大和小泉城 (別名・片桐城、小泉陣屋)
構造:平城 / 遺構 建造物:再建櫓? 移築城門 水掘?
築城主:小泉氏、片桐貞隆 築城年 中世? 元和三年(1617)頃
主な城主:小泉氏 羽田長門守 片桐氏
片桐且元の弟の城で 二代藩主が将軍茶道指南の片桐石州の城です
大和小泉城略年表
中 世 の 頃:大和武士小泉氏が丘陵台地に陣屋を構え、小泉城等と呼ばれた
長禄三(1459)年:筒井順永に攻められ陥落 [のち修復]
文明七(1475)年:再び落城 (筒井城へ資材等持ち去られる)
天文年間(1532~55)には筒井氏に降り、小泉秀元は筒井順昭の姪婿となる
天正八(1580)年:豊臣秀長の家老羽田長門守が入城する。(修復:天正12年説有)
元和元(1615)年:片桐貞隆(片桐且元の 弟)一万六千石で小泉に入封
元和三(1617)年:小泉城址に陣屋を構える(増改築は続く)
小泉藩二代藩主 片桐石州 徳川四代将軍家綱の茶道指南になる
小泉氏13代続き明治に至る
現在:陣屋跡付近は 財団法人高林庵『石州流茶道宗家高林庵』 です
今回はJR大和小泉駅からどのように周ると良いかの
一つのパターンの提言もかねて
大和小泉駅から商店街を抜け西に向かうと
富雄川があり小泉橋を渡ると変型交差点があります
斜め左の道を進むと丁地に突き当たり 左折すぐ右折
その道を進むと移築城門のある小泉神社に到着です
この門は 小泉城勝手口門を移築したものです
門の柱にちゃんと「城門」と札を表示しています
内から見ると
小泉神社脇の道を北に道なりに進むと 池に出ます
小泉城の堀として利用されたと思われる「なぎなた池」
池越しに小泉陣屋(現:高林庵)の櫓風建物が見えます
堀の雰囲気といい 写真に撮るには良い場所です
南側にも小泉城の堀として利用されたと思われる
「御庭池」があります
財団法人高林庵『石州流茶道宗家高林庵』
『髙林庵案内板』ヨリ
髙林庵は石州流茶道流祖片桐石見守貞昌「片桐石州」の旧片桐城跡です。現在は財団法人髙林庵、石州流茶道宗家の本部であり片桐家の居であります。 片桐石州は小泉藩二代藩主で徳川四代将軍家綱の茶道指南でした。 石州流茶道は江戸幕府御政道の茶として、大名、武家、御家人等を中心に日本各地に普及した「武士の茶道」です。 片桐家は豊臣秀頼の家老としてまた賤ヶ獄七本槍の一人として加藤清正らと共に武勇を馳せた「片桐且元」を祖とし(1615年死去)、且元の弟貞隆(片桐石州の父)が遺領を受け、貞隆死後、嫡子片桐石州が家督を継ぎ、1629年寛永四年、二十二才で二代藩主となったのであります。1673年延宝元年、六十九才で死去後、代々十三代までがこの地の大名でありましたが、武家社会が終り明治の御代を迎えてからも十四代(子爵)、十五代(子爵)、十六代と連綿と守り伝えられています。
瓦には 片桐家の家紋がありました
北側道路には「片桐稲荷大神」の石碑がありました
この道を 東(駅のほう)に戻ると小泉駐在所があります
その脇に「片桐城」の石碑が!
その奥に少し高いところがあり 石段を上ると
『小泉城址』の石碑があります
「小泉城跡」説明版ヨリ
南北朝ころから名をあらわした有力な地侍である小泉氏の館が、周囲より一段高いこのあたりにおかれていました。 これが小泉城のはじまりです。江戸時代の元和9年(1623)、片桐貞隆が、この中世の小泉城を利用するかたちで陣屋を構え、小泉藩が成立しました。 その後、延宝元年(1673)に内堀が完成し、陣屋としての体裁が整ったといわれています。 また、街道沿いに城下町も形成されました。北ノ町、本町、中之町には今もその面影が残されています。
2002年6月 大和郡山市教育委員会
この場所が 古来からの小泉城の中心地と思われます
周りは住宅化されていますが
一段高くなった丘が城跡の雰囲気を僅かに残していますネ
西に進むと元の交差点を抜けて大和小泉駅に戻ります
(もちろん逆周りも良いですよ)
また、この交差点を真北に進むと1kmほどで
以前の記事『茨木城』 で紹介した慈光院です
大和郡山城からも近いので チョト一足にも良い場所です
(注意:道は狭いのでお車の場合はご注意下さい)