「旅行読売」4月号掲載されました。
本日お知らせするのは、手前味噌ながら当館が「創刊45周年記念号」「旅行読売」4月号掲載についてです。
「旅行読売」は、毎号楽しい旅の特集、行楽地、催し、全国の旅館・ホテル等を読者の皆さんに周知している「旅行専門情報紙」です。
今回掲載した内容は、ずばり「2時間ドラマの帝王」「船越英一郎」さん推薦の「絶景露天風呂」のひとつとしてご紹介・掲載していただきました!
「船越英一郎」さんは、「ドラマ」、「旅番組」、の多数出演していて、マルチに活躍している「名俳優」。
「文化」「ファッション」「食」に対する「造詣」が深く、「知識」、「表現力」、「見識」があり、そのような「才能」を活かし、テレビ東京の「ソロモン流」と言う番組の案内人としても知られています。
「旅行読売」に掲載された内容は、「湯につかり水平線から昇る朝日に感動」と紹介されています。
「海」から立ち昇る「日の出」は、「陽が昇る」「力強さ」と「夜が明け、陽が射す様(さま)」は観(み)る者に「感動」を与え、パワー(元気)がみなぎること間違いありません。
風薫る季節に、当館は皆様のお越しをスタッフ一同お待ちしております。
「旅行読売」は、毎号楽しい旅の特集、行楽地、催し、全国の旅館・ホテル等を読者の皆さんに周知している「旅行専門情報紙」です。
今回掲載した内容は、ずばり「2時間ドラマの帝王」「船越英一郎」さん推薦の「絶景露天風呂」のひとつとしてご紹介・掲載していただきました!
「船越英一郎」さんは、「ドラマ」、「旅番組」、の多数出演していて、マルチに活躍している「名俳優」。
「文化」「ファッション」「食」に対する「造詣」が深く、「知識」、「表現力」、「見識」があり、そのような「才能」を活かし、テレビ東京の「ソロモン流」と言う番組の案内人としても知られています。
「旅行読売」に掲載された内容は、「湯につかり水平線から昇る朝日に感動」と紹介されています。
「海」から立ち昇る「日の出」は、「陽が昇る」「力強さ」と「夜が明け、陽が射す様(さま)」は観(み)る者に「感動」を与え、パワー(元気)がみなぎること間違いありません。
風薫る季節に、当館は皆様のお越しをスタッフ一同お待ちしております。



「芝山仁王尊」と「牡丹(ぼたん)」(芝山町)
本日二つ目にご案内するのは、「芝山町」「芝山仁王尊」の「ご利益」と「牡丹(ぼたん)」です。
先ほどブログでアップした通り「芝山仁王尊」「観音教寺」は、「天台宗」の古刹です。
「観音教寺」の「芝山尊天」は昔から庶民の間で「火事・泥棒除け」の「お仁王様」の通称で親しまれ、火消し衆や商家の篤い信仰を得て「江戸の商家で火事泥棒除けのお仁王様のお札を祀らないお店(たな)はない」とまで言われていたそうです。
「芝山尊天」には、こんな話があります。
昔「与六」という信心家の家に泥棒が入り、つづらを背負って立ち去ろうとしたところ、壁に祀った「お仁王様」のお姿が、忽然(こつぜん)と紙から抜け出し、盗賊を睨(にら)むと、目から金色の光を放ち、盗賊が腰を抜かし被害に遭わなかったそうです。
また「芝山仁王尊」には、「新門辰五郎」に所縁(ゆかり)があるそうです。
大正時代に、「客殿」と「庫裡」を再建するための資金の一部として「浄財」が「両山講」より寄進され、その記念に建立された「記念碑」があります。
「両山講」とは、「成田山」と「天應山」(芝山仁王尊)の両山を参詣する講中(グループ)のことで、その歴史は江戸時代の町火消し「を組」の「頭領」「新門辰五郎」に遡(さかのぼ)ります。
「新門辰五郎」の「新門」は浅草寺僧坊の「伝法院」の新門の門番を任されたことに由来すると云われ、「鳶職」や「香具師」等の取締りもする人物だったそうです。
その「新門辰五郎」の影響下にあった人達が講を組織し、近代まで熱心に「火事・泥棒除け」の「仁王尊詣り」をしてきていたそうです。
「芝山仁王尊」では、み仏をお祀りする処は浄土であるという理念の下に、「桜」を始め境内を四季折々の花木で埋め尽くしています。
「椿」、「桜」、「牡丹」、「つつじ」などが咲き誇り、今の時期だと「牡丹」が盛りをむかえています。
(5月には「つつじ」が咲き誇るようです。)
「芝山仁王尊」の「牡丹」は約300株が植えられていて、4月下旬~5月上旬にかけ美しい花を咲かせます。
ゴールデンウィーク期間中は「ボタン祭」が行われるようです。
「芝山仁王尊」は「火盗難除け」の「お仁王様」であり、花木で満ち溢れた「天台宗」の古刹です。
季節の花「牡丹」を愛でに「芝山仁王尊」「観音教寺」までお出かけください。
「芝山仁王尊」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山298
問合わせ 0479-77-0004
備考
「芝山仁王尊」の境内は一万坪に及ぶ広さを誇り、「県文化財」の「三重塔」など「七堂伽藍」が甍(いらか)を競い、御利益を求める多くの参詣者で賑わっているそうです。
先ほどブログでアップした通り「芝山仁王尊」「観音教寺」は、「天台宗」の古刹です。
「観音教寺」の「芝山尊天」は昔から庶民の間で「火事・泥棒除け」の「お仁王様」の通称で親しまれ、火消し衆や商家の篤い信仰を得て「江戸の商家で火事泥棒除けのお仁王様のお札を祀らないお店(たな)はない」とまで言われていたそうです。
「芝山尊天」には、こんな話があります。
昔「与六」という信心家の家に泥棒が入り、つづらを背負って立ち去ろうとしたところ、壁に祀った「お仁王様」のお姿が、忽然(こつぜん)と紙から抜け出し、盗賊を睨(にら)むと、目から金色の光を放ち、盗賊が腰を抜かし被害に遭わなかったそうです。
また「芝山仁王尊」には、「新門辰五郎」に所縁(ゆかり)があるそうです。
大正時代に、「客殿」と「庫裡」を再建するための資金の一部として「浄財」が「両山講」より寄進され、その記念に建立された「記念碑」があります。
「両山講」とは、「成田山」と「天應山」(芝山仁王尊)の両山を参詣する講中(グループ)のことで、その歴史は江戸時代の町火消し「を組」の「頭領」「新門辰五郎」に遡(さかのぼ)ります。
「新門辰五郎」の「新門」は浅草寺僧坊の「伝法院」の新門の門番を任されたことに由来すると云われ、「鳶職」や「香具師」等の取締りもする人物だったそうです。
その「新門辰五郎」の影響下にあった人達が講を組織し、近代まで熱心に「火事・泥棒除け」の「仁王尊詣り」をしてきていたそうです。
「芝山仁王尊」では、み仏をお祀りする処は浄土であるという理念の下に、「桜」を始め境内を四季折々の花木で埋め尽くしています。
「椿」、「桜」、「牡丹」、「つつじ」などが咲き誇り、今の時期だと「牡丹」が盛りをむかえています。
(5月には「つつじ」が咲き誇るようです。)
「芝山仁王尊」の「牡丹」は約300株が植えられていて、4月下旬~5月上旬にかけ美しい花を咲かせます。
ゴールデンウィーク期間中は「ボタン祭」が行われるようです。
「芝山仁王尊」は「火盗難除け」の「お仁王様」であり、花木で満ち溢れた「天台宗」の古刹です。
季節の花「牡丹」を愛でに「芝山仁王尊」「観音教寺」までお出かけください。
「芝山仁王尊」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山298
問合わせ 0479-77-0004
備考
「芝山仁王尊」の境内は一万坪に及ぶ広さを誇り、「県文化財」の「三重塔」など「七堂伽藍」が甍(いらか)を競い、御利益を求める多くの参詣者で賑わっているそうです。
「観音教寺」(芝山町)
本日ご案内するのは、近隣市「芝山町」の「芝山仁王尊」「観音教寺(かんのんきょうじ)」です。
「芝山仁王尊」「観音教寺」は「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の寺院で、正式名称を「天應山観音教寺福聚院」です。
奈良時代末期、人皇第四十九代「光仁天皇」の宝亀11年(780年)の正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建てせしめたそうです。
天応(天應)元年(781年)勅命により「征東大使」「中納言 藤原継縄」公がこの「布令」の下に当地に寺院を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に甍(いらか)の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられています。
その後、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の影響を受け、「観音教寺」も全山灰土と化したと伝えられています。
やがて江戸時代に入り「徳川幕府」の庇護の下、十万石の格式を持つ「伴頭拝領寺」として「関東天台」の中核となす寺院になったそうです。
特に「火事泥棒除け」「厄除け」の「仁王尊天」として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の「町火消」が纏(まとい)を先頭に競って参詣していたと伝えられています。
現在でも有名な「新門辰五郎」の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日まで連綿として伝えられていることが分かります。
(「観音教寺」「柴山仁王尊」HPの歴史より抜粋)
「観音教寺」の山号は「天応山」、関東有数の古刹。
江戸時代には「成田」の「不動尊」とともに民間の信仰を集めていたようです。
また「観音教寺」の「御本尊」は「十一面観世音菩薩」であり、「新上総国三十三観音霊場第33番(結願)」の寺です。
また「上総国薬師如来霊場28番(結願寺)」、「東国」「花の寺百ヶ寺」(千葉16番)となっています。
「山武郡芝山」に「天台宗」の古刹あり。
「芝山仁王尊」「観音教寺」に拝観してみませんか?
「芝山仁王尊」「観音教寺」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山298
問合わせ 0479-77-0004
備考
「芝山仁王尊」「観音教寺」の本堂隣には「芝山はにわ博物館」があります。
「国指定史跡」「殿塚・姫塚」出土の「はにわ」、「県指定文化財」9点を含む「はにわ」等を一括展示しているそうです。
「芝山仁王尊」「観音教寺」は「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の寺院で、正式名称を「天應山観音教寺福聚院」です。
奈良時代末期、人皇第四十九代「光仁天皇」の宝亀11年(780年)の正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建てせしめたそうです。
天応(天應)元年(781年)勅命により「征東大使」「中納言 藤原継縄」公がこの「布令」の下に当地に寺院を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に甍(いらか)の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられています。
その後、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の影響を受け、「観音教寺」も全山灰土と化したと伝えられています。
やがて江戸時代に入り「徳川幕府」の庇護の下、十万石の格式を持つ「伴頭拝領寺」として「関東天台」の中核となす寺院になったそうです。
特に「火事泥棒除け」「厄除け」の「仁王尊天」として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の「町火消」が纏(まとい)を先頭に競って参詣していたと伝えられています。
現在でも有名な「新門辰五郎」の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日まで連綿として伝えられていることが分かります。
(「観音教寺」「柴山仁王尊」HPの歴史より抜粋)
「観音教寺」の山号は「天応山」、関東有数の古刹。
江戸時代には「成田」の「不動尊」とともに民間の信仰を集めていたようです。
また「観音教寺」の「御本尊」は「十一面観世音菩薩」であり、「新上総国三十三観音霊場第33番(結願)」の寺です。
また「上総国薬師如来霊場28番(結願寺)」、「東国」「花の寺百ヶ寺」(千葉16番)となっています。
「山武郡芝山」に「天台宗」の古刹あり。
「芝山仁王尊」「観音教寺」に拝観してみませんか?
「芝山仁王尊」「観音教寺」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山298
問合わせ 0479-77-0004
備考
「芝山仁王尊」「観音教寺」の本堂隣には「芝山はにわ博物館」があります。
「国指定史跡」「殿塚・姫塚」出土の「はにわ」、「県指定文化財」9点を含む「はにわ」等を一括展示しているそうです。