のら猫観察日記

のら猫観察日記

会社の庭にやってくる野良猫たちの毎日。

Amebaでブログを始めよう!

さてさて、今回から始まりました肉体改造計画第二弾。

スクワットの真実に続きストレッチの真実。似てるね。

 

始まりはいくつかの偶然が重なったことだ。

とにかく最近は朝起きると腰が痛い。クシャミをすると腰が痛い。あぁ、腰が痛い。

いったいこれはどういうことだ?

最近は背筋もそれなりに鍛えているので単純な腰痛という感じでもない気がする。寝ている間に関節が固まってしまうために朝起きて動かすと痛みが出る。そんな感じ。なにもしなくてもしなやかでいられた季節はもう過ぎた。

そんな日々を過ごしていたところに友だちとの会話で関節の話が出た。骨盤と大腿骨の関節部分にはなんとかという物質があって、そこが固まっているから無理矢理にでも動かすとほぐれて動くようになる。具体的で目に見えるような話だったので心惹かれた。

本屋に行くと平積みされた本が目に入った。誰でも開脚が出来るようになるという本。

次の日、YouTubeでトイレのリフォームの仕方を検索して見ていると、何故か「硬い人でも前屈が出来るようになる」という記事が出て来た。硬い人は片足ずつやればいいという目から鱗の記事だった。

20年近く前に一度ストレッチをやっていたことがあったのだが、いくらやってもそれほどの変化がなかったので半年くらいで辞めてしまったのだが、この方法ならもしかしたらと思わせる説得力がある記事だった。

いくつかの偶然が重なるということは、これはもう「やれ!」ということなのだろう。そのくらいの判断は僕にも出来る。

 

人のカラダは宇宙だ。小さな宇宙を知らずして大きな宇宙を語る事なかれ。宇宙を知らずして精神を語る事なかれ。全部繋がっていることだから。何かを美しいと感じる心はやはり関節がきちんと動いてこそだ。

どんなにスクワットをして筋肉を付けても股関節がこんな状態では、すぐに歩けなくなってしまうのでは?と気がついた。

毎日乗る自転車のチェーンに油を注すように、鉢植えに植えた花を慈しむように、大切な己のカラダの手入れをしなければ。

とはいえ僕は生まれてこのかた前屈が大の苦手。指先が床に届いたことが無い。骨盤を立ててそこから曲げるんだよと言われてもだいたい骨盤が立たない。床に座って足を伸ばすと90度にすら座れないのだ。僕のカラダはそういうふうに出来ているんだと、どこか諦めに似た気持ちで目をつぶってきたのだが、知ってしまった以上目をそらし続けるわけにもいかないだろう。このポンコツロボットのようなカラダに油を注すのだ。今はまだ何千年も前に埋められたアトランティスの遺物のようなガラクタも、近い将来、世紀の大発見とし皆様の前にお披露目しようと思う。

それまではこの冗談みたいな精一杯のストレッチをお楽しみ下さい。(本気の前屈です)

半年後、一年後にこれがどこまで改善されるのか。乞うご期待!

 

そういえばと思い、昔のブログを読み返してみた。

僕がスクワットを始めた日付を確認する為に。

2015年の秋のことだった。あれからもう4年も経っていたのか。

半年以上続けた100回3セットのせいで膝を壊してから試行錯誤を繰り返し、なんだかんだと今も続けている。

現在は30回3セットを1日置きに。回数よりも正しい負荷をかけることを意識しながら。

そりゃもういろんなものを読みあさり研究をした。武田信治も参考にさせてもらいました。

時々、一週間とか一ヶ月とか気持ちが切れて休んだりしたこともあったのだが、ボブディランやブルースリーに励まされながら続けて来たのだ。まあ一生やると決めてしまったのだから仕方ないと言えば仕方がない。

 

膝を痛めたとはいえ、なぜそこまで回数を減らすことになったのか。

ある時から会う人会う人に言われるようになったのだ。

「凄い痩せたけど病気なんじゃない?」と。ひと月会わなかった人にも言われる始末。

スクワットを始めた当時は、とにかくお腹の肉が憎たらしくて「プランク」という腕立て伏せみたいな格好で肘をついてじっとしている腹筋背筋体幹を鍛えるエクササイズも取り入れていた。

1年もして気がついたら体重が68キロになっていた。これは僕が高校生の頃の体重と同じだ。お腹もすっかりぺたんこになったのはいいのだが、顔も頬が痩け10も歳を取ったみたい。裸にになって見ると食事も満足に食べさせてもらえないかわいそうなおじいちゃんがそこにいた。

同じ体重でも高校生の68キロと50歳の68キロではこんなにも違うのか。ピークに太っていた時には無くなっていた鎖骨が気がついたら水が溜まるくらい浮き出ていた。胸はペタンコになってあばらも浮き出ている。地獄絵図に出てくる餓鬼のよう。

「こんなに痩せちゃうものなの!?」

さすがに自分でもちょっと病気を疑った。とはいえあれから3年は経っているので病気ではなさそうだけど。

これはちょっといくらなんでもまずいのではないだろうか。人前で裸になる職業ではないとはいえ、あまりといえばあんまりだ。リー師匠にも顔向け出来ない。

ということでちょっと痩せ過ぎてしまったのでスクワットとプランクの回数を減らして、上半身も鍛えることにした。

ダンベルを購入。

とはいえムキムキのマッチョには絶対なりたくない。普通の人のカラダになりたいだけなのだ。

「筋肉付けたいならやっぱりプロテイン飲まないと」としたり顔で忠告されたりしたが、死んでもごめんだ、そんな恥ずかしいことは。

あれから3年。3キロから始まったダンベルは一年後には5キロになり今は8キロ。

果たして筋肉は付いたのか?

これがまたほとんど変わらず。トホホ。ちっとも太りはしない。

まあでも確実にチカラはついてきたので現状維持が喜ばしい。

出来なかったことが毎日続けることによって出来るようになってくる。

僕には若い頃からそういう習慣がなかったのでこの歳になってそういう体験が物珍しいんだな。

指を怪我して脱腸になった時には2ヶ月ほどトレーニングはすべて休んでしまったのだが、再開したときのダンベルの重さといったら!持っているだけで精一杯。

あぁ、なんだかんだ言いながらこの棒のような腕もそれなりにチカラが付いていたんだなと実感した出来事だった。ヘコヘコと持ち上げては降ろしを繰り返す作業が、休む前は20回出来ていたのだが、2ヶ月やらなかっただけで5回しか持ち上がらなかったんだから。

そんなこんなで今は上半身と下半身を1日置きに分けてやっている。このぐらいがちょうどいい。時間もそれほどかからないし、なにより毎日なにかしらで自分のカラダと対話出来ている気がするからね。先日出来ていたことが辛かったりすると「あぁ、体調が悪いんだな」と気がつくし、調子がいいと「もう一回増やしてみようか」とも思えたりする。息の切れかたや膝の痛み、限界近い時に起きる脳みそへの酸素の供給量などカラダの内側まで意識が研ぎすまされていくのだ。この「対話」は自分の足で立って歩くことと同じくらい重要なことかもしれない。本当は農作業でもして労働で付くチカラのほうが何倍もカラダに必要なことなのかもしれないが、今はまだ鉄のかたまりを持ってヘコヘコと続けるしかないのが残念ではあるのだが。いつか鍬を持って大地に立った時に、このポンコツがきちっと機能するために。

脱腸の影響でまだプランクを再開出来ないのだが、だんだんとお腹周りにあのにくたらしい肉が付いてきた。今となってはそれもまた愛嬌と思える余裕ができた。

4年続けて来て思うのは、肝心なことは「見た目では無い」ということ。本当のチカラをつけなければ意味が無いのだ。食事制限で痩せたとしてもそこにチカラは存在しない。たとえそこに余計な肉が付いてたとしても内側からカラダを支えてくれるチカラがちゃんと付いていれば、きっとそれだけで美しいのだと思う。女性なんかもね、やっぱり痩せた人よりもちゃんと肉が付いている人のほうがいいしね。それは単に俺の趣味か。。。でも50を過ぎたら絶対太っている人のほうが若く見えると思うんだけどなぁ。。。

それにしても不思議なものです。4年前はあんなに痩せたがっていたのに。続けてみて見えてくることもある。ただ、またあと5年もしたら違った何かが見えてくるのかもしれないけど。やはり人間、どこまでいっても惑いのなかでもがき続けるしかないんだろうな。

そんなこんなで、なかなか真実なんか見えてこないという、スクワットのお話でした。

今日から靴下を履いた。

毎年恒例の体調を崩してから気付く例のパターン。

靴を履くと足が痛い。夏の間に指が広がっているのか、満員電車の乗客のようになっている。

まさかこの歳になって足が大きくなっているわけでもあるまいし。

 

 

夏に友だちから言われた。ブログを更新しないのかと。

こんなブログでも楽しみにしている人がいて、その人に言われたらしい。「最近更新してないようだけどもしかして死んじゃったの?」と。それを聞いて僕はまあなんというかとても不思議な感じがしたのだ。

あぁ、理想的だなぁと。自分が死んだことを誰にも知らせずに、ある日「そういえばあいつ最近見かけないけどどうしてるだろう?」って言われるんだ。「風の便りで死んだって聞いた気がするんだけど」って誰かが答える。「へぇ、そうなんだ。そうか、死んだのか。」って。

とてもいいな、そういうの。知らない間にいなくなっているっていうのは僕の憧れだ。のら猫だってみんなそうだ。たぶんこっせつだってうめちゃんだってボスだってびっこだってもうこの世にはいないかもしれない。それでも僕の中ではあの時のまま存在しているんだ。それだけでいいんじゃないかな。僕もそんな存在になりたいと思っている。だからそれを聞いた時に予行演習ではないが、ありありと自分の死んだ後を見た気がした。あぁ、なんてステキなんだ!このままブログを更新しなければもしかしたら僕はホンモノののら猫になれるんじゃないだろうか?

でもなぁ、楽しみにしているとまで言われて嬉しかったし、その気持ちに応えないのも何様のつもりだ!という気持ちも捨てきれない。。。どうしようかなぁ。。。

と、そんなこんなとグズグズしているうちに季節は夏から秋へ。

時の経つのはあっという間だ。ぼんやりしているうちに記憶が薄れていく。書いておかないと忘れてしまうことばかりだということに気がついた時に、僕の死亡説第2弾が届いた。

 

ある日突然LINEがきた。

働き出してすぐの頃に学生時代の友だちとグループ展を開いたことがあった。社会人になりながらもまだ何か出来るんじゃないかという学生気分が抜けない宙ぶらりんのなかで、友だちのお姉さんが勤めていた三茶の西友で「ちょっとしたスペースがあるから何かやってみないか」というお誘いを受けたのだ。5・6人の友だちを集めて何点か作品を展示した。

そこに友だちの知り合いだと言うおばさんが見に来たのだが、何故か僕の描いた小さな絵を気に入ってくれて買いたいという。売ることなんてまったく考えていなかったので困りつつも、自分の描いた絵が売れるという現実に、じわじわと喜びを深めていったことを思い出す。

おばさんは旦那さんと二人で会社をやっているみたいだった。自分たちに子どもがいなかったせいか若者たちのチカラになりたいと思っていたらしい。僕の母親と同い年だった。

話をしていると、茨城に別荘があってそこを自由に使っていいという。若かった僕たちは遠慮することもなく、すっかり浮かれてその別荘に遊びに行った。最初の年はおばさんは来ておらず、初めて会うおじさんがいた。小さくて物静かなおじさんでニコニコと僕たちが騒いでいるのをただ眺めていた。おじさんがどういう気持ちで僕たちと一緒に焼き肉などに箸をつけていたのかまったく思い描くこともせず、ただただ馬鹿騒ぎを繰り返していた。次の年にはおじさんもおばさんも来なくて、僕たちだけでその別荘を使わせてもらった。やはりウンザリしていたのかもしれない。

そうして2度ほど別荘を使わせてもらったのだが、いつしかみんな仕事も忙しくなり僕たちの別荘行きは終ってしまい、おばさんの知り合いだった友だちも結婚して遠くの町に引っ越していった。

僕はそんなことがあったことすら忘れて日々の忙しさに撲殺される毎日を過ごした。

それから20年ほどして一度だけおじさんおばさんと会うことが出来た。その結婚した友だちが東京に用事があり何年ぶりかで出てくるという。その時に「おじさんおばさんに会うのだがこっせつくんも一緒にどうか?」と言って来た。久しぶりに会うおじさんもおばさんもちっとも変わっていなかった。というかお互い1度ずつしか会ったことはなかったのだが、二人とも僕のことを覚えてくれていた。いまだに社長室には僕の描いた絵を飾ってくれているとのこと。その時に初めておじさんともおばさんともきちんと話をしたように思う。僕は嬉しくなってご飯をご馳走になったあとに、新大久保のあの事務所にもご招待した。それがもう今から10年前くらいのことだろうか。

そのおばさんから突然LINEが届いたのだ。

ネコの写真が3枚。そのあとに「こっせつくん、お元気ですか。私は3年前に亡くなった夫が可愛がっていたネコたちと楽しく過ごしています。」という内容だった。驚いた。おじさんは亡くなっていたのか!考えてみれば僕たちの繋がりなんて細い生糸一本でかろうじて繋がっていたような関係だ。30年の間に2回しか会ったことがない。いちいちそんな人間には連絡などしないだろう。しかし3年前かぁ。おじさん、なかなかやるね。僕がしたかったことを現実にやってのけたじゃないか。

なぜ突然LINEが来たのか、そこのところはまったくわからなかったのだが僕は慌てて返事を出した。

「ご無沙汰しております。おじさん、御亡くなりになられたのですか!全然知らずに失礼しました。心より御悔やみ申し上げます。おばさんは御元気そうでなによりです。楽しく過ごせるのが一番ですね。暑くなったり涼しくなったりですが体調に気をつけてくださいね。」と。

すぐに返事が来た。

「こっせつさん 印象に残る青年でした。有難う」

???

どういうことだろう?なぜ過去形?おばさんも旅立ちの日が近いのか?別れの言葉?

おばさんの返事がどうにも不自然だった。モヤモヤしたまま仕事に戻ったのだが、おばさんの返信が心に引っかかったまま1日過ごす。

次の日、おばさんの知り合いだった友だちから連絡が来た。

「昨日、おばさんから連絡あったのよ。『こっせつくんが亡くなったのね』って!あたしビックリしちゃってさ。えっ?そんな話聞いてないですよって言ったんだけど、『こっせつくんの甥御さんからLINEが来ておじさんは亡くなりましたって言われた』って言うのよ。だからもしかしたら本当に死んじゃったのかと思って。」いやいや、ちょっと待って!君とは一昨日メッセージでやり取りしたばっかりじゃないか!「あたしもおかしいとは思ったんだけどさ。おばさん、『あんた知らないの!昨日LINEが来たわよ!』って言われたから昨日死んじゃったのかと思って。そんなタイミングあるのかと思いつつもおばさん、真剣に言うからさぁ。」

ここでも僕は死んでいた。この夏、2度目の死亡通知。またまた不思議な気持ちになる。

僕の返事の仕方が間違っていたのだろうか。「おじさん」がおじさんのことではなく僕のことになってしまったのだろう。おばさん、どうやったら僕の文章でそんな受け取り方が出来るのですか?そうか、おばさんのあの不自然な返信は僕の甥っ子に宛てた返信だったんだ!あなたのおじさんは印象に残る青年だったのよ、と。そして亡くなったことを伝えてくれて有難う、と。

すべての謎が解明!

しかしおばさん、早とちりにも程があるなぁ。僕はちょっとおばさんと同い年のお袋のことが心配になった。うちのお袋も早とちりの天才だからなぁ。どこかで似たようなことをしてるんじゃないだろうか。

そんなこんなで2度目の死亡通知を受け取った僕は、まあなんというかうっとりとしてしまったのですね。自分がいなくなった後の世界を垣間見たというか。宇宙的視野で現実を見下ろしているというか。不思議なもので、何も成し遂げていなくともどんなに人を傷つけていようとも、人は死んでしまったらみんな仏様になるのではないだろうか。実際、僕はすべてが許された気持ちになったわけだから。そしてすべてを許す気持ちにもなれたのだから。それは「うっとり」するような感覚だった。

とはいえ実際に死んでいるわけでもないのですべてがチャラにはなっていないのだった。生きながらに仏様になれる日ははたして来るのだろうか。いや、別に仏様になりたいわけでもないんだけどね。

3月の中指ぺしゃんこ事件を書いたので、このことにも触れておかなければならない。

 

同じ3月の半ばのことだ。ようやく痛み止めも飲まずに過ごせるようになったある日のこと。

寝る前にお腹の違和感に気がついた。右の下腹部がポッコリとふくれていた。触ってみるとプヨプヨしている。嫌な予感がした。ベッドに横になりその膨らみを無かったことのようにして押し込んでみる。ドキドキしながらしばらく撫でたり叩いたりして様子を見てから起き上がった。膨らみはそんなもの初めからなかったかのように無くなっていた。ふぃ~

朝起きてすぐに確認してみたがやはりなんともない。何だったんだろうと思いながら1日を過ごした。そのうちそんなことも忘れて、会う人ごとに指の怪我を見せたりちょっと大げさに状況を説明したりしていたんだ。

夜になってお風呂に入ろうと服を脱いでみると「あっ!」また膨らんでいた。昨日よりも少し大きくなっているみたいだ。お風呂の中でまた押し込む。プニプニしていて痛みは無い。押し込むとしばらくはツルンとしたお腹に戻るのだが気がつくとまたポッコリ。なんだろう、これは?一瞬「膀胱癌」という言葉が頭をよぎる。膀胱癌のことなんて何も知らないのだが。。。

寝る前に大きく深呼吸しながらゆっくりと膨らみを押さえ「ひっこめ~ひっこめ~ひっこめ~」と呪文を唱える。朝起きるとひっこんでいた。ちょっと安心して起き上がると「ポコン」と飛び出す膨らみ。えっ!と思い慌てて横になると無くなる。なになになにっ!?気持ち悪いんですけど!

それでも特に痛みもないので事務所に行く。どうも膨らんだお腹が自転車を漕ぐ時にひっかかって気持ちが悪い。右足が上がる時に「コクン。。。コクン。。。」と何かが当たるのだ。ちょっと痛い。着いてすぐに「お腹」「膨らみ」で検索。一発で出て来た。

「それは鼠蹊ヘルニアかもしれません」

ふぃ~。なんだ、脱腸か。脅かすなよ。どうりでプヨプヨしていると思ったよ。

記憶にはないが僕は1・2歳の頃、すでに脱腸は経験済みだった。左のお腹に5センチくらいの傷があるのだが、物心がついてからいったいこれはなんだと母親に聞いてみたことがる。僕はその頃すでに2回も「お子さんは諦めてください」と言われるほど、生命力が弱いのか強いのかわからない子どもだったので、母親としても脱腸のことはあまりよく覚えていなかったみたいだ。「脱腸の手術をした跡じゃない?」と軽い感じで言われた。なんだか「脱腸」という言葉の響きがちょっと間抜けだったので、そのことはあまり思い出さないようにしていた。

そして今回、右側の腸が飛び出して来ている。膨らみをプニプニ押し込みながら「これが腸の感触なのか?」と人体の不思議に触れてみた。

一安心した僕はすぐに病院へ。案の定「鼠径ヘルニアですね。いわゆる脱腸です。」との診察。知ってるよ。すぐにどうこうは無いが手術はしなくちゃならないと言う。まあ指のついでだ。とっとと済ませてしまおう。ということで次の週に手術をすることにした。

なんだかんだで3泊4日。木曜日に手術をして土曜日退院だ。本当は日曜日に退院ですねと言われたのだが、その日はお花見の予定が入っていたので「なんとか土曜日に退院させてください!」と頼み込んだらあっさりOKしてくれた。

しかし問題がひとつ。最近の病院は中にも外にもどこにも喫煙室がないのだ。

内科的入院なら諦めもつくのだが外科的入院となると話は違ってくる。僕は慌てた。想像しただけて具合が悪くなってくる。急いでニコチンパッチを購入した。こいつの威力は昔ちょっと使ったことがあるのでよく知っている。

入院当日、歩いて病院へ。病院の手前のコンビニで持っていたタバコもライターも捨てた。そう、僕はこれを機会にタバコをヤメようと目論んだのだ。病室に入ってすぐにパッチを背中に貼る。スーッとニコチンが皮膚からカラダに入ってくる感覚にうっとり。これでもう安心。

次の日の手術は全身麻酔の腹腔鏡手術だったのですぐに終った。手術のその日だけは夜眠れないとかおしっこがベッドで出来ないとかのつらさはあったが、もう忘れているくらいだからたいした問題はなかったのだろう。退院した次の日には予定通りお花見にも行けたし。とはいえ、お腹に2カ所穴を空けたのでしばらくは痛み止めの薬も手放せない。

パッチのほうも毎日取り替えて、これを一生貼り続けてもいいくらいだと一人ほくそ笑む。

そしてみんなにも大演説をぶちまけた。

「入院して気がついたんだよ。これからはね、なるべくそういった可能性を排除していかなければならないってことに。やっぱり病気になると自分だけじゃなく周りの人が大変だからね。だからまず手始めにタバコだ。いろいろご心配おかけしましたがみんなの迷惑にならないようにキレイなカラダになろうと思います!」と。

みんなの視線には気がついていたさ。「またか。。。」って。

まあ見てなさい。僕には強力な味方がついているんだからな。そうして新しいニコチンパッチと気分を変えるためにニコチンガムも買ってきた。

一週間が過ぎ、順調に進んでいた僕の禁煙ライフも少しずつ暗い影を落とし始める。

気のせいだろうか?パッチがあまり効いていない。夕方くらいになるとだんだんイライラし始めたのだ。

10日も過ぎると誰の目にもあきらかになってきた。

Sさんが言う。「こっせつさん。。。お願いだからタバコ吸って下さいよ。。。」「なんでそういうこと言うのさ!」「いや、だって。。。見ていてつらいし、、一緒にいるのもつらいんですよ。。。」「悪魔のささやきか!」「1日30本吸ってた人がいきなりは無理ですって!まずは本数減らすことから始めたらどうですか?」「そう?じゃあさ、1日5本は吸ってもいいことにしようか?」「あぁ!それはいいですね!そうしましょう!5本ね!そうすれば今年中にはヤメられますよ!大丈夫ですよ!」「う~ん、じゃあそれでやってみるかね。」

こうして今、僕の机の引き出しの中にはニコチンパッチとニコチンガムが大量にストックされている。

そして5本だったタバコは10月現在で1日12本まで増えている。とはいえ昔の半分以下まで減ってるんだからね。これからこれから!と言いながら、結局僕は死ぬまで吸い続けるんだろうな。逆に吸っていたほうが迷惑かけずにぽっくり逝けるかもね!なんて言い訳を見つけながら。

 

こうして今年の3月は、月の半分近くを痛み止めを飲んで過ごした。

春の陽が降り注ぐエントランスに立ち尽くす。誰もいない。

扉の向こうに受付が見える。電気が消えているのか中は真っ暗だ。恐る恐る扉を開けると

「靴はそこで脱いで!スリッパがあるでしょ!」

と薄暗い受付の向こうからキビキビしたおばあちゃんの声がする。

エレベーターを降りた先にスリッパが並んでいたのだが、てっきり干しているのかと思っていたのだ。靴を脱ぐ場所も特になく、午後の日差しを浴びて窓辺に並べられていたのでそこで靴を履き替えるなんて思ってもみなかった。

「すみません!」といいつつ靴を履き替え恐る恐る中に入ると、暗闇でおばあちゃんがこっちを睨んでいた。なぜ電気を点けないのだろう。何かの演出なのだろうか。おばあちゃんはこっちを厳しい目で睨みつつ「初めて?どうされました!?」と食って掛かってくる。おかしな表現かもしれないがまさに食って掛かってくるのだ。「何しにきた!?えっ?何しにきたんだよ!」って感じ。これが病院の対応だろうか?

僕はもじょもじょと「ちょっと・・・指を挟んでしまって・・・」とかなんとか。「はい、じゃあそこに座って待ってて!」と長いベンチを指された。「やっぱり失敗したのか、俺。」と思いつつもう逃げ出すことも出来ないで大人しく腰を下ろす。

受付の窓の隣にカーテンがかかっている。どうやらそこが診察室らしい。待合室とそこは昔っぽい上半分が曇りガラスになったパーティションで仕切られているだけだ。その向こうでゆらゆらと人の動きが見えた。しかし何も起らず。しばらく待っていたら受付のおばあちゃんが「じゃあ中に入って!」と。見ていた限り、中でやり取りしていた気配は感じられなかったのだが。キツネにつままれたような気持ちで「失礼します。。。」とカーテンを開ける。目に飛び込んできたのは白衣を着た日野原先生のような小さなおじいちゃんだった。もう90歳近いのではないだろうか?蝋人形のようにじっと椅子に座っている。僕は絶望的な気持ちになる。「あぁ、やっぱり失敗だったな。。。。」

おじいちゃん先生はメガネの奥からじっと僕を見つめモゴモゴと籠った声で「どうした?」と聞いてくる。諦めに似た気持ちを押し殺し僕は怪我したいきさつを仕方なしに話した。ガムテープでグルグル巻になった手を見ておじいちゃんは「じゃあそれ、外して。」と言う。「僕がやってもいいけど自分でやったほうが安心でしょ。」と知らん顔してる。そりゃそうですねと言いながら僕は剥がし始めた。ガムテープを外し、布巾を剥がす。血でぐっしょりになっていた。絆創膏をきつく貼っていた指はパンパンに腫れ上がっており、これが生きてる人間の指か!っていうくらい変な紫色になっていた。それを見たおじいちゃんは、ほ~っとひとつため息をつき「あぁ~イヤだ、イヤだ。お~、、、見るのもイヤだ。」と言い出した!

解き放たれた指はさらにドクドクと脈打っている。絆創膏に血が滲む。「それも自分で取れる?自分でやったほうがいいよ。あぁ~イヤだ。」あくまでも触りたくないみたいだ。仕方が無いので僕は自分で外しにかかる。僕は左利きなので右手じゃうまく外せない。もたもたしていると先生がピンセットを差し出して「これ使う?」というのだが面倒なので無理矢理引きはがした。

ゾンビかと思ったよ。僕は指先だけゾンビになってしまった!

まるで特殊メイクのようにとんでもないことになっていた。紫色にパンパンに膨れ上がった指先。その指の2カ所に亀裂が入り、そこから肉の塊みたいなものが飛び出している。カッターなどでスパッと切れた皮膚は見たことがあるが、これはなんというか破けているのだ。言ってみれば「みかんを上からバンっと叩いたら皮が裂けて中身が飛び出した」みたいな感じ。「ソーセージを焼き過ぎて焦げ目から裂け、そこから中の肉が飛び出している」みたいな感じ。肉なのか血の塊なのかなんだかよくわからないものがムリムリムリっと飛び出してきている。先生じゃなくても「おぉ~イヤだ」って気持ちにはなる。案の定おじいちゃん先生は心底イヤそうに消毒液を漬けた綿をピンセットで摘まみ傷口をつつき回す。「あぁ~イヤだ、イヤだ。どうだい、自分でもイヤだろ?気持ち悪い。。あぁ~イヤだ。」僕はついつい笑ってしまった。「確かに気持ち悪いですね」って。

とりあえずレントゲンを撮ることに。というかこんなところにレントゲンの設備がちゃんとあることがビックリだけど。

初めてみるような大げさな機械をセットして昔の写真屋さんのような板の上に指を置き「ほい、じゃあ撮るよ。」と記念撮影のようにレントゲンを撮る。驚いたことに先生はすぐに自分の机に戻りコンピュータをいじると、いま撮った写真が画面に映し出されるではないか!えっ?おじいちゃん、コンピュータをいじれるの!?心底ビックリした。ただものではないな、このおじいちゃん!

映し出された僕の骨を見た先生は「あ~あ、すごいな、これは。」と一人でブツブツ言っている。「見てみるかい?」と写真をアップにしてくれた。初めはなんだかよくわからなかったのだがよく見ると、まあ絶望的な気分になったね。「ほら、こっちが普通の状態の指先の骨だよ。それでこっちが、、、、なっ(笑)」何故か先生は嬉しそう。指先の骨はウチワのように丸く広がっているのだが、写真に写る僕の指先は丸いお煎餅を「ダンッ!」っと上から叩き割ったように5つか6つに割れていた。バラバラになっていたのだ。ちょっと感心してしまった。昨日眠れずにうんうん唸りながら「自分のカラダなんだから意識を集中すればこの指の状態がわかるはずだ!」とミクロの決死圏のように深く深く自分のカラダに潜り込んで見てきた状態そのものだったのだ。たぶん骨がいくつかに割れているんだろうなぁと自分では検討がついていたんだな。まあそれを目の前にまざまざと見せられるのもあまり気持ちのいいものではないが、好奇心のほうがまさっていて「ちょっと写真に撮ってもいい?」と聞いて見た。「おぉ、いいよ。ほらもう少し大きくしてやろう。こっちの指も入れたほうがわかりやすいだろ。そうそう。」と僕のスマホを見ながらトリミングの指定までしてくるおじいちゃん。

正面からと真横からのレントゲン写真を撮りおえた僕は「これって手術とかになるの?」ともうすっかり孫になったように馴れ馴れしい。「指先の骨はもうどうすることも出来ないから自然にくっつくのを待つしかないな。傷口もこれじゃあ縫うわけにもいかないからなぁ。刃物で切った傷なら縫えるけどこの状態じゃどうすることも出来ないよ。」との診察だった。あぁ、手術しないなら良かった!ほっといて治るのが一番だ。時間はいくらでもある。

おじいちゃんはブリキの箱みたいなものに変な色の液体を入れ、「しばらくこの中に指を入れておきなさい。10分くらいかな。」とモゴモゴ言う。「これはちょっと特別な薬だからな。」と得意そうに。僕は液体の中でしっかりと薬が浸透するように指をピコピコ動かしながら「これはどのくらいで治るのかなぁ」と聞いてみた。「う~ん、まあひと月はかかるだろうなぁ」との返事。それで治るのなら問題無しだ!

そのあと薬を塗って丁寧にガーゼを巻いてから包帯をしてくれた。意外なことにおぼつかないんじゃないかと思っていたおじいちゃんの手元は職人のように無駄な動きがなくしっかりとしていたのだ。すごいぞ、先生!僕はこの病院が好きになってしまった。

結局僕が診察を受けて治療しているあいだにひとりも他の患者さんは来ていない。それもまたいいぞ!

外科で検索してこの病院を見つけたのだが試しに聞いてみた。「今、他の病院で血圧の薬をもらっているんだけど、先生のところでその薬の処方箋とか出してくれたりする?今行ってる病院は新大久保にあってちょっと遠いんですよねぇ」と。先生は「おぉ、薬の名前さえわかれば出してあげるよ~」とあっさりとOKしてくれた。よし、これで先生が僕の主治医だ!先生が死ぬまで僕はここに通い続けるよ!

結局僕はしばらくの間その病院に通い続けることになるのだが、てっきり夫婦だと思っていたおじいちゃん先生と受付のおばあちゃんは他人だった。なぜわかったのかというと次に行った時にはまた違うおばあちゃんが受付に座っていたからね。そしてこのおばあちゃんもぶっきらぼう。病院の中では誰も笑わないのだ。何度か通っているとそれなりにお客さんも来ていた。初めて行ったときのあの午後のまったりとした静寂のひとときが白昼夢だったように。

傷口はひと月ほどでほとんど塞がれたのだが、あれから半年経つが指先の骨はきちんと付いているのかいないのか。いまだにピリピリとしたしびれが残っているがまあそれも仕方ないだろう。先生は僕の傷の治りを見て「さすが若いと治りが早いねぇ。」と感心していた。まあ先生に比べたらそりゃまだまだ小僧かもしれないが、僕はもう50も半ばなんだけど。。

そうして今も2ヶ月に一度は血圧の薬をもらいに通っている。まだ先生も生きている。

 

それが今年の春の出来事だった。

そしてこのあいだの台風の日。僕の家は半地下が駐車場になっていて大雨が降ったりすると水が溜まってしまうことがあった。1メートル四方の排水溝があるのだがどうやらそこに溜まった水を汲み上げるモーターが故障していたらしく水の逃げ場がなかったことが原因だった。3年ほど前にそのモーターは直したのだが今度の台風でまた駐車場が水浸しになったら困ると思い様子を見に行った。

雨が一番酷いときだったので家族には「やめなよ、こんな時に出て行くの。そういう人が川に流されちゃったりするんだよ!」と止められたのだが駐車場に降りるだけだ。バカなこと言うんじゃないよと外に出た。

案の定、駐車場はちょっと水が出ていた。排水溝は鉄板2枚で蓋がされているのだがそのすぐ横のコンクリの亀裂から水がぴょろぴょろと吹き出していたのだ。鉄板を開けてみると水はそれほど溜まってはいない。モーターは正常に作動しているようだ。しかし地面から吹き出した水は鉄板のすぐ横であるにも関わらずぴっちり閉ざされているため排水溝には流れていかないようだった。地面の水が流れ込む場所は反対側にあるせいだ。吹き出した水は少しずつ駐車場に広がっている。そうだ、この鉄板を少しずらしてこの水がそのまま排水溝に流れ込むようにしてあげればいい。一枚20キロ近くある鉄板をずらす。ちょっと開け過ぎたか?もしかしたらここにつまずいて転んでしまう人がいるかもしれない。もうちょっとだけ隙間を小さくしようか。と端っこを持った瞬間「ガバーン!!!」と鉄板が元の位置に落ちた!一瞬の出来事だった。サッ!と手を引いたが指先に激痛が走る。挟まれた!これはこれは。知ってる痛みだ。よ~く知ってるよ!前回は左手の中指だったが今回はそのお隣の薬指。あぁ、順番に指が潰されていく。。。

半年前と同じように僕は指を咥えてフラフラと家の中へ。戻ってきた僕を娘が「どうだった~?」と呑気に出迎える。あの時のSさんと同じで僕を見たとたんさっと顔色を変える。「どしたの!」どうやら僕の顔色は真っ白で汗がダラダラと流れていたらしい。

「だから言ったのに!」「病院行く?」「まったくも~何してるの?」「絶対こうなると思った!」奥さんと娘からやいのやいのと責められながらそれでも僕は冷静だった。すでにカラダの中に入り込んで傷の具合をちゃんと判断していたんだ。この痛みなら骨が折れていても一カ所だな。うまくすればヒビが入ったくらいかもしれない。幸いにもまた指先だからほっとけばいいし。

「大丈夫、大丈夫。冷やせばいいよ。こんなんで病院行ったら台風での怪我人としてカウントされちゃうよ。世田谷区の50代の男性が・・・って。指先だから病院に行ってもどうすることも出来ないしね。それほど酷くないから大丈夫。」と、つけてくれた扇風機の前で汗を流しながら照れ笑いすることしか出来なかった。

次の日には薬指がマッチ棒のように紫に膨れ上がったがもう慣れたものだ。やはり経験というのは大切なことでした。3月のことがなかったらきっと僕は指がどうなってしまうのか不安になっていたことだろう。もしかしたら病院に駆け込んでいたかもしれない。そうしてじわじわと広がる台風被害で右往左往の病院に迷惑をかけていたかもしれないのだ。

 

ちなみに指はもう腫れもひいて色も戻り痛みもずいぶんと良くなった。ややもすると今回怪我したのが中指なのか薬指なのかがわからなくなる時もあるくらい。指先使うとどっちもちょっと痛いからね。まあ、先生が言っていた「もうこの歳になれば完全に治るということはないと思っていればいいよ。」ということなんだろうな。50年も乗り続けていれば部品だって製造中止で取り替えられなくなるんだからね。でもなぁ、この広がったままの指先はちょっと美しくないんだよなぁ。

 

無駄な経験など無い。そんなこんなの台風騒動だった。

なるほど、「経験」とはよくしたもので「無駄な経験などない」とは本当だ。

この台風で僕はそのことを痛感した。

 

ことは春までさかのぼる。3月に事務所の引っ越しをした。もともと五反田には居候で置かせてもらっていたのだが、そこの人が事務所を閉めることにしたので僕ともう一人居候していた人はどこか探さなくてはならなくなった。同じ五反田界隈なら電話番号も変わらないということで駅の反対側に引っ越すことになった。

荷物も少ない。自分たちで引っ越しをやろうということでちょうど更新が切れる2019年3月1日の夜中に決行した。2トントラックを借りて来て小雨の降る中まとめていた荷物を2人で積み込み始めた。1回目は何事もなくやり終えたのだが事件が起きたのは2回目の積み込み作業の時だった。一人でギリギリ持てる大きさの机を運んでいた時だった。スペインバスク地方の力自慢の怪力男のようにふんぬ!と持ち上げた机をヨタヨタと運んでいたのだがマンションからトラックまでの間の軽いスロープにさしかかった時、アッと言う間もなくツルンっと足が滑った。本当に一瞬の出来事だった。僕は机を持ったまま宙に浮きそのままひっくり返った。机を持った手を離す間もなく地面に叩き付けられたのだ。

指を地面と机の間に挟んだのはわかった。激痛で飛び起きた僕はすぐに指を咥えた。指がちぎれたかと思ったがちゃんと咥えられた。凄い音をたてて転がったものだからSさんが笑いながら「どうしたんですかぁ~」と呑気な声を出して様子を見に来た。僕は指を咥えながらSさんを見ていたのだが笑い顔が一瞬で驚きの表情に変わるのを見逃さなかった。逆に僕がビックリしたくらいだ。「えっ?」と思って辺りを見回すと僕の足元が血の海になっていた。呆然と立ちすくむ足元の血溜まりはゆるい雨にどんどん流されて薄まってやがて側溝の泥と混じっていく。

「大丈夫ですか!!」とSさんが駆け寄って来たが痛くて声が出せない。とりあえず口の中のベロで指先を確認できたのでちゃんと付いていることは確かだ。それなら大丈夫だと恐る恐る指を見てみると傷口からじわじわと血が溢れ出て来ている。ジンジンと痛みは続いていたが「ちょっと絆創膏買ってくる!」とその足ですぐそばのセブンイレブンまで。と買ってきたマキロンをどばどばと振りかけ絆創膏で手当をしたのだが一向に血が止まらないので布巾で指をぐるぐる巻きにした。「どうします?引っ越しの続き。。。それじゃあ出来ないでしょ?」と言われたのだが一人でやらせるわけにもいかないので「大丈夫、大丈夫!」と作業を続けることにした。僕としては打撲と傷くらいで済んでいて欲しいという願望も含めてあまり意識しないようにして荷物を運び続けた。左手の中指だったのでうまいこと使わずに荷物を持てたのが不幸中の幸いだった。結局3往復して引っ越しは終った。

Sさんは新しい事務所に泊まると言う。トラックを五反田で借りたので本棚やら本やらCDやらいくつかの荷物を一人で自宅まで持って帰りそのまま戻ってきてトラックを返しがらんとした今までの事務所で仮眠をとることにした。明日はまた朝から何かといろいろあるのだ。寝袋だけ置いておいたので朝方5時過ぎにやっと一息ついた。ちょっとでも寝ておこうと横になったのだが指が痛くて眠れない。心臓が指先に付いているんじゃないかというくらいドクドクいっている。あぁ~これはただでは済まない痛みだなぁとがっかりしながら目をつむった。うとうとするとすぐに指先に神経がいく。どっくんどっくん。布巾をぐるぐる巻きにしてその上からガムテープでしっかりと止めてあるので傷の様子は見ることが出来ない。それでもエイリアンの卵のように僕の指先は何か得体の知れないモノのように脈打っているのだ。

結局満足に寝ることも出来ずに8時頃に起き出し掃除機をかけトイレをキレイに掃除して新しい事務所に向かった。ネットの工事やら電話会社やら続々やってくる。僕は合鍵作りやこまごまとした荷物やらを取りに新しい事務所と前の事務所を自転車で往復していた。忙しくしていれば傷もそのうち癒えるかもしれないと自分を誤摩化しながら。しかしそんなバカみたいな夢も叶うはずもなくとうとうギブアップ。早くしないとエイリアンが生まれてきそうだ!なんとかスマホで近所の病院を探す。スマホで何かを検索するなんて初めてのことだった。

とにかく一番近くの病院へ。そこは僕が通っていた歯医者の並びにあった。ビルの6階だ。2時からということなのですぐに診てもらえるようにちょっと前に病院へ向かう。混んでいたらいやだなぁ。

6階でエレベータを降りたらすぐに病院の入り口だった。なんというかそこは時代から取り残されたような昭和の匂いが漂うあきらかに「信用出来ない病院ランキング」第一位の様相を呈している病院だった。

「しまった!しくじった!」

 

つづく。。。

ブログを更新した。

驚いたことに3年ぶりだった。

僕としては「1年ちょっとくらいかなぁ」と思っていたのだが。

一年前に小学校の時の友だちと30年ぶりに会ったのだが今年の夏も集まろうということで4人で集まった。「去年の夏以来か~!」と4人のうち3人が一年ぶりの再会を喜んでいたのだが、一人だけ「いや、前に集まったのは2年前だったよ」と。そいつが一番しっかり者で、あとの3人はポンコツだからみんなすぐに納得したよ。「2年前なの!?」ってね。ビックリしたけどなんの疑問も抱かずに。3対1で1の勝ち。とんだ民主主義だな。まあでもホントに2年前だったんだけどね。

時が加速している。

そんなこともあって昔のブログを読み返してみたのだがほとんど記憶に無いことばかりだった。

「ドラマを見て毎回泣いている」と書いてある。なんのドラマなのかまったく思い出せない。「友だちが遊びに来た」と書いてある。誰が来たのかまったく思い出せない。

本当に怖くなってしまったんだ。

何かの出来事を忘れてしまうことはまあ仕方ないさ。忘れてしまえば無かったも同じ。でもその時の感情まで忘れてしまうのはなんだか納得いかない。自分が消えてなくなってしまったような気がするんだ。怒ったり笑ったり憤ったりふてくされたりしたことが何もなかったことなんて!じゃあ今のお前はいったい誰だ!?何に感動して何に涙を流し何に大口開けて笑ったんだ?

ブログを読み返してみると「あ~そうそう!そんなこともあった!こっせつがいなくなって悲しい気持ちで夜の町を探して歩いてたんだ!」とあの時の光景が浮かんでくる。もしかしてブログを書いていなかったら僕はのら猫たちとの日々すらもぼんやりとしか思い出せないのではないだろうか。本気でそう思った。ブログを書かなくなってこの3年間のことが、いろいろあったはずなのにあまりよく覚えていないことに愕然とした。娘が結婚したのはいつのことだ?銀婚式で伊勢神宮に行ったのは家族で京都に行った前か後か?あいつと最後に会った時になんだかケンカになったようなならないような気がするんだけど?「真実を見つけた!」ってそんな気になってたけどあれはいったいなんの真実だっけ?

しおしおのパー。

もうね、とにかく書いておかなくちゃ忘れてしまうんだ。

若い頃、「もう俺に想い出なんかいらない!頭の引き出しにはどんどん詰め込まなくちゃならないことがあるんだから!これからの過去もみんな忘れてしまえ!」とブリキの太鼓の少年のように強く自分で決断したことがあった。電車に乗って過ぎ去った駅を忘れるように。とにかく先へ先へ。そうしたらホントにいろんなことを覚えていない人間になってしまった。人間の意志のチカラは凄いものだ。

でももうそろそろいいんじゃないかな。意外と昔のブログを読んでみたら面白かったからね。ホントに日記みたいで。「のら猫観察日記」というのも猫たちと離れてしまった今となってはどうかと思ったが、まあある意味僕がのら猫みたいなもだから自分観察ということでいいじゃないか。

70歳くらいになったらこのブログを読み返すんだ。その時のために書いていこう。おじいちゃんになった僕がこれを読んで「こいつバカだねぇ~」と笑えるのか。それとも「まったく変わってない・・・」と愕然とするのか。

さあどっちだ!

結果は15年後。願わくば静かな微笑みをたたえて「そんな時代もあったのぉ」と今の僕を許してくれていますように!頼んだよ、おじいちゃん!

自転車で通勤途中、歩道の傍らでランドセルを背負った小学生がうつむいて立ちすくんでいた。

1・2年生くらいだろうか。学校帰りかな。

うなだれて一点をじっと見つめている姿は遠くから見ると何かを探しているようだった。

信号待ちをしながら見ているとその少年の前に庚申塚が建っていた。何か書かれているものを読んでいるのだろうか。

信号が変わったのでゆっくりとその子の横を通り過ぎる。何をしているのだろうか。微動だにしない。

ふと見るとだらんと下げた両手を身体の前でしっかりと握りしめていた。

祈っていたのだ!一心不乱に。鳥肌が立った。

こんなまだランドセルに背負われているような少年がいったい何を祈るというのだろう。

妹がこの交差点で事故にでもあったのだろうか。それともただ親のしつけでそういう習慣になっているのか。運動会の日に雨でも降れと願っているのか。千葉県の電気が早く復旧しますようになのか。

その子は胸の前でもなく手のひらを合わせるのでもなくなるべく目立たないように手を下に降ろしたまま、しかしその手は強い力でギュッと握りしめられていた。

たぶん人通りのある交差点であからさまな祈りの姿勢は抵抗があったのかもしれない。

自意識が芽生え始めたばかりのココロの中に「恥ずかしい」という思いもあったのだろう。

それでも彼は祈らずにはいられなかった。

僕はそこに本当の祈りを見た気がした。

目立たぬようにそっと立ち、手を上げずにしかししっかりと握って。美しい姿だった。

けなげで純粋で一生懸命でありながら周りを気遣う気持ちを持っている。

そういう姿に僕は惹かれる。

正しいことをしているんだから何を恥ずかしがることがある!

間違ったことを言ってるわけじゃないんだから声を大にして言うよ!

そういう人たちであふれかえっている世の中でその子の身体の前で組んだ手が僕にはとても美しく見えた。

そう思うと同時に僕は「これはシャッターチャンスだ!」と思った。

自転車を止めて斜め後ろからその祈りの子を狙うのだ。いい絵が撮れるぞ!

でも僕は自転車を止めなかった。そう思った自分がちょっとだけ恥ずかしくなったのです。

カメラマンでもないくせに何を考えているのか。

でも本当は撮りたかった。

戦場で写真を撮り続けるカメラマン。目の前で傷ついた人を助けずにどうしてファインダーを覗いていられるのか。

その惨状を伝える使命だということもあるだろう。

もしかしたらカメラを投げ捨てて助けたい思いを抱えながらも写し続けたのかもしれない。

でもやっぱり本当の所は写真家として自分のココロが震える瞬間を切り取りたかったのではないだろうか。

それは使命だとか責任だとかの理屈ではなく問答無用でシャッターを押していたのだと思う。一人の表現者として。

そこまで考えていたらもうその少年はずっと遠くに行ってしまっていた。

たぶん僕には表現者としてそこまでの覚悟はなかったのだろう。

自転車を停めてポッケからスマホを取り出しちょっとだけ車道にはみ出しながら歩行者が通り過ぎるのを待って構図を決めて見知らぬ子どもの後ろ姿のシャッターを押す。

ココロから残したいと思った風景を一瞬の判断で見送ってしまった。

それこそ恥ずかしいことだ。自分の不甲斐なさにがっかりした。

まあカメラマンって訳でもないし普段から写真を撮っているわけでもないのだからそこまで落ち込むこともないのかもしれないけど、やっぱり自分の心が反応した時ぐらいはなりふり構わず動けるような人になりたい。

昼間。林試公園の横を自転車で走っていると、突然横から猫が飛び出してきた。
たまに見かけるこっせつによく似たきじとらだ。
「危ない!」
ギリギリのところで衝突は免れたのだが僕の自転車にはまったく気がついていないようだった。
どこまでぼんやりしてるんだよ!
自転車を停めて後ろを振り返ると室外機の上に留まっていたカラスがちょうど飛び立つところだった。
そうか、あのカラスに夢中になっていて僕の自転車にまでは頭がまわらなかったんだな。
間一髪で逃げられたものだから猫は凄い勢いで後を追いかける。
興奮しているぞ!
獲物を追いつめるサバンナのチータのようだ。
それ!いけ!捕まえろ!
と、思った瞬間あろうことかカラスがくるりと身を翻し反撃に出た!
ビックリした猫は追いかけた勢いそのままで回れ右をして藪の中に逃げ込んだ。
なんともトホホな展開です。
そばまで行って見てみると耳をぺったんこにしてうずくまっている。
カラスに威嚇されながら。
カラスもカラスだ。
僕がすぐそばにいるのにもかかわらずちっとも逃げようとしない。
このままだと僕がカラスに追いかけられるはめになりそうなので早々に退散した。
実際のところ、どちらがホントに強いんだろうなぁ。

5月に入って裸足の季節がやってきた。
ふとサンダルの足元を見るとアフリカの子どものようにかかとがガサガサ。
こういう時はと昔何かで見たのを思い出して軽石を買ってきた。
お風呂場でかかとを擦る。
なんとなくツルツルになってきたような気がする。
そういえば膝とか肘とかも白くなっている。
角質ってやつだな。
ついでにこいつもやっつけてしまおう。
ということでゴシゴシ擦る。
ちょっとヒリヒリしてきたので軽めのほうがいいかなぁ。軽石だけに。
次の日、両膝両肘ともにヒドイ痛みで目が覚めた。
シャツも着られない。ズボンもはけない。
一週間経った今でも両膝両肘がかさぶただらけになっている。
完全に舐めてたな、軽石を。
とまあ、そんな訳でなんやかんやあったが無事に半年をやりきることが出来た。
毎日毎日バカみたいにスクワット300回、ブリッジ6分。
いろんな誘惑があったがとにもかくにもやり続けた。
背筋を伸ばして立っていられるようにはなったのだが。。。
ポッコリお腹がペタンコお腹になったのだが。。。
いいことばかりはありゃしねぇ。

いろんな所に問題が出てきた。
まず膝と腰がやられた。
これはちょっとやっかいなことになってしまった。
300回はやり過ぎだったかもしれない。
半年もこんな辛いことしてきた割には筋力もそれほどついているとは思えない。
効率が悪いのだ。
けっこう早い段階で「筋トレは回数ではない」というのはわかっていた。
それでもゆるゆるのカラダには厳しい試練も必要だと思いとりあえず黙々と決めたことをこなしてきた。
そして半年。
ここらへんで見直す時期がきたようだ。

スクワットのせいなのか自転車のせいなのかそれとも歳のせいなのかはわからないが驚くほど痩せた。
久しぶりに会う人みんなに「痩せたねぇ。」と言われる。
「なんだかペラッペラになったんじゃない?おじいちゃんみたいだよ?」
余計なお肉が削ぎ落とされていくのはある種快感でもあるのだが。。。
上半身の筋肉が歳とともになくなってしまったので肉が落ちたら薄っぺらになってしまった。

ということでシーズン2に突入することにした。
これからの半年は全体のバランスを見ながらまっすぐ立って歩けるカラダを作っていくこと。
弱った筋肉をきちんとメンテナンスしてあげることによって
しっかりとした生活するのに困らないチカラを取り戻さなければならない。
心と身体の繋がりを身にしみて知ってしまったからには寝転がって映画ばかり見ているわけにはいかないのだ。