【安倍首相に近いジャーナリストの準強姦罪事案及びその逮捕状の執行停止は、女性に対する性暴力の問題だけでなく、「法の支配」および「司法の独立」の問題としてとらえるべきであることについて】

安倍首相に近いジャーナリストが、女性に薬物を投与し、準強姦罪を犯したと疑われる事案において、すでに裁判所が逮捕状を発行し、逮捕の手続きが進んでいたにもかかわらず、突然、逮捕状の執行が停止された事件について、各国のメディアが大きく取り上げています。

逮捕状の執行が突然停止されたのは、菅官房長官の秘書官を務めていた警察官僚 (当時、警視庁刑事部長) の指示によるものという報道もあります。本人もその事実を認めているようです。[1][2]

そのため、私は、この問題は、女性に対する性暴力の問題としてだけでなく、より根本的に、民主主義の原則である「法の支配」および「司法の独立」の問題としてとらえるべきであると思っています。

この問題を曖昧にすると、権力者に近い人間であれば、たとえ犯罪を犯しても逮捕や訴追をされないということになってしまいます。

国民のみなさんは、いつ自分も被害者になるかも知れません。このままでは、権力者に近い人間から暴行や嫌がらせを受けても、法の保護を受けられないということになります。まさに無法状態であり、恐怖と脅しが支配する暗黒社会となってしまいます。

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そのような暗黒社会を克服し、国民の権利と自由を守るため、各国国民の国家権力に対する長い闘いの歴史の中で、民主主義の諸原則が生み出され、確立されてきました。

民主主義の諸原則は、国民の権利と自由を守り、正義と公正を実現するためにあります。その重要な要素が「法の支配」と「司法の独立」です。

「法の支配」とは、たとえ大統領であれ、私人であれ、何人 (なんぴと) も法の上には立たないということを意味します。あらゆる人に法は平等に適用され、その権利が保証される一方、もし犯罪を犯せば、それが誰であれ、法に基づき厳しく処罰されることを意味します。

一方、「司法の独立」とは、司法が政治的圧力から独立しているということを意味します。すなわち、裁判所および検察が政治的権力・政治的圧力から独立し、法を適性・公正に適用するということを意味します。裁判所および検察が、その時点における権力者や多数派、有力者の圧力に屈することなく、法を法として、適性・公正に適用することを意味します。

今回の事件は、まさに日本の「法の支配」および「司法の独立」が問われている問題であると思います。その意味で、我々国民ひとりひとりの権利と自由が脅かされている問題でもあると思います。

もし報道が事実であるとすれば、この事件は、政権の中枢を貫く犯罪であり、内閣の責任に直結します。したがって、全ての野党は、この事件に関し連携し、徹底的に真相の解明と政治的・刑事的責任の追及を行うべきです。


参照資料:
(1) "She Broke Japan’s Silence on Rape" by Motoko Rich, The New York Times, December 29th 2017

(2) "Saying #MeToo in Japan" by Shiori Ito, Politico, January 2nd 2018