人の心、犬の心、猫の心、仲良しの心

皆さん、こんにちは、犬のうわ言です。

 

冒頭の写真を見て、とても良い写真だと思いましたので、勝手に掲載させて頂きました。

 

さて、この写真を見た時に「へぇー、犬と猫でもこんなに仲良しになれるんだ~。」と思われた方もいるのでは無いでしょうか?

 

私の考えでは、犬の性質と猫の性質が、違うと思っているからでは無いでしょうか?

 

さて、この写真は、猫の脳を図解で表している写真です。

 

猫の脳は、小さいですし、人間の脳の様に別れてはいないのです。

 

 

そして、猫の心について書いてあるテキストを読んで頂きますと分かります様に【脳化指数】と言うものがありまして、猫は、0.12で、犬は、0.14で、人間は、0.86と言われています。

 

これは、体重に占める脳の指数です。

 

この指数が大きいほど、知能が高いそうです。

 

 

さて、今度は、犬の脳は先程の【脳化指数】でも知能が猫よりも高いと言えますが、最近犬の大脳皮質にあるニューロンの数は、ネコに比べて約2倍である事がわかった様です。

 

この事は、イヌがネコの2倍の知力がある事を示唆していると言うのです。

 

さて、【大脳に占める前頭連合野の比率】は、

ネコ :   3.5%

サル: 11.5%

ヒト  : 30.0% 
精神や判断を司る前頭葉の中でも、特に思考・理性の働きをもつ
前頭連合野は、まさに“心”の中枢だそうです


そして、働きの異なる脳を関連づけて、モノを判断する重要な役割をすると言われています。

 

やっと、人の脳の事をお話出来ます。

 

人の脳は、大きく分けますと2つに分れているのですが、人間が、出来始めた時には、犬猫の様な1つの脳しか無かったとされています。

 

しかし、脳が、2つに分かれ始めますと、上の図の様な右脳と左脳の役割が変わって来たそうです。

 

 

そして、上のテキストを見て頂きますと分かりますが、犬猫には、前頭葉と左脳が無いと言われています。

 

その前頭葉と左脳が、【人の心】と言って良いと思います。

 

さて、ブログのタイトルを逆に順番にお話したのには訳があります。

 

それは、人には、心があって、犬や猫には心が無いのでしょうか?

 

此処からが、私の主張ですが、犬にも猫にも心はあると思っています。

 

それは、犬も猫も人と共存しているからです。

 

そして、共存しているには、理由があります。

 

人は、二足歩行するまでは、森で暮らしていました。

 

そして、二足歩行をする様に成り平原に出て来ました。

 

しかし、平原に出て来ますと木等が少ないので、襲われない為には、走るしか方法がありません。

 

そして、逆に獲物を獲るには、複数で集団で狩りをするしか無くなる訳です。

 

すると仲間同士で、敵対するのと仲間同士で、仲良しに成るのでは、どちらが、獲物が獲れるのでしょうか?

 

そうなのです、人は、敵対していては、獲物を獲る為の集団狩りは出来ないのです。

 

ですから、人が、一番初めに言葉や目配せで、コミニュケーションをとる事に成るのです。

 

実は、この事で、人は、頭を働かせなければ成りませんし、その事を仲間に伝える方法を工夫し始めます。

 

それが、言葉や文字と言う伝達方法です。

 

さて、猫と犬では、ペットとして仲間に成ったのは、人が集団生活を営める頃の事です。

 

人間達だけの人数よりも犬を含めた数の多さは、獲物の数が、劇的に増えて行きます。

 

そして、楽にも成るのです。

 

ですから、人と犬が、共存したのも先ずは、利害関係が成立したからだと思います。

 

そして、猫は、何故人と暮らさなかったのかと言いますと猫は、林や森に住んでいて、獲物も意外と簡単に取れますし、人や犬が住んで居る平原と森林と言う環境で、出逢う機会がありませんでした。

 

また、犬は、猫よりも早くに人間に出逢えた事で、狩りの技術を会得して行きます。

 

この事で、体格も大きく成り始めましたし、体重の比率でも指数が高く成りました。

 

だからこそ、犬は、生き抜く為に人間の言う事を良く聴く事で、生き抜けた分けです。

 

そして、時代は、随分経ってから、人間は、猫もペットとして飼う様に成ります。

 

しかし、猫は、まだ、人間の事を良く聴かなくても生き抜ける動物でした。

 

ですから、猫は、そんなに人間に頼らなくても生き抜けますから甘やかす飼い主には、慣れますが、厳しい飼い主には、慣れないのです。

 

さて、此処までが利害関係があるのか無いのかと言う事だと思うのです。

 

では、人は、何故、人を好きに成ったり嫌いに成るのでしょうか?

 

それは、先ず、犬や猫と同じ様に利害関係が、成立するのかしないのかと言う事が重要だと思っています。

 

ですから、犬猫に限らず、好きか嫌いかは、相手が、自分にとって有利な言葉を話すか話さないかで、好き嫌いの判定をしていると思うのです。

 

自分を攻撃したり虐めたり、言葉の暴力を使う人と自分の味方をしてくれたり守ってくれる人では、好き嫌いは、自ずと変わって来ると思うのですが、皆さんは、どう考えますか?

 

ですから、猫は、どちらかと言いますと人間を余り信用しなくても生き抜けるからペットとしては、大昔までは、少なかったのです。

 

そして、「お犬様」と呼ばれた江戸時代、日本人は、その前は、犬を食べるのが当たり前でした。

 

そして、喰われてしまうならば、野良犬の方が良い訳ですから、ペットに成る必要もありません。

 

そして、西郷隆盛を見れば、分かります様に犬は、食われなく成りつつ有り、牛が食べられる状況に変化して行きます。

 

それが、忠犬ハチ公と成り、人間が、犬の忠誠を感じて好きに成り始める環境に成るのです。

 

犬が人間を好きに成り人間が、犬を好きに成り生活が豊かに成ったから猫に優しく成れる人間が増えて来て、ペットとして猫を飼い出します。

 

そして、犬と猫の環境が、現代一変して、犬も猫も生き抜く為の利害に余裕が出て来ます。

 

最初は、犬も猫も生存本能で、おどおどしていますが、慣れ始めると人の餌付けにも慣れ始めます。

 

そして、敵対しなくても良く成ると余裕が出て来ます。

 

そして、人と犬と人と猫の関係から人と犬と猫の関係に成り敵対しなくて良いと思う様に成ります。

 

冒頭の写真は、人が犬や猫を好きでなければ、成り立たない関係だと思います。

 

ですから心とは、生活に余裕が出来て、その心が、優しくなれれば、利害関係で無くても絆と言う家族に成ったのだと思うのです。

 

人の心、犬の心、猫の心、仲良しの心

 

犬のうわ言でした。