「心が揺さぶられる。」
とは、時折 聞く言葉ではあるけれど
それがどんな状態なのかを
芯をとらえて 理解するほど
わかっていなかったのです。

それでも 連日、
しかも 日に幾度も
「揺さぶられる」ということは
きっとこれなんだな と
思えるような状況で
帰宅しても
いつも以上に疲れきっているのだし
浮かんでくるのは
“ 揺さぶられた ” ことばかりで
こうして ブログに書くことも
“ 退職絡みの 我が心の動き ” に
再び なってしまって
実に つまらない話なのだから
なんとも申し訳ない想いです。

日常では
なかなか体感できない感情に
日中 まみれているものだから
まさに
翻弄されている、が本音です。
我ながら
感情の起伏に ついていけないわ。

しみじみ
人との別れとは
寂しいものであります。
死が別つ、ではないにせよ
きっともう 会うことはないのだなと
わかっているから
なおさら 寂しいものであります。


例えば
演劇、芝居のように
自分ではない 誰かになり 表現する人は。

その誰かが 
悲劇を、つらく 悲しい人生を、
歩んでいたとしたならば
演者の方は 
憑依するかのように
その 誰かになっているのだから、
心も 千千に乱れて
感情の波も 荒ぶるのだろうな。
しかもそれを 公演のたびに、
何度も繰り返すということは。

悲劇の誰かと
平穏な自分との
感情の振り幅たるや。

どう折り合いをつけるのだろうか?と
お風呂に入り、
1日 身体にまとわりついた
さまざまな感情のカケラを
洗い流しながら 考えていました。


笑ったり 泣いたりの
感謝とお別れのごあいさつを
何度も何度も 繰り返し
感情の起伏にすっかり翻弄されていますが
それでも
その 心模様を思うと
なんだか 愛しいです。

それすら
証し、みたいなものに思えて
よくやってきたよと
湯船につかりながら
自分を抱きしめてやるのです。

今は、自分を
ちょっとだけ
甘やかしてあげたい気持ちです。