初めて勤務したブラック企業だったが

3年間で職員が途中でいなくなったり

精神が病んで休職等はいない職場だった

拘束時間に対して

人的マネジメントが良かったのかもと

プラスの発想がある


転職

僕はすごく特殊なタイプだった。

大卒から専門に行き、学童の先生。

働きたくないを先行した形。

つまり保育園でのキャリアは

一年目にもった3歳児のみである

年齢はもう30手前。

他の業種は難しい時期にも入っていた

転職相談しても

厳しい声が飛ぶ。

貴方に選ぶ選択肢がない

給与が下がるのは覚悟しろ

これが現実である。

僕は転職サイトからの連絡を絶った。


ある考えが先行した。

この人たちは仲介料をもらっている仕事。

つまり直接企業へ連絡。

応募すれば

仲介料も節約できて、お情けで

面接までこじつけてくれるのではないか?

面接まで行けば上手く喋ることができる

保育士は9割は人前で話す仕事である

なぜかそこだけの自信があった。


運良くこれが成功だった。

結構面接まで取り次いでくれる企業が多かった

そしてある会社の営業職に内定が出た。

とりあえず一安心、何か保険として

僕は保育の道もゆとりを持って探してみる

保育園…全て内定。

やはり人手不足は凄い。

僕は悩んだ。営業か保育士か

その時、保育士の補助金が

とても良いことに気づいた

それは借り上げ社宅制度。

家賃8〜9万が自治体が出て

ほぼ0円で家に住める。

に対して営業は家賃手当3万

全ては金なり。

僕は保育士を選んだ。


第二の転職先が決まった。(10月から)


さて初日の出来事。

僕は緊張しながらも

笑顔を振りまいて挨拶した。

皆優しそうな感じだ。

そして園長先生とお話


◯◯(僕)先生には

2歳児を持ってもらおうと思います


…今は10月

えっ、前担任は???


てっきりフリーだと思っていたら

急遽、担任が決まった。

相方の先生は年下だが

開園当初からいる先生。

関西弁でとても綺麗な人だった。

この先生も雰囲気良さそう。


僕は思い切って色々こそこそ聞いてみた

なぜ急に2歳児なのか?

前の2歳児担任は?

そしてここの歴史。

ふーん…なるほど。

園長先生は今年度からの赴任。

配置転換あった。などなど

色々聞いてから休憩の時間。

狭い休憩室に遠慮しながら入る

先に先輩の保育士が二名いて

さらに衝撃的なことを聞いた。


私たちは12月で辞めちゃうんですよー。

短い間ですけどよろしくお願いします。


……?

この園もしかして?

ブラッ…と思い始めたが

この場はぐっと飲み込んだ


退勤時間までのびのび保育。

やっぱり乳児は可愛いと同時に

どこまで配慮するか勉強になるなー

としみじみ反省。

なにより前職と違う所。

定時に帰宅できる。

僕は知らない世界で困惑した。


残業しないように全員で協力して

保育を回していた

ワンマンプレーだった前職とは大違い

全員が仕事できるように感じた。


その感動に浸っていたが

帰りの挨拶をしようと

事務所によると

園長先生はある対応に追われていた

 ◯◯ちゃんのママ怒ってましたね

 うーん。どうしよう。

 一年間に3回も担任が変わるなんて

 って…と


僕はビックリしながらも

無表情で聞き流しつつ

帰りの挨拶をして退勤する。


月日を重ねていくと

少しずつ理解できる

園長先生のとんでもない性格について


そんな園で3年過ごすことになる僕だが

おそらくこの園で過ごしたことが

僕をうつ病にする原因になると思っている。


ここでの経験は相当濃く

さらに世間ではコロナが押し寄せてくる


一年で5名の職員がいなくなる話を

次回からしていこうと思います。


次回、保育士への道、僕はいいから先に行ってくれ。消えゆく仲間たち。