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   我が庵は  都の辰巳  しかぞ住む

         世をうぢ山と   人はいふなり


私が住んでいる場所は、都の東南にある宇治で、そこは鹿が棲むような鄙びた田舎だけれど、そんな田舎だって、周囲を見渡せばみんな氏を持っている。
気がつけば世は氏の山だらけだよ。
みんながこうして氏をもらい、隷民でなく、人間として生きてゆけるって、素晴らしいことじゃないか。
それってとってもありがたいことだよ。
だからね、私は自分の名前を喜びの選択で、『喜撰』としたのだよ



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「氏」は、「同じ人を祖先に持つ集団」のことでした。
ですから、たとえば織田とか松平、あるいは榊原、井伊、酒井などの「氏」を持つ者は、みんなご先祖が同じ人だったわけです。
この「氏」については、8世紀に編纂された『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』というに詳しく記載されていて、この本にはもともと日本にいた人たちがどういう姓なのか、渡来人はどういう姓なのかが全部記録されています。8世紀の時点でそのようなことができた国は、世界広しといえども日本だけのことなのですが、これができたのも、「氏」が同じ血族集団に与えられたものであったことによります。

農家などでは、土地ごとに集落が営まれましたから、もともとは村の名前=血族集団であったわけです。
この歴史は古くて、日本ではおよそ8千年前から稲作が行われたりしていましたから、血族集団が血族集落となり、その集落ごとに神社が営まれ、その全国的な神社がネットワーク化されて、その上に大和朝廷が成立しています。
いまでも「氏神さま」といいますが、氏神さまは、同じ村の、つまり同じ血族集団の御祖先が神様として祀られたことに発祥しています。

より引用