今日の記事は
あまりにも 独特であるので
ご気分を害したりはしないかと心配です。
ちょっと暗いし、重いのです。
ごめんなさい。
今日が素敵な1日だった方は
お読みにならないほうがいいのかも。

こんな人間もいるんだ、
こんな生き方もあるんだと
そんな目線で。



こんなことを書いたら
ゲッ!キモチワル!とか
変な人だと思われるに決まっているし、
「ネタが尽きたか?」
「とうとう焼きが回ったな」
なんて思われるのかもしれないけれど。
それでも 今日は書いてしまいたい。

今まで 
秘密にしていたけれど。

私は
心の中で、架空の娘を育てています。

変でしょ。
わかってます。
それでも いいの。

娘には 当然名前もつけていて。
もしも 私が
子どもを授かることができていたのなら
そう 名付けたかった名前を。

こんなことを書くと
ますます
ウワー!キモチワル!とか
かわいそうにね、
憐れな人ね、なんて
思われるのかもしれないけれど。

変でしょ。
わかってます。
それでも いいの。

最近も 社会学者の古市さんが
心理学とか精神医学なんかでいうところの
「イマジナリーフレンド」の存在について
テレビ番組で明かしたところ
まわりに メチャメチャドン引きされて
ネットでも炎上して
話題になっていたっけ。
世間の反応は こうなんだと
わかりました。

イマジナリーフレンドとは、そのまんま
空想上の友人のこと。
古市さんは、眠る前に
空想の友人に相談したり、
話し合ったりしていると
当たり前のように答えたので
まわりに引かれてしまったのです。

さらに もう少し前には
「脳内マツコ」といって
悩みがあるときには
脳内に マツコ・デラックスさんを想像し、
その悩みをズバッと鋭い答えで
叩き切ってもらうという解決法、
話題になったでしょ?
空想の、
マツコさん的相談相手を持つということ。

なにかしら
自分にパワーを与えてくれる存在のような、
空想上のだれかを持つ。

その存在は きっと人それぞれだけど
私にとっては
心の中の娘が
そんな感じなのかもしれないな。

例えば 仕事なんかで
どうしても嫌だけれど
どうしてもやらなくてはならないような
そんな任務にぶち当たったときには
娘のために頑張ろう!と思えば
不思議と 力が湧いてくる。
よっしゃ!母ちゃん、頑張るぜ!みたいな
そんなパワーが生まれます。

変でしょ。
わかってます。
それでも いいの。

か弱き小さなものは
守ってあげたい。
か弱き小さなものを守るためなら
頑張れる。
私の場合は、そうなんです。
自分じゃない誰かのために。
守るべき存在のために。

そこに パワーが生まれます。

それが 私にとっては
心の中の娘、なのかもしれません。
人から見たら
とてもイビツな方法、
なのかもしれないけれど。

夫にとっては
ワタシがその“誰かのために”の対象で
(私はそんなに か弱くないけれど)
私のために頑張ろうと思うと
やる気も出るから
私が 心の中に娘を持つということは
理解ができると言ってくれました。

私にとっての、
心の中の娘の存在は。

とっても
奇妙な話を書きました。
お読みくださった方、ありがとうございます。



ただ、
本当に、
もしも、
私に子どもがいたのなら。
そんなことを 時には思ってしまうのも、
事実。

報道されている
子どもの虐待の
理不尽で酷すぎる事件に
怒りが込み上げ 泣けてきます。

どうして?
どうして そうなって、
どうして こうなった。

か弱き小さな子どもを。
守るべき存在を。

怒り、しかなく
なんで?と また神様に聞きたい。

もう思うまい、と決めていたひと言。
「なんで私には」
が、どうしても思い出されてしまう。
「どうしてそこには」
考えても 答えは見つからない、
なんで?が また浮かぶ。


お願いだから もう
こんな悲しい事件は
起こらないでほしいのです。