二条城 (別名・二条新御所、二条新屋敷)
国指定史跡 国宝 ユネスコ世界文化遺産
日本の名城 都道府県別ベスト10 京都府:第一位
構造:平城 / 国宝 6棟 国重要文化財 22棟
ユネスコ世界遺産 国指定史跡 国指定名勝 京都府ベスト1
天守閣:焼失(寛延3年(1750)) 現 天守台のみ
築城主:徳川家康 / 築城年:慶長七年(1602)
主な城主:徳川氏
建造物:御殿 櫓 諸門 土蔵 台所 等 国宝 6棟 国重文 22棟
先月9月上旬アップ予定と書きましたが
伏見城で時間をとり遅ればせのアップです
京都に二条城(別称含む)と呼ばれる城は
雑誌歴史街道スペシャル によると4つ存在します
信長の二条城が2つ 秀吉の二条城(通称)が一つ
今回の二条城は その後の徳川二条城です
# 二条城略年表 #
慶長六年(1601):徳川家康 諸大名に築城を命令
慶長七年(1602):石垣 御殿等 完成
慶長11年(1606):天守閣完成
慶長16年(1611):家康、豊臣秀頼と二条城で会見
慶長19年(1614):大坂冬の陣で幕府本営置かれる(夏の陣も同様)
元和六年(1620):二代将軍 秀忠の娘(和子)
後水尾天皇の女御として二条城より入内
寛永元年(1624):徳川家光 本丸 等 増築
伏見城天守閣 他 を移築 旧天守は淀城に移築
寛永三年(1626):後水尾天皇が二条城に行幸
寛延三年(1759):落雷により天守閣 焼失
天明八年(1788):本丸御殿 焼失
文久三年(1863):14代将軍 徳川家茂上洛のために 二の丸御殿修復
慶応二年(1866):15代将軍 徳川慶喜 二条城で就任
慶応三年(1867):徳川慶喜 二の丸御殿大広間で大政奉還
明治元年(1868):明治天皇が行幸 朝廷が城を接収 太政官代が置かれる
明治四年(1871):京都府庁舎となる
明治17年(1884):二条離宮となる
明治27年(1894):本丸に旧桂宮御殿を移築する
昭和40年(1965):二の丸に清流園を造営
平成六年(1994):二条城 世界文化遺産に登録される
入り口は東大手門
(内側)
頑丈な鉄の門です
入ってすぐの番所
ここにユネスコ世界文化遺産の認定証飾っています
(写真撮りましたがガラスが光って 全然分かりません)
二の丸御殿 唐門
伏見城からの移築と伝わりますが
聚楽第→伏見城→二条城 の説をとる本もあり
この車寄部分も 伝伏見城移築です
車寄せの飾りのアップ
内部写真撮影禁止ですので外観のみですが…
奥:遠待 手前:式台
大広間
小堀遠州作庭と伝わる池泉廻遊式庭園
南西側に広い芝生が在ります
ココには二の丸御亭がありました
春日局が拝領し、現在横浜三渓園に
聴秋閣として現存