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   立ち別れ  いなばの山の  峰に生ふる

        まつとし聞かば  今帰り来む

この歌を詠んだときの行平は三十七歳、まさに働き盛りの壮年です。
今でいったら、大手企業本社の部課長級に近いかもしれません。
東京本社にいて辣腕を振るっていた人が、ある日突然、地方支店勤務を命ぜられるという話はよく聞きます。
それは、派閥争いに敗れてのことか、定期異動によるものかはわかりません。
しかし、職業人が、ひとたび赴任を命ぜられれば、当然のごとく、そこに骨を埋める覚悟で赴きます。
もちろん行平も、その覚悟でいます。だからこそ、「峰に生ふる松」になろうと言っているのです。
けれどその一方で、「私の帰りを待っていると聞いたならば、すぐにでも戻ってきましょう」と詠っていますから、自分を本社でまた起用してくれるというなら、再び帰ってきて、思う存分腕をふるいたいという思いも同時に持っています。

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この在原行平の歌は、一般に言われているような、別れを惜しむとか、早く帰ってきたいだとか、そういう単純な気持ちを詠んだ歌ではありません。
「松」と「待つ」の掛詞を用いることで、胸中に同居する二つの思いを読み込みながら、職業人はここように生きるべきだという、強い覚悟を示した歌なのです。