前にも書きましたが
おばあちゃんは、認知症なのです。私の母、父のチームと
母の妹(叔母)、
その旦那さん(叔父)夫妻のチームが
半月交代で
おばあちゃんの住む家に泊まり込み
お世話をしています。
叔母夫妻は 県外からやって来ているのだし
それぞれ
自分の家を半月空けてきているので
こんな風に 私が
軽い感じで ブログに書いておりますが
実際は
なかなか 大変なことなのです。
体力的にも
精神的にも
大変なことなのです。
きっと世の中には
もっともっと大変なご家庭もあるわけで
私など 今は
サポートするというよりは
おばあちゃんの家に行って
なにか 面白可笑しいことでも
話したり 披露してみたりして
その場を楽しく盛り上げ 笑わせる、
“賑やかし”の役割くらいしか
できてはいないのですが。
年明けに
おばあちゃんの家に行き。
成人するまで
あの家に 一緒に住んでいましたが
今では スロープや
細かな蹴上の階段や
長く続く手摺り、
フラッと外に出ていっても
すぐにわかるよう
出入口にはセンサーも付いて。
家中、あらゆるところに貼り紙があり
スイッチや ドアや
すべてに説明がなされています。
様変わりした、おばあちゃんの住む家。
「親は いつまでも親で。
親にとって子供は いつまでも子供で。
そんな親が 年老いていき
いろいろなことができなくなって。
まるで子供にもどったかのようで。
親であると自覚しているから
子供のお世話になってしまうことを
嫌がったり。
時には 子供の私が
親のしたことで
人様に謝らなければならないときもあって。
それは 現実。
それは 誰もが通る道でもあり。
とても複雑な気持ちよ」
と、母は言います。
私は。
つぶさに見ること、聞くこと。
私にとって、
それは すべて勉強です。
見て聞いて教わっても
それでも この先のために
もっと知識と
もっと体験が
たくさん欲しいと思っています。
経験は、
文章や伝聞からだけでは
得られないところも たくさんあって。
おばあちゃんは
私が着ていた服を誉めてくれました。
もともと、
着道楽の とてもお洒落な人なのです。
その目は不思議と今も 曇っていませんから
お陰で ちょっと自信が持てました。
ありがとう、おばあちゃん。
仕事から離れたならば
もっとサポートにいけます。
これも やりたいことのひとつなのです。