{3AB3CAB9-53C4-4F43-B82D-3C6CD14283D5:01}

{3D3FD314-76E4-45BE-9119-A84FA34802E3:01}

http://youtu.be/wc0LIZ7hMNI


人気ブログランキングへ


契りきな  かたみに袖を しぼりつつ

  末の松山  波越さじとは


末の松山は絶対に波が超えることがないといわれているように、二人は絶対に心変わりしないと、袖を涙で濡らしながら固く誓い合ったよね。


***

この歌も純な恋の歌ですが、四十番、四十一番と違うのは、こちらは両思いだということです。
作者の清原元輔は、『枕草子』を書いた清少納言の父です。
まさに、この子にしてこの子(娘)あり、といった感じがします。
そして三十六番歌の清原深養父は元輔の祖父ですから、「百人一首」に近親者三人が選ばれていることになります。


この歌は、元輔が友人の藤原惟規(のぶのり)のために、詠んだものとされています。
ちなみに惟規は紫式部の弟です。
藤原惟規には、永遠の愛を誓った女性がいたわけです。
それこそ、涙を流しながら「ずっと一緒だよ」と言い合った仲でした。
ところが相手の女性は心変わりしてしまいます。
しかし、惟規の彼女を愛する気持ちは変わらず、ますます慕情がつのっていくわけです。

歌からは、自分を捨てた女性を恨む気持ちは微塵も感じられません。
むしろ、捨てられてもなお相手を思い、変らぬ愛を抱き続ける男の純情と、そういう友を気遣う男友達の優しさが、この歌からあふれ出ています。
どこまでも純。
どこまでも男。
そして男は、どこまでも女性に優しくあるべきという、日本男児(やまとおのこ)の心が、この歌のテーマになっているのです。



===========


豊玉毘売の切ない愛を分かりつつも、女性の意思と立場を尊重するのが日本男児(やまとおのこ)の変わらぬ愛なのです。