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   ちはやぶる  神代も聞かず  竜田川

     からくれなゐに  水くくるとは

十七番歌は平安の色男、在原業平の詠歌です。昔から美男子の代名詞のように言われている業平ですが、『日本三代実録』には、「体貌閑麗  放縦不拘  略無才学  善作倭歌」と紹介されています。
意味は、「見た目もよく、物腰が優雅で、性格は自由奔放、学問はできるほうではないけれど、よく良い歌を作る」です。


ちなみに、「とうきょうスカイツリー駅」の以前の名前は「業平橋駅」でした。江戸の初め頃、業平塚があった場所に業平天神社が建てられ、その名が残っていたのです。
紅葉が竜田川に流れ、川が真っ赤に染まっている。
その様子は、さまざまな不思議な事象が起こったという太古の神々の御代にさえ聞いたことがないほど見事なものだなあ


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『ところでモテ男の業平は、実は小町も落そうと狙いました。
そこで贈った歌が
 秋の野に笹分けし朝の袖よりも
 あはで寝る夜ぞひちまさりける

秋の野に分け入ったときに、朝露で袖が濡れてしまうけれど、あなたと逢わないで寝る夜は(あなたと逢えない淋しさで)袖が濡れてしまいます。それくらい淋しいのですよ、と、こうやったわけです。
すごいラブレターです。
これならどんな女性でも、イチコロかもしれません。

すると、小町から、すぐに返事が来たそうです。
 みるめなきわが身を浦と知らねばや
 離れなで海人の足たゆく来る

あなたは、私を得物がないのにしつこく海にやって来る海人のようですわね。
さしもの業平も、小町の前に撃沈でした。』

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1960883/1969016/93442922


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『伊勢物語』は、数行の簡単なシチューションの紹介がある分、歌意がとりやすく、わかりやすいですが、逆にその分、歌の解釈(歌から想像できるイメージの膨らみ)が限定されてしまうという点もあります。
けれど、意外とこの段、深い意味があるのです。

そこでいつものように、おもいきった意訳で、現代語に訳してみます。

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京の都から少し南に下った水無瀬(みなせ)という所に、惟喬親王(これたかしんのう)の離宮がありました。
毎年、桜の花ざかりになりますと、親王はいつも、19歳年上の在原業平をお供にしていました。
親王と業平らの一行は、鷹狩などはしないで、もっぱら酒を飲みながら、いつも和歌に興じていました。
お題は、鷹狩であったり、離宮の桜であったりしました。

馬を下り、桜の木の下に座って、枝を少し折って、かんざしにのように髪に挿し、身分の高い人も中ぐらいの人も低い人も、みんなで歌を詠みました。
お酒も入っているし、「さて、なんと詠もうか」などと、みんながワイワイと騒いでいます。
そんな様子を見ながら、業平が、

 世の中に
 たえてさくらの なかりせば
 春の心は のどけからまし

(世の中に桜の花がなかったならば、みんな、このように頭を悩ませることもないでしょうに)

と詠みました。すると別な誰かが、



 散ればこそ
 いとど桜はめでたけれ
 憂き世になにか 久しかるべき

(桜は散るからめでたいのです。浮世に久しいものなどないのですから)

と詠みました。
たとえ頭を悩ませようと、桜が咲き、花が散る。その風情があるからこそめでたいし、そもそも浮世(憂き世)に、久しいものなどないのですから、というわけです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2595.html




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