http://youtu.be/wc0LIZ7hMNI
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契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
末の松山は絶対に波が超えることがないといわれているように、二人は絶対に心変わりしないと、袖を涙で濡らしながら固く誓い合ったよね。
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この歌も純な恋の歌ですが、四十番、四十一番と違うのは、こちらは両思いだということです。
作者の清原元輔は、『枕草子』を書いた清少納言の父です。
まさに、この子にしてこの子(娘)あり、といった感じがします。
そして三十六番歌の清原深養父は元輔の祖父ですから、「百人一首」に近親者三人が選ばれていることになります。
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この歌は、元輔が友人の藤原惟規(のぶのり)のために、詠んだものとされています。
ちなみに惟規は紫式部の弟です。
藤原惟規には、永遠の愛を誓った女性がいたわけです。
それこそ、涙を流しながら「ずっと一緒だよ」と言い合った仲でした。
ところが相手の女性は心変わりしてしまいます。
しかし、惟規の彼女を愛する気持ちは変わらず、ますます慕情がつのっていくわけです。
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歌からは、自分を捨てた女性を恨む気持ちは微塵も感じられません。
むしろ、捨てられてもなお相手を思い、変らぬ愛を抱き続ける男の純情と、そういう友を気遣う男友達の優しさが、この歌からあふれ出ています。
どこまでも純。
どこまでも男。
そして男は、どこまでも女性に優しくあるべきという、日本男児(やまとおのこ)の心が、この歌のテーマになっているのです。
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豊玉毘売の切ない愛を分かりつつも、女性の意思と立場を尊重するのが日本男児(やまとおのこ)の変わらぬ愛なのです。