不謹慎、だと思われるのなら
申し訳ありません。

健康・長生きに命を懸けて、
「終活」という言葉さえも
縁起でもないわっ!と毛嫌いする、
義母のような
後期高齢者の方もおりますし。

不謹慎、だと思われたのなら
そこは 申し訳ありません。

なので、
極めて個人的な意思のもと、のお話です。


私に限って言えば、
さかのぼること 数年前。
うすうす病状が悪化しているなぁと
気付いては いましたが
病院嫌いがすぎるあまり
自分の身体を見て見ぬふりし続け
ある日突然、死にかけました。

お陰さまで
たくさんの方々のお力で命が繋がり、
どうやらもう少し 生きてみなさいよと
また この世に放たれて
ありがたく
こうして 暮らしておりますが。

あのとき、よぎりました。

「このまま死んだら、残された夫は ちゃんと生きていけるのか?」
「このまま死んだら、我が家はどうなるのか?」
「このまま死んだらなら・・・」

夫は 仕事に邁進するあまり
当時は
暮らしに関する能力を持ち合わせておらず。
すべて私任せで
料理も 洗濯も 
生きていく上での
さまざまなことができず、やらず。
さらには
我が家の通帳や重要書類、
印鑑やら その他もろもろの
大切な物のありかさえも知りません。

言葉は悪いですが、
『マジ、ヤバイ!』
遠退く意識のなか、思いました。

さらには
どんなに心が切り裂かれそうでも
延命治療はしてくれるなと
言っておいたことは覚えているのかしら?

若い頃には
なかなか話さない話題ではありますが
「私が死に行くものならば、生きていく人の方が大切だ。私に時間をとられるな。」
と、夫には 伝えてありました。
それでも もしもそのときになったなら
どうするのかを 
夫はきっと 
ひどく悩むことになるでしょう。

「マジ、ヤバイ。ちゃんと準備しておけばよかった。」

その後、世の中には
「終活」というワードが出現し
今や 大手を振って 
その時のために整えているのです。
これだって、
危機管理のひとつではないでしょうか。
断捨離だって、終活に繋がります。
どうせ何も 持っては いけませんから。

そして。
私は もう一度手術を受けることが決まり、
これをチャンスとばかりに
家事のあれこれを夫に教え、
そのほか
我が家を構成するいろいろを
次々 共有化し
安心することができました。


うすうす 皆さま お気付きかと思いますが
我が家は 大人二人きりの家族です。

なるべくなら
跡を濁さず、
生きていかなければと 日々思うところ。

暮らしを整えて、生き方も整えて。

その歳で
終活だなんて 早すぎる、と言われようとも
縁起でもないわ、と言われようとも
遅すぎた!と思うよりは 良い、と。
人生、何が起こるかわかりませんから。

冷静に、客観的に判断できるうちに
ある程度 整えておきたいのです。
わちゃわちゃ騒ぎ、騒がせないように。
ご迷惑おかけするのは できるだけ少なく。
その時、みっともないのは
私としては ちょっと嫌だわ。


終活の話題。
不謹慎、だと思われたのなら
申し訳ありません。

より良く生きていくため、
あらためて 今を整える。

終活の意味のひとつなのだと思っています。

死に様を思えば、生きざまを見直す。


さらには やっぱり
立つ鳥 跡を濁さず、でいたいのです。