【民主主義が目指すのは「国民全体の一般福利」であり、選挙で多数を取った政党の支持者の福利ではないことについて】

安倍政権の多数の横暴が続いています。安倍政権は、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法を強行採決で成立させました。その後も、働き方改革法、カジノ法、参議院議員定数法と強行採決の連続です。

この安倍政権の多数の横暴に対し、選挙まで忘れずに、選挙で変えよう、という人たちがいます。国民が主権を行使出来るのは選挙のときだけだ、という人たちがいます。ほとんどの日本人が、国民が主権を行使出来るのは選挙のときだけ、と思っているかも知れません。

そういう人たちは、全く間違っています。そういう人たちは、民主主義を全く理解していません。

選挙まで待つのではない。今、変える必要があります。選挙まで待てという人は多数の横暴を受け入れてしまっている人たちです。

そもそも民主主義が目指すのは、「国民全体の一般福利」です。選挙で多数を取った多数派の支持者の福利ではありません。

民主主義においては、「多数決の原則と少数者の権利の保護」の原則が適用されます。日本人のほとんどの人たちは、「民主主義=多数決の原則」だけであると思っています。多数決の原則は、民主主義を支える二つの柱の一つにしか過ぎません。もう一つの柱が、少数者の権利の保護です。

選挙で多数を取った多数派が自分たちの支持者だけのための政治を行ったら、それは多数決の原則の濫用であり、多数の横暴となります。



民主主義が目指すのは、「国民全体の一般福利」です。したがって、多数派と少数派で、話し合い、妥協策を生み出す必要があります。

ここで妥協策というのは、多数派の利害と少数派の利害を足して二で割ることではありません。それは譲歩と呼ばれます。

妥協策というのは、多数派の利害と少数派の利害が両立するような仕組みを考案し、構築するということです。

たとえば、アメリカにおいて、合衆国憲法が制定される際、大きな州の代表者は人口数に応じて連邦議会の議員数が割り当てられることを主張し、小さい州の代表者は各州同じ数の代表者が割り当てられることを主張しました。

両者が譲らず、憲法制定会議は決裂寸前まで行きましたが、最終的に、連邦議会を二院制とし、上院は各州同じ数の代表者、下院は人口数に応じて議員数を割り当てることとし、妥協策が成立しました。アメリカでは、これを「GREAT COMPROMISE (大いなる妥協)」と呼んでいます。このように、対立する利害の両方が成立するような仕組みを、知恵と工夫で考案し、構築することを妥協と言います。

民主主義が目指すのは、「国民全体の一般福利」です。そして、「国民全体の一般福利」は、多数派と少数派の妥協によって成立します。

「政治は力。力は数。」は間違っています。それは多数の横暴です。
「政治は妥協。妥協は知恵。」です。それが民主主義です。

国民および野党は、安倍政権の多数の横暴を、民主主義を否定し、破壊するものであると厳しく批判すべきです。そして、一部特定利益のための政府・与党法案に対し、「国民全体の一般福利」を実現させる妥協策となる法案を対置すべきです。

国民および野党は、世論の力で、今すぐ、安倍政権の多数の横暴を止めさせるべきです。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。
私自身は、いずれの政党・政治団体にも所属していません。あくまでも一人の市民として、個人として発言しています。民主主義と平和を実現するために発言しています。