タイトルをご覧になって
ドン引きなさる方がほとんどだと思います。
私も、親と絶縁なんて好きでそうなったことではありません。
離れないとこちらの精神状態が
もう、限界でした。
🐕🐕🐕🐕🐕
結納、前撮り、結婚式、披露宴、と、行事をなんとかこなし、
(初めての方はブログ右のテーマの「結婚までの経緯」をご参照ください)
新生活が始まったものの、
義父母からの攻撃は激しさを増します。
🐕
こちらの都合もお構いなしで
まずは、電話攻撃。
何百回も鳴り止まないコール音。
電話に出ないとFAX攻撃。
巻紙か!? と思われるような長文で、
ロール紙を補充してもしても焼け石に水状態。
ロール紙を外して受信不能にすると
梅雨彦の勤務先にまで電話してくる始末。
(当時、携帯はなかったのです、、)
そのやり取りの細かい内容は、
思い出すのも辛くて、
今はまだ詳細は書けません。。。
もう少し、気持ちに余裕が出てきたら書こうと思います。
いえ、現実にあったこととして、記録として、
書かなければ。。。
その時は、アメンバー限定記事になると思います。
義父母の暴言は、
梅雨彦でさえ音を上げるようなひどいもので、
梅雨彦、自ら、両親と絶縁状態を選びました。
結婚式から約一年たったころのことです。
それ以来、全く交流はありません。
以来、義父母から添え書きなしの年賀はがきが届くだけ。
梅雨彦は、返事を出すこともありません。
連絡を絶った当初、
義父母は、私の指図で
梅雨彦が自分たちをないがしろにするよう仕向けている、
と思い込み、
私の実家にまで押しかけて、父に直談判してきましたが、
義父母の行状をすべて把握している父が取り合うはずもなく、
「もういい大人なのだから、夫婦のことは2人に任せている」と
玄関先で追い返したそうです。
そこでもまた、自分たちの都合のいいように解釈します。
「ころ子は、父親にまで匙を投げられている手の付けられないバカ娘」と
罵られました。
どこまで行っても自分たちこそが正しいと主張する宇宙人義父母。
🐕
絶縁状態になり、
義父母に振り回されることもなくなって、やっと前に進める。
たいへんなこともたくさんあるだろうけれど、
お互いの価値観をすりあわせながら、
小さなことでも話し合い、
助け合いながらやっていくんだ。
服装とかで常識外れのところがあるけれど、
あんな両親に育てられたのだから仕方がないかも。
服装ぐらい、ころ子が整えてやればいい、と
私の両親も言ってくれている。
10年間も私のことを大切に思い続けてきてくれた梅雨彦となら
パートナーとして信頼していける。
これからはふたりで歩んでいくんだ!!
🐕
今になってわかることなのですが
そう思っていたのは私だけだったのです。
🐕🐕🐕🐕🐕
自家繁パンジー。
こちらは鮮やかな黄色。
紫色の株が圧倒的に多い中で、がんばってくれています。
紫と黄色の取り合わせ、好き、、
補色だからお互いを引き立てあうのですね。
きれいな黄色が出てるね、と思ってくださった方、
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