アイテムの数が減った。
化粧を始めた高校卒業したてに戻った感じ。
人は60で赤ん坊に戻ると言うけど、化粧の世界も同じことが言えるんだろうか。

マスカラはヘレナ。
これはマツゲが孔雀の羽みたいに広がる。落ちにくいのが欠点。
ファイバーウィッグはお湯で落ちる優れ物だけど、繊維が目に入って痛い。
チークはシャネル。
先代シャネルは10年近くもった。年間500円の驚異のコスパ。
ファンデはクリームでCLINIQUE。
これは月500円に換算する。
カバー力があって乾かない。伸びが良く、ほんの少量ですむ。
CMやってるダーマホワイトっていう美白シリーズなんだけど、これのおかげで私が色白になってるかはわからない。
眉はオルビス。
口紅は今CM中のコフレドール。
大人かわいい色は本当。昔は口紅の新色は個性的過ぎて使えないことが多かったけど、最近のは肌馴染みが良くて捨て色がない。
確かに落ちにくい。
しっとりと言うか、ネットリした濃厚なテクスチャでライン不要。
年増のぼんやりした顔を引き締めると思う。
最近は若い娘が安い薬屋のコスメにシフトしたんで、外資系に流れてた中年女子を取り込もうと国内メーカーは大人向けを開発してるんじゃないかと思う。
CMも平子理沙、江角マキコ、椎名林檎、井川遥と30代ばっかだもんね。
本当は私達にはこれすら若い。
が、ジャストな女優さんを使うと、白髪染めとか関節痛のサプリとかになる。
その事実を思うと、「あきらめないで」なんて鼓舞されるより、あきらめた方が人生幸せになれる気がすごくする。
アイシャドウはカネボウのルナソルのあの名作。
これは本当に優秀。
今さらマブタに青や紫塗ってもキレイには見えない私のためにあるブラウン。
しかし決して大量につけてはいけない。目が落ち窪む。
アイラインも引いてたけど、かえって目が小さくなるし、やり過ぎ感が出る。
夕方になると目の下が真っ黒になるのも嫌で止めた。

年増の化粧は「アイテムは少なく」、「一つ一つの作業を丁寧に(とくにベース)」がコツな気がする。
日焼け止めはマスト。もちろん1年中。
安い投資でシミシワタルミを防ぐ。
一度できたそれにはどんなに投資しても消えないから。

ここまでくると、欲しいのは「美人」になるより、「キレイにしてる人」を印象付けることの気がする。
本当に、あがいてもキレイにならない。
もう、表面の皮膚一枚に苦心してみてどうにもならない。
顔面で自覚するニュートンの法則。
これはもう、顔にワイヤーを埋め込むか、始終逆さ吊りでいるくらいしか効果的な手段は
ない。
これからは、美しい顔形は無理だからキレイになる努力をして、生き方の美しさで褒められたい。と、老後の方針が定めることにする。

なんてね。
私が常々腹を立ててる場所に「回転寿司」がある。

回転寿司と言えば、家族連れご用達。
そのフランクな雰囲気と価格の安さは小さいお子ちゃまのいる家庭の味方。
そんな家族のパラダイスに対し何をそんなに立腹するかというと、小さなお子ちゃまのマナーの悪さと、それをまったく注意することがない両親及び祖父母に対してだ。

店に入るとまず大人達はお子ちゃまを一番レーンよりの場所に座らせる。
そもそもこれが間違ってる。
流れてくるお寿司を至近距離で眺め、欲しいネタを自分で取るのもタッチパネルを自ら操作できるのもお子ちゃまにとっては魅力だろう。
何より、日頃彼らの世話でゆっくり食事を取ることもできない大人達にとって、煩わされることなく食事ができるのもメリットなのも間違いない。
わかるよ。
そのとおりでしょう。

しかし、そこは公共の場であることを忘れないで欲しい。
親の干渉から解放された子供らのマナーの悪さには頭の血管がブチ切れそうになる。
レーンの寿司を、顔をくっつけるようにして覗き込む。
その状態で喋り続ける。
寿司を触る、手に取り戻す。
レーンに持たれかかるり、寿司に向かって頭をのけぞらせる。
最悪なのはポニーテールの女の子で、首を振る度に寿司に髪の毛が触れる。
そんな家族連れの後ろの席を指定された日にゃあ、レーンの寿司は絶対に取れない。
どんなに今すぐ食べたいネタが回ってきても全てタッチパネルで注文する面倒くささ。
そして私は、食事の間中、目の前で繰り広げられるお子ちゃまの傍若無人さと、野放しにする親や祖父母らを、目を三角にしてにらみつけイライラし続けることになる。

回転寿司は、店と客の間に決められたマナーがあり、それを「守ってるよね」の信用のみで成立してる場所。
バイトやパートが客に強く言わないのをいいことに、子供にやりたい放題させとくなんてのはもってのほか。
むしろ子供にマナーを教える場所であってもいいんじゃないだろうか。
でなきゃ、レーンに近い席はR指定にして、小さな子供は座れないようにして欲しい。
私としては12Rぐらいが好ましい。 いや15Rでもいい。
そして、厨房からお寿司が流れるてくる最初の席。
このポールポジョンは、できれば子連れでないお客を優先して座らせて欲しい。
「回転寿司は子供のためだけににあるアミューズメントなんじゃないのよ。
大人だけで楽しむお客もいるんだから」、という私の声にならない叫びをなぜ店側は察知してくれない?と思うが、声にしてないんだからしょうがない。
多分、店側も同じこと思ってるんだろうけど、言えないのよね。
お客だし、そうゆう家族連れの両親ってちょっと怖目の人のこと多いし。
「公共の場ってのはいろんな年代、いろんな好みの人が集まるんだからさ、最低限のマナーってのは守ろうよね。」
と、声を上げられたれたら、どんなにスッキリするだろう…、なんてイライラの合間に妄想しながら、やっぱりヤギのようにおとなしく寿司を食べるしかない私。
「あのガキ共を通過したレーンの寿司には手を出さねえ」と言うささやかな抵抗を、「抵抗」だとわかる人はいないだろうな。
今朝の新聞のコラムの「エントロピー」という言葉を聞いて、私が22歳の時、瞬間付き合った男の子のことを思い出した。

私のいた会社に出向していた23歳の子で、外観が私の好みど真ん中。
なかなか話せないけど、気になってると、なんと向こうから声をかけてくれた。
ランチに 誘われ、話してると音楽や映画とかに趣味が一致する。漫画家の卵とかで、描いて漫画の話も興味深い。
私は舞い上がり、彼を「運命の人」だと思った。
その後、会社の外でも食事に行くようになり、食事の時に彼が語った言葉に「エントロピー」があった。
長くつまらない話だったと記憶してる。
私は眠気を堪えながら彼の話に相槌を打ち続けたけど、かなり苦痛だった。
しかし、運命の人かもしれない彼の話が聞けないなんてことはないと、私は笑顔で堪え続けた。

が、その後、漫画家の卵だと言う彼の話は殆どがウソで、エントロピーが理解できる程彼に知性はなく、
他に好きな人がいる気配まで察知でき、私を家までキッチリ送り届ける紳士的なその人は、不誠実でいい加減なヤツだと言うことがすぐにわかった。
恋人に発展する前に私がフラれた形になったのだが、不誠実であろう
と、一度は「運命」を
感じただけに、私はその後何年も彼を思うと切ない気持ちになった。
今思うと、もし私の人生に「男に騙される」経験があるとしたら、あれが初めてだったんじゃないだろうか。

しかし、さらに昔の記憶が蘇った。
私は男子と付き合うなんてことは皆無の高校時代を送ってきたのだけど、一度だけ他校の男子に見初められたことがある。
それは中学の同級生の友達で、駅で私と友達が話すのを見て、「紹介してくれ」とその友達経由で話がきた。
いついつの何時、どこで待ってるからと言われ、面白がる女友達に引きずられ、気が進まない私は待ち合わせの場所に行った。
すると誰もいない。
「からかわれた!?」と、約束を信じてノコノコやってきた自分を死にたいくらい恥じた時、仲介役の男子が入ってきて、「ごめん。今日中止」とだけ告げると、バツの悪そうな笑顔を残して出ていった。
きっと彼は急用があったのだろう、騙されたわけではなかった。
初対面の男の子と付き合うのを前提とした話なんかしないで済んでよかったと安堵したのを覚えてるが、あれから30年以上たった今、ふと真相が思い浮かんだ。
見初めた彼は本当は現場に来てたのでは。
遠目に見た私に申し込むつもりでいたけど、近くで見たらかなり冴えない女子高生に、
これは告白はありえない…と、敵前逃亡したのでは。
で、仲人くんが断りの一言を伝えてきたのでは。彼も逃亡できたろうに、バツの悪い謝罪を入れてきただけ、彼はいい人だったんだろう。
もしあるとすれば、「男に騙される」体験はこれが人生初だったんだろう。
まあ、どちらの記憶も、かすり傷以下の出来事で、今となっては笑い話だけど、当時は結構痛かった。

あれから今日までの時間、私は良い女友達に出会い、様々なことを教えられ考え、美しくなることの喜びを知り、大袈裟に言えば、私なりにだが自分を磨いてきた。
外観じゃない、中身だなんてのはウソだ。
外観も中身も同時に備えなくてはならないのもわかった。
キレイな笑顔や姿勢の重要さを知り、心掛けてきた。
もちろん過去の自分と比較したレベルではあるけども、女ぶりを上げることにはある程度成功したと思う。
今が輝いてれば、過去の惨めな記憶は今をさらに輝かせるエピソードになる。
たとえ、自分の中だけの満足であっても。
タイムマシーンに乗らなくても過去は変えられるんだと思う。
初めて「騙された」(と呼んでいいのか疑問だが)日から、本格的に「男に騙される」ほど恋愛経験を積むこともなく、今私は大学生と中学生の母親になり、ささやかではあるが世間並みに幸せと呼んでいい暮らしをしてる。
ドラマチックな人生を呼び込むほど、華やかな容姿を持たずに青春を過ごしたことは、その後の私の人生を守ったのだと思ってる。