戦後の左翼(リベラルと自称する者も含む)や、何となく戦後教育のまま過ごす日本国民はあまりよく考えていないのではなかろうかと思うわけです。

ですから、毎度長文にて問題提起しているのです。


『戦争反対』と綺麗事を言って、二言目には『憲法9条』がそれを実現しているかの如く声高に宣うて謎の病身舞を踊る左翼集会を目にしますね。

そして何故か我が国の戦前にまで『憲法9条』を拡大して解釈し出すのです。

全くアホとしか言い様がないと思います。


この世には『戦争』と言う『暴力』を以てしか決着の出来ない事があるのです。故に闇雲に『暴力』を否定したところで何も生まれません。

そしてまた暴力を否定もせねばなりません。

この『暴力』を『否定』する為に『暴力』を『用いる』事があると言う現実を理解しておかねばならないのです。


例えば、第二次世界大戦でのナチスドイツの侵攻(進行)を軍事力と言う暴力がなければ止められなかったことは世界中誰もが知っていますし、これを否定する人は皆無でしょう。


例えば、百歩譲って左翼側に立って考えりならば政府や軍が暴走し侵略と戦争をしてきた大日本帝国の暴力を止めたのは、国際法を無視した米国の暴力です。

広島・長崎の原爆は我が国が侵略と戦争をやったからだと言うならば『国際法を無視した非人道的な暴力』が我が国の暴走を止めたと言う事です。


それが現実であると言う角度で見るならば、核武装は暴力を止める事が出来る或いは暴力を振るわれる確率を下げる事が出来ると言えるわけです。


戦後、我々が戦前の様な戦争に巻き込まれなかったのは『憲法9条』があったからではなく圧倒的軍事力と言う暴力装置を保持する米国と同盟を組んだと言う事が大きな要因で、憲法が国民を戦禍に巻き込まれることを防いだ等と言う事はありません。

憲法が国民を守れたなら拉致被害者は存在しません。

そして拉致被害者はとっくの昔に全員帰国出来ているはずです。

憲法9条があろうとも彼の国はお構いなしに部活帰りの少女を拉致して返しもしません。


何故こんな事態に我が国が陥っているのか?

答えは簡単です。

闇雲に『平和』などと美辞麗句を並べて暴力を必要以上に否定しているからです。


そして美辞麗句を並べたてる連中こそが何故か万能感丸出しに『暴力』を振るっているわけです。

その犠牲になった事件が辺野古での女子高生の死と言う事です。


憲法9条は戦前の日本人を救いもしなければ、戦後の日本人を守りもしません。

そして現憲法9条に最も反対したのは日本共産党であった事は日本人が周く知っておかねばなりません。