたいと思います。
九州新幹線全線開業の朝、博多から南下する"つばめ"と、鹿児島から北上する"さくら"、二つの新幹線の一番列車がすれ違う瞬間に奇跡が起きて、願いが叶う――。そんな噂を耳にした小学6年生の航一(前田航基)は、離れて暮らす4年生の弟の龍之介(前田旺志郎)と共に奇跡を起こし、家族4人の絆を取り戻したいと願う。二人の両親は離婚し、兄は母(大塚寧々)と祖父母(橋爪功、樹木希林)と鹿児島で、弟は父(オダギリジョー)と福岡で暮らしているのだ。兄弟は、友達や両親、周りの大人たちを巻き込んだ壮大で無謀な計画を立て始める。
そしてその計画は、人々に思いもよらない奇跡を起こしていくのだった――。
さっそくいろいろ書いていきたいと思います。
子供から大人になるには、具体的にはどのくらいかはわかりませんが、何個かのイニシエーションを通過していると思います。例えば、自分の全力を何かに傾けることで自分の実力を知ること。これは『耳をすませば』というジブリの作品でありました。自分のもともと得意なことを封じられたときに(あるいは身近に言うと、自分が得意だと思っていたことについて自分よりもすごい人に出会ったときに)、それを乗り越える真の強さを身に着けること。これまたジブリの『魔女の宅急便』でありました。さらに、自分は平穏に暮らしているつもりでも実は自分の身近に恐ろしい世界が厳然と存在しているのだ、と知ること。『ブルーベルベット』は確かこんな話だったような。他にも、自分がこれまで正しいと思っていた価値観を解体し、一つひとつを丁寧に見つめなおして修正して再構築するというのも必要なイニシエーションなのかなと最近思っています。『桐島、部活やめるってよ』では、学校におけるスクールカーストの価値観の脆さ、空虚さに、東出昌大君が直面してました。
それで、今回の映画はそうしたイニシエーションの中でも、一番最初のイニシエーションを描いていると思うのです。それは何かということを書きたいなと思います。
この映画を見ていると、前半の方で航一が何回も口にする言葉に気が付きます。それは、「意味わからん」という言葉です。鹿児島に来てすぐの航一は、桜島の灰が毎日のように降り積もる鹿児島で暮らす人たちを理解できません。ほかにも、「なんでこんな高いとこに学校建てるねん。意味わからんわ」とまで言います。そこにも突っ込みを入れるか!!と思わず笑ってしまいます。
さてさて、この「意味わからん」という言葉が、実は航一の、というかもっと広く言えば子供の、ある特徴を表していると思うのです。それは何かというと、「自分に理解できない物事は最初から拒絶する」ということです。
子供は世界の中心は自分だと思っているところがありますよね。何でも自分の思い通りになると思っている。自分にできないことはないと思っています。そして、だからこそ自分に理解できないこと、手に負えないことは拒絶して、自分の世界の外に追いやるのです。そうすることで自分の世界(内)を、自分の理解できること、言い換えると思い通りになるものだけであふれさせ、自分中心の世界を作り上げようとしているのです。
もう一つこの特徴が表れているところがあります。航一は、龍之介も家族4人で暮らしたがっていると「勝手に」思い込んでいますが、実際は龍之介はそのことを望んではいませんでした。喧嘩が絶えない家族4人の生活よりはお父さんとの2人暮らしの方が、龍之介にとっては楽しかったのです。航一の、自分の望んでいることはきっと弟も望んでいるはずだという思い込みも、自分中心の考え方を投影していると考えられますね。
先ほどの内容紹介には「無謀な計画」と書いてありましたが、それは二つの新幹線がすれ違う時に願い事を言うとかなうと聞いた航一が、友達や、龍之介と一緒に願い事をしに行くというものです。航一の願いは、桜島が噴火して自分と母親が鹿児島に住めなくなってまた家族四人で暮らすことでした。友達と計画を練り、弟と電話で連絡を取りながら計画実行へと着々と進んでいきます。
具体的なことは、映画を観て確かめてください。航一のある変化について、その原因となることがたくさん起こりますが、挙げていくのはめんどくさいのでそれは見ていただくとして、終盤のネタバレに入ります。
航一は結局、新幹線がすれ違った時「桜島が噴火して、また家族4人で暮らせますように!!」とは言いませんでした。新幹線がすれ違って大きな音を立てている中、ただ黙っていたのです。彼が言うには「世界を選んだ」からだそうですね。ここまで書いてきたことを思い返すと、航一の成長がうかがえます。
彼は、自分ではどうにもならないことが世界にあることを知り、受け入れたのです。航一は桜島が噴火すると、鹿児島の人たちが怪我をするかもしれない、大事な家を追い出されてしまうかもしれない、と考えたのでしょう。自分の欲だけを押し通すことをあきらめたのです。
なんでもできるという思い込みを捨て、自分にはどうにもならないこともあるのだということを受け入れる。これが、私たちも含めてすべての人間が経験した最初のイニシエーションだと思います。いまだに自分はスーパーヒーローだと思っている人はいませんよね。
それで、私的な話に入るのですが、自分はどういう経験をしてどうにもならないことを受け入れたのだろうと思うわけです。私は、子供のころポケモンが大好きで、自分がサトシになった夢をよく見ていました。でも今となっては、せめてなれるのはタケシだろうとか思うのです。はっきりと意識の変化が存在しています。ぼんやりとしか考えられないのですが、私は小さい頃学年で一番くらいに足が速かったのですが、だんだんいろんな子に抜かされていきました。それかなあと思ったりして。みなさんも考えてみては。大事な試合でミスしてしまった、とか、いくら勉強しても成績が上がらなかった、とかあるんじゃないでしょうか。
まあ、でも覚えていなくても、どうにもならないことを受け入れるという一見ネガティブなことでも、でもその瞬間に「奇跡」が起きていたんですよ!!!
この文章を読んだだけではわからないでしょうが、映画を観ていればわかります。それは奇跡なんです。そして、その奇跡は、私たち誰もが起こしてきたものなのです。
是枝監督の作品は、こうした日常の中にある、小さいけどまぶしいモノを拾い上げてくれます。あー、自分の人生って地味だし嫌なことも多いけど、それでも悪くないもんかもしんないなと思わせてくれます。だから大好きなんです。
ということで、今回は終わります。言いたいことを言えた気が全然しない・・・(笑)
初めまして。透明人間です。
僕は現在東京在住の大学三年生でして、映画についてだらだらと書く場所を作りたくブログを作りました。
僕が映画にはまったのは大学二年の夏ごろなので、まだ映画ファン歴は一年にも満ちません。皆さんご存知の、当然見てるでしょ!!!!!という映画も見ていない者のほうが多いです。
例えば、バック・トゥー・ザ・フーチャーとか・・・
なので、僕が自称映画通になるまでの軌跡をですね、残そうと思ったわけです。あと忘れやすいんで、内容を書き留めておくためというのもあります。まあ独りよがりな文章になりそうですが・・・
なんで映画を好きになったかとかは、まあおいおい話していきます。
それでは、よろしくお願いしますね!!!!
僕は現在東京在住の大学三年生でして、映画についてだらだらと書く場所を作りたくブログを作りました。
僕が映画にはまったのは大学二年の夏ごろなので、まだ映画ファン歴は一年にも満ちません。皆さんご存知の、当然見てるでしょ!!!!!という映画も見ていない者のほうが多いです。
例えば、バック・トゥー・ザ・フーチャーとか・・・
なので、僕が自称映画通になるまでの軌跡をですね、残そうと思ったわけです。あと忘れやすいんで、内容を書き留めておくためというのもあります。まあ独りよがりな文章になりそうですが・・・
なんで映画を好きになったかとかは、まあおいおい話していきます。
それでは、よろしくお願いしますね!!!!