事業所から、更にY川下流に行った応援部隊から、堤防が崩壊(地盤の液状化)して2~3m低くなっているとの報告が入る😳!

(参考)次のサイトの最初の方に当時の堤防の写真があります

その後、更に、続々と応援部隊が到着→🚙下流に向かって行きました

委託の方以外では、いまだに事業所にこれたのは私ひとりだったので、なんかえらいことになってるようだが、相変わらずも事業所居残り😥

そして待ちかねた弁当が届くも、委託の人の分がない😳!?!

その日の夜(やったかな?~はっきり覚えてない)、上部機関のサブボスが来たとき

「委託の人も、本来委託内容とは関係ない業務まで手伝ってくれて、ろくに飯も食わずに頑張ってるのに、なんで飯ぐらい出せないんですか💢」

って、噛みついたら、確か、次の日から、委託の人の分も🍱出るようになりました😅

~オレも若かった~

うちの事業所の所長が来たのは3日後だったか?!

所長は、姫路在住(いつもは長時間通勤)だったので、神戸方面の交通の途絶の影響で、姫路から播但線~ぐるっと北の方を経由して大阪のウチの事業所にたどり着いたとのことで、やっと来てくれました😊助かる~😍

所長は、その後1ヶ月間事業所に泊まり込み、関東や各地からの応援の人らと共に、最初は机やテーブルに突っ伏して、そのうち、ひとり1枚の畳をコンクリートの土間にあてがわれて、毎夜、せんべい布団で睡眠をとってはりました

大阪とはいえ、寒かったと思います

私といえば、やっと1週間後、被災箇所を見に行き(前述の写真のところ)自分が何か良いことも悪いことしたわけではありませんが、とにかく、悔しかったです

(↑Y川河口に沈む夕日、新しくなった堤防の上から、2024年9月撮影)
とりわけ、悔しかったのは、「河口付近で堤防から水が溢れている」という電話が、上部機関に入り、その確認に慌てて現地(夕日の写真の少し向こう)に行った時です
現地で、無線を使い、異常がないことを報告しながら思ったのは~(地震でたくさんの人が亡くなり、住むところが奪われたり、苦しんでいるときに、デマやフェイクを流し、へとへとになって対応している我々を更にかけずりまわして、面白がっている奴がいる)と…えーん
あの時は、無線機を持ちながら無性に泣けてきたのを覚えています

その1週間は訳がわからないまま過ぎました

とにかく、何か情報📞が入れば、夜昼かまわず対応にあけくれ、指揮権のある人に指示を仰げないときは、とにかくそこにいるメンバーが集まり、意見を交わして臨機に対応、連絡などが取れれば、報告し、指示を仰ぐといったことなどを日々繰り返し、夜、寝れる状況になったら、机に突っ伏して寝る😴という状態で、何時間働いたのか、何曜日なのかわからない状態で、1週間(程度?)の事業所缶詰めはおわりました

で、久しぶりに我が家に帰りました🛵💨

家に着くと…なんとびっくりびっくりマーク

(↑当時住んでたところ、9年前の写真、今は取り壊されて、戸別住宅がいくつも建っています)




もっと、辛いことにみまわれた方の話しは、当時、いくつもききました

私は、身内に不幸もなく、かけずりまわっただけです

本文に気を悪くされた方がおられましたら…誠にすみません🙇‍♂️


適当な写真が無いので、字ばっかりになってしまいました、すみません🙇‍♂️