吉本ばななさんの
短編100本ノック(毎日短編を書く)に
恐れ多くも 憧れてしまい
ブログを書きだして
カウント上では、これで365本。
毎日、ではないけれど
これで まるっと1年分。

始めた頃には
ミサイルが発射されたとか
そんな嫌なニュースが 時折あって
たとえ そんなことは
奇麗事だと 鼻で笑われようとも
奇麗事だと 言われるような
そんなことを唱えることが
そもそも
秩序の始まりなんだと
平和について
幾度か 書いたりしてきたけれど。

365本の時間がたち、
そして  会談。

また 365本分の時間がたったなら
そのころ
世の中は
どうなっているのだろうな。

善とか正義とか
正しさみたいなものですら
まるで “ 流行 ” のように
時の流れとともに
案外 移り変わっていくものなので。

「時代が違う」と言い合って
たとえば 世代によって 
意見が噛み合わないでいることは
きっと 
これ、なんじゃないかと
思ったりもするのです。

今の正しいは 昔の非常識でもあり。
昔の正しいは 今の非常識でもあり。
って、そんな感じで。

移り変わり
世の中の
潮目が変わり。

また 365本書いたころ
世の中は
どうなっているのだろうな。

変わるもの。
変わらないもの。

例えば
春になれば、桜が咲くというような
そんな「道理」というものは。

移り変わる正義よりも。
振りかざせば
ある一方では 偽善ともなり、
掲げたときから
闇までも つき従わせてしまう正義よりも。
物事がそうあるべき ことわりを
もっと考え、知りたいと思う。

たとえば、730本の時間がたつ頃までには。