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  君がため 春の野に出でて  若菜摘む

      我が衣手に  雪は降りつつ

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光孝天皇が即位されたのは、55歳のときです。
ある日のこと、群臣が居並ぶ御前会議の席で、大臣たちの喧々諤々の議論を黙って聴いていた光孝天皇は、懐から懐紙を取り出し、この歌を詠み上げました。
それはまだ天皇が親王殿下だった、お若いころの歌でした。

若いころにいう「君がため」と、年輪を重ね、天皇となってからの「君がため」では、意味が違います。
なぜなら、君は目上の人を指す言葉ですが、我が国では、天皇より目上の人はいないからです。

シチューションは、昭和天皇が大東亜戦争の開戦の御前会議で、懐から明治大帝の御製「四方の海皆同胞と思ふ世になど荒波の立ち騒ぐらむ」と詠み上げられた様子によく似ています。
光孝天皇が御製を詠じられたときの会議が、どのようなことを議論する会議であったのかは、伝わっていません。

けれど、天皇にとっての君は、おおみたから以外にはありません。
そうであるとすると、この歌は、
「おおみたからのために若い命を摘む。そのことは私の衣や手を冷たく濡らす」と詠んでいることになります。
ひらたくいうなら、国のために希望を持って朝廷に馳せ参じてくれた若者達の前で、大臣である君たちはいったい何をやっているのだ」、という光孝天皇の深いお悲しみが歌に込められています。

政治は、天皇のおおみたからである民を守るためのものです。
そのためにこそ、群臣百卿があります。
その意味を、もういちどしっかりと考えなさいというのが、この歌に込められた光孝天皇のメッセージであろうと思います。

光孝天皇は、たいへんに御聡明な方で、歴史書をよく読まれ、容止閑雅で謙恭和潤、慈仁寛曠で最も人事に通じた非凡な天皇であったといわれています。
天皇即位後も、不遇だった頃のことを忘れないよう、かつて自分が炊事をして、黒い煤がこびりついた部屋をそのままにしておいた、という逸話も残っています。

光孝天皇は9世紀の終わり頃にご在位された天皇ですが、そういう先人たちの国想う厚い志のもとに、いまの私達日本人がいます。
戦後の私達日本人は、何かとても大切なことを忘れてはいないでしょうか。

軍配なずな


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『君が代のお話』
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1602.html

「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう

そんな意味の歌である、ということになります。

戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。

そんな歌が、いまから千年以上前に生まれ、たいへんにおめでたい素晴らしい歌として、勅撰和歌集にも繰り返し掲載され、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していたのです。

千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれる歌を、我が国の国歌としているということ自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。



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http://youtu.be/-M5F1fCpRAM



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