【安倍晋三は、日本人の象徴 ー 日本人は悪しき伝統と訣別し、キリスト教徒的な生き方を始めるべきであることについて】
安倍晋三は、日本人の象徴だと思います。卑怯で、弱いものをいじめ、強いものにおもねる。日本人は、まさにそういう生き方をしている人ばかりだと思います。自己保身が日本人の生き方です。
日本の歴史には、キリスト教的な生き方をした人が一人もいません。貴族の時代も、武士の時代も、明治以降の時代でも、卑怯で、弱いものをいじめ、強いものにおもねる、自己保身に生きる人たちばかりです。
英語には、「Better late than never.」ということわざがあります。「遅れても、しないよりはまし。」という意味です。2000年遅れただけです。今からでも遅くありません。日本人も、他の人の幸せのために生きる、キリスト教徒的な生き方を始めるべきです。
ドイツ人やイタリア人も、初めからキリスト教徒だったわけではありません。キリストの弟子は、初めはわずか12人でした。

私が、かつて、アメリカの高速道路で事故に巻き込まれたとき、たまたま車で通りかかった全く見ず知らずの人たちが、自分たちの命のリスクを顧みずに何人も助けにきてくれました。それが、私がキリスト教徒になったきっかけです。
私は、キリスト教徒の生き方に接した珍しい日本人だと思います。それだけでも、アメリカで暮らした価値があると思っています。
「自分のリスクを顧みずに他の人を助ける。」それがキリスト教徒の真髄です。
イエス・キリストも、皇帝崇拝を強要するローマ帝国から処刑の脅しを受けながら、死の危険を顧みずに、弱い人々、虐げられた人々のために布教を続けました。

(「善きサマリア人」ホセ・タピロ・イ・バロ 油彩画)
新約聖書の中に、善きサマリア人のたとえ話があります。ユダヤ人の旅行者が、盗賊に襲われて半死半生で道に倒れていたとき、通りかかったユダヤ人の祭司は見て見ぬ振りをして通り過ぎました。ユダヤ人と友好関係にあるレビ人も見て見ぬ振りをして通り過ぎました。しかしながら、ユダヤ人から迫害されていたサマリア人が、倒れているユダヤ人を気の毒に思い、助けました。イエス・キリストは、このたとえ話をユダヤ人の律法学者に伝えたあと、「Go and do likewise.」(行きなさい。そして、同じようにしなさい。)と言っています。(Luke 10:25-37)
他の人を幸せにする生き方が正しいという考え方を布教し続け、見ず知らずの人々のために命を捧げたイエス・キリスト自身が、まさに最高の「善きサマリア人」であったのだと思います。
安倍晋三は、日本人の象徴だと思います。卑怯で、弱いものをいじめ、強いものにおもねる。日本人は、まさにそういう生き方をしている人ばかりだと思います。自己保身が日本人の生き方です。
日本の歴史には、キリスト教的な生き方をした人が一人もいません。貴族の時代も、武士の時代も、明治以降の時代でも、卑怯で、弱いものをいじめ、強いものにおもねる、自己保身に生きる人たちばかりです。
英語には、「Better late than never.」ということわざがあります。「遅れても、しないよりはまし。」という意味です。2000年遅れただけです。今からでも遅くありません。日本人も、他の人の幸せのために生きる、キリスト教徒的な生き方を始めるべきです。
ドイツ人やイタリア人も、初めからキリスト教徒だったわけではありません。キリストの弟子は、初めはわずか12人でした。

私が、かつて、アメリカの高速道路で事故に巻き込まれたとき、たまたま車で通りかかった全く見ず知らずの人たちが、自分たちの命のリスクを顧みずに何人も助けにきてくれました。それが、私がキリスト教徒になったきっかけです。
私は、キリスト教徒の生き方に接した珍しい日本人だと思います。それだけでも、アメリカで暮らした価値があると思っています。
「自分のリスクを顧みずに他の人を助ける。」それがキリスト教徒の真髄です。
イエス・キリストも、皇帝崇拝を強要するローマ帝国から処刑の脅しを受けながら、死の危険を顧みずに、弱い人々、虐げられた人々のために布教を続けました。

(「善きサマリア人」ホセ・タピロ・イ・バロ 油彩画)
新約聖書の中に、善きサマリア人のたとえ話があります。ユダヤ人の旅行者が、盗賊に襲われて半死半生で道に倒れていたとき、通りかかったユダヤ人の祭司は見て見ぬ振りをして通り過ぎました。ユダヤ人と友好関係にあるレビ人も見て見ぬ振りをして通り過ぎました。しかしながら、ユダヤ人から迫害されていたサマリア人が、倒れているユダヤ人を気の毒に思い、助けました。イエス・キリストは、このたとえ話をユダヤ人の律法学者に伝えたあと、「Go and do likewise.」(行きなさい。そして、同じようにしなさい。)と言っています。(Luke 10:25-37)
他の人を幸せにする生き方が正しいという考え方を布教し続け、見ず知らずの人々のために命を捧げたイエス・キリスト自身が、まさに最高の「善きサマリア人」であったのだと思います。