澤田正二郎さんを訪ねて 活陣 | <イクメン俳優・阿部岳明の子連れ狼日記 Oh!Coming!>

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世界中の方々に活力をお届けします!

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昨日は、今の殺陣の開祖と言える方、澤田正二郎さんのお墓参りに行って参りました。
通称・澤正さんとも言われ、親しまれていましたが、新しい大衆向けの劇を世に送り出したいという想いから、「新国劇」を立ち上げました。

歌舞伎の立ち回りを更に発展させようと創意工夫し、月形半平太や国定忠治という名作を作家の行友李風さんと生み出しました。
殺陣という演目は1921年に新国劇で上演されましたが、当初は「殺人」はどうだろうか?と行友さんに相談した所、それは穏やかじゃないから「殺陣」にしようとなり、読み方もさつじんでした。

1936年の澤田正二郎さん7回忌公演の際、謡曲の田村をかけながらの演目から殺陣(たて)と呼ばれるようになりました。
歌舞伎の立ち回りや、相手を立てる所から「たて」と読むようになったと言われております。

澤田正二郎さんが今の殺陣の形を作っていただきまして、私達も元を辿れば殺陣田村に行き着きます。
日暮里にお墓があるのですが、阿部道場も当初は日暮里から稽古を始めたので、ご縁を感じました。
そして、皆さんにご報告がありまして、阿部道場はこれから殺陣を活陣で活陣(たて)と呼ぶように致します。
これは、海外公演などで気づいたことなのですが、殺陣という字は、最初相手に恐怖感を与えてしまうことが多くありました。
恐ろしい人達がきて、暴れまわり、子供の教育にもよくないのではと思ってる方もいたんですね。
実際に演目をみていただき、お会いしたら全然大丈夫だったのですが、結構怖いイメージを、持ってる方も少なくありません。

そこで、殺陣のさらなる発展と未来を考え、
「活陣」と名乗ることにしました。

私の師匠からも許可をいただきまして、是非そうするべきだと後押ししてくださいました。
先日はそのことも澤田正二郎さんにご報告しにいきました。
活人剣で、世界中の方々に生涯かけて活力をお届けする私の信念の意味も込めまして「活陣」とさせていただきます。
皆さんと共に発展していきたいので、今後とも阿部道場をよろしくお願い致します!







むんっ!!!!!!!!!!!!!!!