小牧山城
本日は 麓の外郭を中心に
あちらこちらに 説明板があります
今見られる 外郭の土塁は
小牧長久手の戦いのおり
徳川軍が修築したモノがベースです
昭和22年に学校が作られた折
一部土塁が崩されたり
郭等に土が盛られたりしたそうです
その学校も 平成九年に移動しました
本日は 麓の外郭を中心に
あちらこちらに 説明板があります
今見られる 外郭の土塁は
小牧長久手の戦いのおり
徳川軍が修築したモノがベースです
昭和22年に学校が作られた折
一部土塁が崩されたり
郭等に土が盛られたりしたそうです
その学校も 平成九年に移動しました
その跡地を 発掘整備し
史跡公園になっています
さすが 学校があった場所
ぱっと見には 芝生広場です!
そばには 堀として利用されたであろう
合瀬川があります
この説明板で 外郭の成立と 徳川の修築
昭和22年の学校建築のおりの工事の具合が分ります
街中のお城は 町の発展にあわせ変化してしまいます
発掘調査し 元どうりにならないまでも
整備&説明されているのは 大変ありがたいです
そして 一箇所
土塁断面見られる場所も有ります
イメージ復元もされています
外郭に小牧山城の模型が有りました
小牧山城 大手道 主城郭までは
ほぼ真直ぐです
ここで 信長ファンで安土城ファンの方は
ピンと来るものがありますね
そう 安土城と同じです
以前 安土城のシンポジウムで
千田先生がお話されていましたが
安土城より先に この縄張りを
小牧山城ですでに行っており
信長公(築城責任者:丹羽長秀)は
城を主郭部(要塞) 住居部
と分けた城作りをすると説明されていました
(安土の場合 宗教部:総見寺 もあり)
モチロン 他の説の先生もおられ
絶対的な正論かどうか? ですが
この 縄張り確かに似ています
信長のイメージを 丹羽長秀が具体化した城
より一層興味を持ちました
幸い 車で3時間 私にとっての日帰り圏
再訪しやすい場所なので
また是非 再登城します!