【先の大戦の総括と民主的な文民統制確立の必要性について】

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日です。広島では、20万人の方々が亡くなり、長崎では、15万人の方々が亡くなりました。

しかしながら、日本では、犠牲者のみなさんの追悼は行われるものの、どうすれば原爆投下を防ぐことが出来たのかという議論はほとんど行われないようです。

原爆の日が来るたびに、私は、いつも、なぜ日本は、もっと早く降伏出来なかったのか、という思いを抱きます。

イタリアでは、独裁者ムッソリーニが解任され、1943年9月、新政権が連合国との降伏文書に調印しました。ドイツは、1945年5月に降伏しました。

1944年6月のマリアナ沖海戦で、日本の空母機動部隊は、艦載機が全滅し、以後、戦闘能力を失いました。さらに、1944年10月のレイテ沖海戦で、日本の連合艦隊の艦隊戦力は壊滅しました。

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したがって、日本は、1945年8月でなく、1944年の末に降伏すべきでした。そうすれば、広島・長崎への原爆投下もなく、東京大空襲・名古屋大空襲・大阪大空襲(1945年3月)もなく、沖縄戦(1945年3月-6月)もありませんでした。

ところが、当時の軍および指導層は、国民の多くが戦災で苦しむ中、「国体護持」に躍起になっていたそうです。国体護持とは、国の体制を維持することですが、それは言い換えると、自分たちの地位と権力をいかに維持するかということであったと思います。

軍および指導層の、降伏すれば自分たちの地位と権力が失われるかも知れないという思いが、降伏を遅らせたと思います。国民のみなさんの生命・権利・自由を守ることよりも、自分たちの地位や権力を守ることが優先されたと思います。

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そのようなことが二度と起こらないよう、日本は、国会を中心とした、民主的な文民統制(CIVILIAN CONTROL OVER THE MILITARY)の仕組みを確立し、安全保障に関し、国民が最終的な決定を行なえるようにすべきです。

そのために、法律および憲法で、安全保障に関する徹底的な情報開示と説明責任を、政府に義務付けるべきです。

それを行なって初めて、先の大戦の総括を行なったことになると思います。先の大戦の愚行を二度と繰り返さない「仕組み」を確立すること、それが本当の意味の総括であり、戦争で亡くなったみなさんの鎮魂となると思います。

ところが、戦後70年以上が経過しているにもかかわらず、状況はほとんど改善されていません。

安倍政権は、日報の隠匿に示されるように、国民に安全保障に関する事実を開示せず、国民の過半数が議論不十分とする安保法制を強行採決しました。メディアは、政府の監視役としての役割を放棄し、安倍政権のプロパガンダ機関と成り果てています。

白昼堂々と嘘答弁と犯罪が行われる異常事態から、戦争へはわずか一歩です。日本国民が、政府と霞が関と、それを支えている経済界を民主的にコントロール出来ない限り、今後、日本は、北朝鮮あるいは中国との軍事紛争に至るまで突き進むことになるでしょう。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。