お姉さんが
インドの男性と
ご結婚されたのをキッカケにして
インドと遭遇し、
インドに深く魅了され、
それ以来
毎日学校にサリーを着て
通学してくる友がおりまして。
彼女が言うには
「インドにはね、
呼ばれなくっちゃ
行かれないものなのよ」と。
いくら自分がインドに行きたいと願っても
その人にとって 今こそが
インドに行くべき時なのだ!という
絶好のタイミングでなけりゃ行かれない。
なにかがカチリと噛み合っていないのならば
なぜだか行くことができない。
不思議と
旅立つことを阻む出来事がおこったりして
たどり着くことができないのよ、
というのです。
本当かしら?
彼女いわく
インドとは、そういう所らしいのです。
とても不思議なハナシだわ。
タイミングが合わなければ
うまく噛み合っていないのならば
今がその時ではないのだから
しばし
お待ちなさいよ、ってことなのかしら。
たとえばインドへの旅、だけでなく
あらゆる日常の行動も
人生における 何らかの特異な行動も
そのタイミングってものが、あるのかも。
いつかたどり着ける、
そんな絶好の機会を想って
ワクワクしながら その時を待つのも
また 一興。
気長に待ちたいわ、ワクワクしながら。
「一度でいいから行ってみたい!」と
かねてから望んでいた場所が
ワタシにはあり、
幾度もその場所への
旅の計画をしてみてはいたのですが。
「呼ばれなくちゃ 行かれないのよ」
いつも あの言葉が
耳元で囁かれているような気がしていました。
計画しても
台風だったり
急な仕事で休みがなくなったり
はたまた
家庭の事情や諸々のアレコレで
行かれなくなったりと。
毎回 旅立つことを阻む理由は
重なり絡まって
それらが解けることもなく
結局いつも
その場所に行く計画は、頓挫するのです。
「呼ばれなくちゃ 行かれないのよ」
その言葉が 心のなかで反響します。
入り組み、絡んだ諸事情に
「これは 天の采配なのか?」と。
今は
その絶好の機会ではないのだろうと思って
またのチャンスを窺ってきました。
そして。
もう10月なのですが
我が家に
なんと “夏休み” がやってきましたよ。
どうしても 一度、と願っていた
あの場所に向かうチャンスが
また 巡ってきたのです。
私たち、たどり着けました。
今回は 呼んでいただけたようです。
それはもう
とても素敵な場所でした。
あらゆるところは苔生して、
どこまでも静謐で 清らかな世界で。
是非とも
お目にかかりたいと願っていたある方を
偶然にもお見かけし
さらには お話しすることもできて。
とても優しく温かく接してくださることは
なによりもありがたく嬉しいことでした。
「呼ばれなくちゃ 行かれないのよ」
たしかに そうかもしれません。
この時でなければ
きっと会えなかった、
きっと体験できなかった、
きっと遭遇しなかった、
そんなことばかりが次々とおこり
「これが天の采配、なのね?」と
すべての巡り合わせに
今は 感謝しかありません。
待つのも 楽しや。
もちろん
たどり着くのも 嬉や。
今は
ふかふかした あの苔の感触が
手のひらに
ふわりと 残ります。