昨日、ついつい興に乗って官能的という表現をしたが、

これはもっぱらポルノグラフィックな文脈で使われるほうが多かったことに気づいた。…今頃?

まぁ、感覚には精神的なものと肉体的なものがあるから、別に間違いでもない。

恋をすれば感覚が鋭敏になって心も体も別人になることだってあるのだし。

それに言葉がいかに重要かは、『シラノ・ド・ベルジュラック』を読めば分かる。


さて、世界最古の長編小説といえば、源氏物語。

大和和紀の「あさきゆめみし」、田辺聖子の「絵草子 源氏物語」、

あと大塚ひかりの古典エッセイでストーリーを知ったが、これがなかなかぐっとくる話なのだ。

グッとポイントが多すぎて、どこから拾ったらいいか分からないが、

今回は五感を感じさせるこの場面にする。


源氏が継母藤壺の宮の部屋に忍び込むシーン。

美しく優雅な継母への、長年の恋心を抑えきれなくなった源氏は、

まるで要人暗殺のような細心の注意と大胆さで彼女のプライベートルームへ入り込んだ。

入り口には藤壺から足止めを頼まれていた女房がいたが、

それも気迫でのけて、濃い闇が四方を包む目的の場所へ。

藤壺も源氏と同じくらい継子のことを愛していたのだが、

夫(=源氏の実父)のことを思い、ブレーキをかけていたのでした。

さて。ひとり、継子のキケンなくらいに激しい愛情に不安を感じていた彼女、

ふとここでは漂うはずのない香りがしたのに気がついた。

(平安時代の貴族は自分の着物に香を焚き染めてたので、香りで誰だかわかるのです)

そして間違えようのないあの衣擦れの音。全身を耳にして感じていた、あの音がしたのだ。

(これも足音で、あの人が来た、とどきどきするのと一緒。)

藤壺が気づいたときには、彼女の美しい髪は源氏につかまれ、

激情に押し流された二人は不義の子をなしてしまったのでした。


香りに気づき、耳で存在を知り、髪に触れられ…まぁ、見事な恋の場面ではありませんか。

ざっとあらすじ書くだけでもぞくりとしましたねぇ。

藤壺のように、相手から熱心に求められて悪い気がする女性は少なくないと思う。

この場合ストーカーなどは論外だが、

まっとうな男が熱烈に自分を求めている、というシチュエーションは悪くない。

というか、恋に落ちるならこのパターンしかない。

真剣に向かってこられたら、こちらだって真剣に対するしかないのである。

以上、官能的とは何か、という駄文でした。


BGMはハリー・アレンさんのテナー・サックス。

テナー・サックスって優しくて力強くて、恋人の腕の中のような音がするんですねぇ・・・(アホだなぁ・・・)



現実の男には人並みの興味しかないが、

歴史上の(=死人)ともなると、がぜんやる気が出てくる。

今回は、『生きてるうちに貴方に会いたかったわ』。


文は人なり、という有名な言葉があるが、

簡潔明晰、口から出る言葉も文章もエレガンスだった、この人。

古代ローマの偉大なる天才、ユリウス・カエサル。

戦争しても政治をしても超一流、女心を知り尽くしたニクイやつです。

たいした予備知識もなく読み始めた『ガリア戦記』も、

大仰な表現も過剰な心情吐露もないのに、ここまで面白いか!と興奮した。

人間心理を知り尽くした、いい男です。

私のまずい説明より、ローマ人の物語を読むか、

カエサル本人の著作を読むかしたほうがもっと魅力が伝わる。


さて次に誰にするか悩むが、この人。

強靭なる精神と、鋭い感性と眼を持った男。

小林秀雄。

晩年のいかにも「先生!」と呼びたくなるような先達ぶりもいいが、

若いころの触れたら大怪我しそうなところもまたよし。

罪と罰も、悪霊も、カラマーゾフの兄弟も、この人を知らなければ読まなかった。

セザンヌ、モネ、ベラスケス、ゴヤ、雪舟、鉄斎、西行、平家物語、徒然草など、

およそ美術と古典に関してその面白さを教えてもらい、感謝しきりである。

歴史への愛情を育ててくれたのも、この人の随筆であった。

言葉の豊かな人間は間違いなく、感受性も豊かである。

そして感受性が豊かであるということは、他者の心を揺さぶる力を持つことでもある。

またセクシー、言い換えれば官能的でもある。

感性を揺さぶる男、なんて官能的と評さずしてなんと呼ぶ。


気がつくと後ろを振り返って、過ぎ去った人々ばかり見ているようである。

が、ふとこんなことを思う。

今生きている男たちの中にも十分魅力的な人はいる。

感受性が豊かな人も、心根から温かい人も、しびれるような名文を書く人も。


私に縁がないだけの話ですがね。


ほんの冗談話だったが、友人に

「ひとつため息をつくとひとつ幸せが逃げる」

といわれたことがある。

幸せは心の持ちよう一つ、すなわち、捉え方の問題でもあり、

ため息ばかりついていても、一向気分が上がらないのは確かである。

何を見ても物憂い時というのはあるもので、

BGMはカーペンターズの「Goodby love」。

さよならする愛がなくても、十分悲しい気持ちに浸れる。

カレンの透明な歌声が泣けてくる・・・・

・・・って特に悲しいこともなかった…。


そうそう、ため息。

上司がふと「ため息ばっかりでるなぁ」とつぶやいたのだった。

なので冒頭の「ため息で幸せ逃亡」の話をしてみたのである。

そしたら大意からすると

「逃げるような幸せもないんだけど・・」

みたいなことを答えたのであった。

なんですかね、そのダウナーなお答えは。

中年って、ほんとに危機の年代なのですか???

悲しいけれど涙も流せず、タバコと酒で紛らわす、そんなお年頃ですか???

まぁ、私には20年早い悩みだろう…と思う。


昔スティーブン・キングの小説読んでたら、こんな感じの表現が出てきた(うろ覚え)。

「50を過ぎると自分の過去がなだれをうって迫ってくる」

中学生に過去の重みなど分かるはずもないが、

今の私にだってまだまだ情緒的で感傷的な響きのする一文なのだ。

これを実感をもって読むときは、こんなちゃちな感傷なんか感じないだろうと思う。

「ワタシってなんてカワイソウ・・・」的な甘えの入る余地もないくらい、破壊力のあるものじゃなかろうか。


ため息ついて逃げていく幸せがあるだけ、まだまだ幸せの証拠。ということにしとこう。


(そういえば。破壊力のある一文を『神の代理人』を読んでて発見したが、それはまたいつか。)