〔大阪府東部:生駒山麓 から
大阪市西部:尼崎市境 へ〕
通勤時間が一時間ほど長くなったため
どうしても ご訪問等減ってしまい m(_ _)m
ただ 淀川沿いを 移動すると
結構 城跡伝承地 そばを通ります!
日の長い時期
帰宅途中に 撮れました
写真を少し紹介です!
榎並城(えなみじょう)
別名:江波城、十七箇所城、野江砦
構造:平城
築城主:三好政長
築城年:天文二年(1533)
主な城主:三好政勝
廃城年:天文18年(1549)
十七箇所城(じゅうななかしょじょう):東側に存在した室町幕府料所河内十七箇所に因んだ別名。
略歴
城として明確に記述されているのが
『細川両家記』で「江口の戦い」での記述があります
天文17年(1548)
三好政長の息子三好政勝が守っていたが三好長慶に攻められた
天文18年(1549) 三好政長が江口城で討死
三好政勝も父の死をきっかけに瓦林城に移った
江口の戦いで8ヵ月間籠城した堅城であるのにもかかわらず
現在 はっきりした遺構は無い!
榎並小学校前に石碑があります
石碑 碑文 [ 平成二年三月 大阪市建立 ]
「この地は摂津猿楽の一流として中セに栄えた榎並猿楽発祥の地として知られ また
戦国時代 三好政長がこの辺りに榎並城を築き子息政勝と共に居城としたと伝わる」
すぐそばの「野江 水神社」
「野江 水神社」 御由緒
↑御由緒:によると『榎並城』は
天文二年(1533)三好政長により築城
そして「野江 水神社」は
その際水害よけの守護神として
城内に建てられた「神社」
なのでこの神社はお城の遺構と言えるかもしれません
野江 水神社 境内
所在地大阪府大阪市野江4-1-28
榎並城 付近の歴史では「江口の戦い」
以前 以後も この付近に「砦」(出城)の記録があったようです!
1:南北朝
楠木正儀が応安2年(1369)3月
天王寺から榎並に退いて陣をしいた。
2:石山合戦
榎並城が廃城になった後
この城跡地を石山本願寺が再利用したと考えられる
石山合戦の時に作られた51の支城の中に
「野江」という名前が見られます。
大坂は南北朝動乱 や
戦国時代には
畠山家 内紛 を経て
三好長慶 が五畿内を支配する戦い
信長上洛の後は
信長・義昭 vs 三好三人衆・本願寺
が…
信長 vs 本願寺・義昭・三好三人衆
と戦が多く お城(砦)はいろいろ有ったのに…
今は完全に都市化した場所が
4~500年前 歴史に関わっていた
…と想像するだけですが
ここは正にその場所
その想像を楽しんでみてください m(u_u)m