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FP技能士3級


FP技能士3級の合格証を本日受け取りました。


受験手続をした後、ドライビングスクールに通い始め、

年明けにははじめての青色申告の準備と個人事業の仕事と再就職活動が重なって、

十分な用意ができずに、気分的には参加しただけの試験でした。


試験に行くのをやめようと思っていたところ、

間違って受かることもあるのだからと、

友人に声をかけられたことが実現したので、

驚きとともに喜びと感謝の気持ちが湧いてきました。


今月からシステム開発会社に再就職をし、

FPの資格よりもシステム開発関連の資格が必要なのですが、

この合格の知らせを受け取って、

試験の結果詳細を見てみて、

これはFP関連の勉強も続けろよ、

というお告げなのだと思いました。


試験結果では実技試験が合格最低ラインで

落ちていても何の不思議もないレベルだったからです。


運動神経があるわけでもないのに、

30の半ばを過ぎて

使いもしないマニュアルの実技講習を何度も受けなおしているうちに

他の試験に関しても落ちることが怖くなくなってきて

受けたFP3級の試験。


この感覚が薄れていかないうちに

これからも失敗を気にせずに

他の資格取得にも挑戦していきたいと思います。


下の本が試験直前にあわてて読んだFP3級のテキストです。


うかる!FP技能士3級速攻テキスト 07-08年版 (2007)


午前中の学科は標準的なテキストを読むことで楽にクリアできますが、

午後の実技試験は過去問等をある程度こなしていないとつらいというのが

今回得た教訓です。


詩の新世紀

谷川 俊太郎, 川田 絢音, 北村 太郎, 松浦 寿輝, 天沢 退二郎
詩の新世紀―24人の現代詩人による

詩って何でしょうか?


特殊な独語(モノローグ)なのかな。


改行したってリズムも韻もないような日本の現代詩は、本人の「詩として書いています」という主張を取ってしまえば、どんなジャンルに属しているのか分からず、文学表現としてとても曖昧に見えます。


特別に意味のない悪い曖昧さ。


( その在り方が日本語の曖昧さを消極的にではあるけれども逆照射していることに意義があるのかもしれませんが… )


そんな日本の現代詩でも、ジャンルとして存在しているととても気になりますし、


読んでいる中で自分が好きだと思える作家が出てきたりするとなおさらです。


松浦寿輝。


彼が何で詩を書いているのかよく分かりません。


ただ、この本に集まっている24人の詩人の詩の中で最も詩を必要としている人であり作品であるなと感じました。


一般的に詩として人に訴えかける力を持った作品は、谷川俊太郎の「問いと満足」であり、荒川洋治の「美代子、石を投げなさい」であり、吉本隆明の「私の本はすぐに終わる」でしょう。それに次ぐのは伊藤比呂美と建畠晢。


また、詩であるかどうかには疑問な点もあるけれど最も面白い文章ということであれば、天沢退二郎の「欄外紀行・異郷篇」になるでしょう。


また、このアンソロジーでは畏れを感じることのない作品が掲載されていますが、現代詩の中核であり異次元にいる人物といえば、入沢康夫と吉増剛造ということになるでしょう。


ただ、詩というジャンルのなかで、居心地悪そうにいながらそれでも抜きんでた作品を書いてしまう特異な作家ということになると、松浦寿輝以外にはなかなか見当たりません。


何故詩を書いているのか、書かねばならないのか、よく分からない詩人。


他の詩人達はやはり詩人であるのが本人にとって一番いいのだろうと思わせるとことがあるけど、松浦寿輝に関しては、たとえ本人が「心地よい」と感じていたとしても、詩の世界との齟齬感が常にあるように思います。


一番自由に書いているような第三詩集の『女中』もなぜかジャンルとしての詩から浮いているようにみえます。


このアンソロジーに収録されている作品「濡れた砂の色やきみの指のつめたさが弱められた反響となって記憶に戻ってくる」も、もちろん「詩」に一番近づこうとしているのだけれど、もっとも「詩」に近づけないでいるという意識にあふれているような印象を持たせます。


松浦寿輝にとって、詩は最も報いられないジャンルでしょう。


彼の散文に現れる幸福感や達成感は、彼の詩の世界にはあらわれません。文章に対する統覚も、散文にあっては常に優位にありますが、詩の世界では統覚が働いているにしても「詩」というジャンルに対して常に劣位にあるように思います。


こんな居心地の悪い世界に、才能ある彼が何故いつづけるのか?


松浦寿輝を知ってから、常に疑問に思っています。


この疑問を解消できなくても私はいいと思っています。


むしろ、この疑問を継続させるように変わった作品を生み出していってほしいと心から願っています。


存在を納得できる散文作品よりも、存在自体が不安定な詩作品を生み出していってほしいと思っています。


それが詩以外のどんなジャンルにも属さないが詩というジャンルを安定させず、詩人をも安定させない作品。


そんな作品を松浦寿輝には期待しています。


北斎と写楽

大久保 純一
千変万化に描く北斎の冨岳三十六景
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛

北斎の波のかたちと写楽の手のかたちがずっと頭の中で被さっていました。


波が手に見えてくるんです。


ちょっと調べると同じように感じている人が出てきました。


田中 英道
実証 写楽は北斎である―西洋美術史の手法が解き明かした真実

今度機会があったら覗いてみたい一冊です。

近代文学の終り

柄谷 行人
近代文学の終り―柄谷行人の現在

「書き手がいなくなったというより、読者がいなくなったのです」


...残念。

香月泰男

谷川 俊太郎, 香月 泰男
春夏秋冬

「生きることは、私には絵を描くことでしかない」と言い切れる人生がすごい。


香月泰男の絵の魅力は、色彩が生きているところだと思います。


とくに黒と黄土色。


黄土色は物が存在する場所の色で、なんともいえない落ち着きを与えてくれます。


本書に収録された作品は植物を対象にしたものが多く、香月泰男の黄土色が好きな私にはうれしい一冊になっています。


ただし3800円と価格はちょっと高め。



香月泰男美術館


美術館に所蔵され、HP上でも紹介されている「山吹」などが好みです。