納豆にお酢をかけて食す。
どこで聞いてきたのやら
我が父は あれ以来
毎食 きちんと
お酢納豆を食べ続けてきたのです。
ある日の朝。
あきらかに尋常ではないトーンの声で
母から電話がありました。
父の目が、
突然見えなくなってしまったというのです。
そもそも これがワタシの
近頃の話のすべてのスタートで
往復三時間かけて通う
「実家詣で」が始まった
そのキッカケなのでありました。
そう、お酢納豆。
目にとても良い、と聞いたそうな。
信憑性なんぞは 知りません。
だって みんなそれぞれ
藁にもすがる思い、
ただそれだけだったのですから。
手術も決まって
実際 見えるようになるのかどうかは
やってみなけりゃわからない
神のみぞ知る、ではありましたが
ほわっと灯った その希望の光が
どうかどうか消えないようにと
そっと手で包み込むように その炎を守り、
祈り続けてきたのです。
ある日のこと。
「なんとなく、輪郭がわかる。」
と父は言い
「ふんわり、明るい。」
と光を見つけ
「色、見えた。」
と嬉しそうに笑いました。
「手術は、しなくても大丈夫なようです。」
お医者さまに言っていただけて
少しずつ少しずつの回復に 期待。
ワタシの実家詣での日々も
とりあえず これにて終了となりました。
「お酢納豆、効いたなぁ」と
のんきに笑っているけれど。
すがってきた
その藁だったのか。
どの藁だったのか。
とにかくおかげさまで
この現状が迎えられたということが
感謝感謝で、ありがたい。
なにより 健やかで。
命あっての物種だから。
災害ばかりの この頃は
なにより強く そう思う。
そんなこんなで
ワタシに
ワタシの時間が戻り。
あらためて
自由にできる時間とは
なんとありがたいことかと
噛みしめるのです。
健やかさも
時間も
お金じゃ買えないものだわね、
有ること難し。と噛みしめながら
ランニングシューズに足を入れる。
介護もお手伝いも
身体が資本、と気がついた!
途中、大風邪にやられてヘトヘトだったもの。
まずは自分が健やかでなければ
心持ちも穏やかでなければ
誰かを支えることは容易ではなく。
ガソリンスタンドとの攻防も
しばしのお別れ。ひと安心。
(8月12日の記事、ご参照くださいまし。)
実は、ボディブローのように
地味にワタシを蝕んでいたのよ!
さてさて。
ことさらどうでもよい、
ワタシの近況綴りにお付き合いいただき、
実に申し訳なきことをば いたしました。
お時間泥棒、許してたもれ。
*件のお酢納豆につきましては
個人(我が父)的見解にて、あしからず。