【日本人は、75年前も現在も、利権のために、政府も官僚も嘘をつき、経済界もメディアも、いっしょになって、国家ぐるみで犯罪を行うことについて】

75年以上前、日本では、政府も、国会議員も、軍も、財閥も、官僚も、役人も、メディアも、一般庶民も、中国を侵略し、中国の豊かな土地を奪い、中国人をこき使い、豊かな生活と権力を得て、優越感を満たそうという生き方に狂奔していました。

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日本人は、相手を蔑み、相手を脅し、相手を騙し、相手の弱みにつけ込み、相手の財産・土地を奪い、相手を奴隷のようにこき使うという生き方を、国家ぐるみで、民族として、集団で行っていました。

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日本人には、相手国民の人格を認め、相互に尊重し、相互に信頼し、相互に助け合うという姿勢は全くありませんでした。

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そのあげく、中国侵略を止めるよう、アメリカ政府から指摘され、経済制裁を受けると、日本は、アメリカと交渉を続けるように見せかけて、アメリカを騙し、宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃し、大勢のアメリカ人を殺戮し、それを大勝利だと自画自賛しました。

75年経っても、日本人の本質は全く変わらないようです。

現在も、日本人は、利権のために、お金のために、政府も、国会議員も、官僚も、嘘をつき、ルールを破り、経済界も、メディアも、一般庶民も、いっしょになって、国家ぐるみで犯罪を行います。人の命や権利・自由を踏みにじり、自分たちだけの利益を貪ります。

まさに犯罪集団・犯罪国家です。

西欧社会のように、キリスト教の信仰がある社会では、人間が人間らしく生きるとはどういうことか、常に自問自答が働きます。たとえば、キリスト教では、「人は、ふたつの主人に仕えることは出来ない。人は、お金と神の両方に仕えることは出来ない。」と説きます。そして、他の人を幸せにする生き方が正しい、愛が一番大切だ、と説きます。利権の追求に対し、人間らしい生き方が対置され、葛藤があります。

これに対し、日本では信仰がないため、むき出しの資本の論理、市場経済の論理だけが、そのままダイレクトに働きます。利権のためなら、嘘をついても、脅しても、騙しても、ルールを破っても、人を踏みにじり、武力で攻撃しても、構わないという生き方になります。

この異常事態から、戦争へはわずか一歩です。白昼堂々と政府が犯罪を犯しても黙ったままの国民です。政府が戦争を開始しても、国民は黙ったままでしょう。

日本人には、倫理観がありません。日本人は、自分たちで自分たちをコントロールすることが出来ません。日銀の異常な国債買い入れも、株買い入れも制御出来ません。バブル経済の時もそうでした。太平洋戦争の時もそうでした。集団で異常行動を始めて、自分たちで自分たちをコントロール出来ず、「外部の力で叩き潰されるまで」突き進みます。そういう民族です。

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今回も、この異常事態が続けば、やがて批判をかわすため、国民の目をそらすため、戦前のように政府による謀略が画策され、北朝鮮あるいは中国との軍事衝突・軍事紛争に突き進むことになるでしょう。「自衛のため」「自由を守るため」との詭弁の下、北朝鮮あるいは中国との軍事衝突・軍事紛争に突き進むことになるでしょう。そして、最終的に「外部の力で叩き潰されるまで」、北朝鮮あるいは中国の核弾道ミサイルで国土が再び焦土と化すまで突き進むでしょう。

それを避けるためには、国民が、政府と霞が関と、それを支えている旧財閥系企業を中心とする経済界を民主的にコントロールする必要があります。

日本国民が、政府と霞が関と、それを支えている旧財閥系企業を中心とする経済界を民主的にコントロール出来ない限り、日本は、やがて北朝鮮あるいは中国との軍事紛争に至るまで突き進むでしょう。