動物園でずっと見ちゃう動物は?
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遠足で行った野毛山動物園に行って来ました!
野毛山動物園にはこんなものが飾られている
銅ゾウ 台座には「はま子」と書かれている
この写真は、入園して真っ直ぐと管理事務所側に下っていった右側に設置された銅像
また、現在、仮設爬虫類館のあるひだまり広場には、レリーフもあるここにもモノクロの写真とともに「はま子」の文字いずれも「はま子」という名前が刻まれ、その歴史が紹介されている
そう、野毛山動物園にもかつてはゾウがいたのだ
はま子の思い出
はま子が野毛山動物園にいたのは、1951(昭和26)年から2003(平成15)年に死亡するまでの53年間
ピンと来た方もいるかもしれないが、1951年、つまり野毛山動物園開園当初からあそこで暮らしていたメスのゾウであり、野毛山動物園の歴史を語る上では欠かせない存在なのだ
こんな感じで記念撮影するのがお決まり。(画像提供:野毛山動物園)
本来は別のゾウが来園するはずだったが、船での輸送中に死亡
代わりにやってきたのがはま子だったそうだ
当時の新聞でも取り上げられ、名前も3564通の公募から決められたという
そんなはま子について「分別のある頭のいい子でした」プライドが高くエサではつられないし、自分の中で序列をつけて下に見た飼育員の言う事には聞く耳を持たない
でも、一転して子どもには決して手を出したりしない
人を見るのも好きだったようで、休園日が嫌いな珍しい動物だったそうだ
入園後初めての子どもの日には5万人もの人出があったそうだ
また、野毛山動物園にははま子だけでなく、1957(昭和32)年から「マリコ」というゾウも飼育されていた
マリコは入園当時3歳の子ゾウで、はま子はこの子を友人ではなく娘のような存在として受け入れていたという
「はま子がマリコをかばってトレーニングをさせなかったと聞きました」と溺愛ぶりで、マリコがはま子の好物を横取りしても怒りもしなかったそうだ
マリコのイタズラでプールに落とされたときは、同じ状況を作ってマリコにやり返したこともあるという
「はま子なりのしつけだったんでしょう」と懐かしむ
親子のような関係を築いていたというはま子とマリコ(画像提供:野毛山動物園)
ところが、10歳ほども若いマリコがはま子を残して逝ってしまう、1987(昭和62)年のことだ
マリコの死を理解したはま子は、10日ほど食事をしなくなってしまった
「普通の動物はそこまでしないです
好物をあげても食べないし、だいぶ老けこんでしまいました」と話す
その後、“娘”の死を乗り越えて元気を取り戻したはま子は、国内2位の長寿となる59歳まで天寿をまっとうした
命名式の時のはま子(画像提供:野毛山動物園)
かつてゾウ舎のあったひだまり広場
動物園イコール見世物という時代はとうに終わり、野生動物保護の機運が高まっている昨今では、やたらめったら動物を連れてくるわけにはいかないというわけだ
はま子の残したもの
はま子の飼育で得た経験が注ぎ込まれている
現在、野毛山動物園にゾウはいないし、今後も飼育されない可能性が高い
しかし、はま子とマリコの飼育で培われた経験はズーラシアや金沢動物園で活かされている
「はま子がいなかったら、ほかの動物園も大変だったでしょう」と金子さんが話すとおり、はま子が横浜の動物園に残してくれたものは大きい
銅像となって野毛山にたたずむはま子
はま子を「いい友達だった」と懐かしむ、ズーラシアや金沢動物園でゾウの繁殖に取り組んでいることを知ってほしいと語る
野毛山動物園ではゾウに会えないが、いつかその取り組みが実を結び、横浜でゾウの赤ちゃんが生まれる日が来るかもしれない
そのときには、金子さんだけでなく多くの市民にとって「いい友達」だったはま子のことを思い出してほしい