【南シナ海の問題は、外交によってのみ、解決可能であることについて】
7月12日、オランダ・ハーグの常設裁判所は、フィリピンが南シナ海の問題について提訴した事案に関し、仲裁裁定を出しました。
日本のメディアも、本件を、連日大きく扱っており、そのほとんどが、フィリピンが全面勝訴で、中国が全面的に敗訴したという内容のようです。
関連する資料および裁定文を読んで、感じたことをお伝えさせて下さい。
まず初めに確認しておく必要があるのは、今回の裁定は南シナ海における主権(sovereignty)や境界画定(sea boundary delimitations)、すなわち領有権に関しては、全く判断していないということです。海洋法298条は、海洋法締約国に、領有権に関する紛争について、常設裁判所の管轄権を認めないと宣言する権利を定めています。中国は、すでに2006年にこの宣言を行っており、したがって、本件に関し、常設裁判所は、領有権に関する管轄権を持ちません。[1][2]
そこで、フィリピンは、迂回して別の問題を持ち出しました。フィリピンが持ち出したのは、中国が人工島を建設している陸地(land features)が、島(islands)か岩(rocks)かという問題でした。この点に関し、常設裁判所は管轄権があると判断し、岩であるという裁定を出しました。すなわち、今回、常設裁判所は、問題となっている陸地が島か岩かを判断しただけです。
領有権について判断が出来ないにもかかわらず、島か岩かを判断することにどれだけの意味があるのか疑問ですが、常設裁判所は、岩であると判断をしました。
そのため、今回の裁定の意味は、中国が領有権を持つかどうかについては判断出来ないが、仮に中国が領有権を有したとしても、岩なので、海洋権益(maritime entitlements)が及ぶのは領海12カイリの範囲にとどまり、より広い排他的経済水域(200カイリ)までの範囲にはおよばない、というだけのことです。
また、常設裁判所は領有権について判断出来ないので、常設裁判所は、中国が建設している人工島が、違法か否かについても判断していません。
さらに、常設裁判所は、いわゆる九段線(nine dash line)を始めとする中国の歴史的「権利」(historic rights)についても裁定を出しています。ただ、海洋法298条は、海洋法締約国に、歴史的「権原」(historic titles)に関する紛争について、常設裁判所の管轄権を認めないと宣言する権利を定めています。中国は、すでに2006年にこの宣言を行っており、したがって、本件に関し、常設裁判所は、歴史的権原に関する管轄権を持たないはずです。
そこで、常設裁判所は、中国が政府声明や通信社の報道で過去行ってきた主張を観察し、中国の主張は、単に個々の歴史的「権利」の束にしか過ぎず、主権の存在を根拠付ける歴史的「権原」に関する主張ではないと断定、したがって、常設裁判所は、2006年の中国の宣言にもかかわらず、これら中国の歴史的「権利」に関し、管轄権を持つとしています。その上で、中国が主張する歴史的権利を認めませんでした。[3][4]
しかしながら、先にお伝えしたように、常設裁判所は、領有権に関する管轄権を持たないため、常設裁判所は、個々の陸地に関し、領有権に関する裁定は行っていません。
このため、専門家は、今回の裁定を過大に喧伝し、九段線が無効になったとして中国を追い込むべきではない、九段線が南シナ海の個々の陸地における中国の領有権とそれにともなう領海などの海洋権益の根拠となる可能性はあると指摘しています。[5]
実際、裁定直後に発表された中国の声明を見ると、今後、中国は、より海洋法に則った領有権と海洋権益の主張を行うようになると思われます。[6]
今回の裁定に対しては、日本とアメリカのメディアが大きく反応しているのに対し、ヨーロッパでは比較的冷静に受け止められているようです。EUでは、各国間で評価が分かれています。ASEANも共同声明を出せませんでした。[7][8]
また、今回の裁定における、島か岩かの判断基準をあてはめると、南シナ海における台湾の権利も制限されるため、中国だけでなく、台湾も、今回の裁定の受け入れを拒否しています。[9]
なお、報道されているように、今回の裁定には、強制力はありません。
いずれにせよ、南シナ海であれ尖閣諸島であれ、領有権の問題は、一方の領有権を認めれば他方の領有権が否定される問題であるため、対立と紛争に向かいがちです。そのため、領有権問題については棚上げし、実質的な海底資源の共同開発や漁業権の割合に関し、多国間または二国間の話し合いで合意するというのが、賢明です。
すでにフィリピンの大統領は、本件を提訴した対中国強硬派のアキノ大統領から対中国宥和派のドゥテルテ大統領に代わっています。ドゥテルテ大統領は、中国と話し合いで問題を解決することを決定しています。[10]
南シナ海の問題は、軍事力では解決しません。外交によってのみ、解決が可能です。今回の裁定をひとつの根拠として、安倍政権は南シナ海へ自衛艦を派遣する決定を行うかも知れません。しかしながら、それは、問題の解決につながらず、かえって問題を悪化させることにつながるだけでしょう。
参照資料:
(1) "While the Courts Have Ruled, China Is Not Leaving the South China Sea", Julian Ku, The National Interest, July 15, 2016
(2) 「南シナ海問題に関する仲裁裁定」、浅井基文、2016年7月17日
(3) UNCLOS Arbitral Tribunal Press Release—PCA Case No. 2013-19 – The South China Sea Arbitration (The Republic of the Philippines v. The People’s Republic of China)
(4) UNCLOS Arbitral Tribunal Complete Set of Full Text PDF Documents—PCA Case No. 2013-19 – The South China Sea Arbitration (The Republic of the Philippines v. The People’s Republic of China)
(中国の歴史的権利に関する管轄権については、裁定文の85ページから97ページに記述があります。)
(5) "Shaping China’s Response to the South China Sea Ruling", Bonnie S. Glaser, The National Interest, July 18th 2016
(6) "South China Sea: Did China Just Clarify the Nine-Dash Line?", Andrew Chubb, The National Interest, July 14th 2016
(7) "EU's statement on South China Sea reflects divisions", Reuters, July 15th 2016
(8) "Asean 'abandons' joint statement on ruling", Bankok Post, July 14th 2016
(9) "Taiwan, After Rejecting South China Sea Decision, Sends Patrol Ship", The New York Times, July 13th 2016
(10) "Philippines is willing to share natural resources with Beijing in South China Sea even if it wins a legal challenge", The Citizen, July 8th 2016
7月12日、オランダ・ハーグの常設裁判所は、フィリピンが南シナ海の問題について提訴した事案に関し、仲裁裁定を出しました。
日本のメディアも、本件を、連日大きく扱っており、そのほとんどが、フィリピンが全面勝訴で、中国が全面的に敗訴したという内容のようです。
関連する資料および裁定文を読んで、感じたことをお伝えさせて下さい。
まず初めに確認しておく必要があるのは、今回の裁定は南シナ海における主権(sovereignty)や境界画定(sea boundary delimitations)、すなわち領有権に関しては、全く判断していないということです。海洋法298条は、海洋法締約国に、領有権に関する紛争について、常設裁判所の管轄権を認めないと宣言する権利を定めています。中国は、すでに2006年にこの宣言を行っており、したがって、本件に関し、常設裁判所は、領有権に関する管轄権を持ちません。[1][2]
そこで、フィリピンは、迂回して別の問題を持ち出しました。フィリピンが持ち出したのは、中国が人工島を建設している陸地(land features)が、島(islands)か岩(rocks)かという問題でした。この点に関し、常設裁判所は管轄権があると判断し、岩であるという裁定を出しました。すなわち、今回、常設裁判所は、問題となっている陸地が島か岩かを判断しただけです。
領有権について判断が出来ないにもかかわらず、島か岩かを判断することにどれだけの意味があるのか疑問ですが、常設裁判所は、岩であると判断をしました。
そのため、今回の裁定の意味は、中国が領有権を持つかどうかについては判断出来ないが、仮に中国が領有権を有したとしても、岩なので、海洋権益(maritime entitlements)が及ぶのは領海12カイリの範囲にとどまり、より広い排他的経済水域(200カイリ)までの範囲にはおよばない、というだけのことです。
また、常設裁判所は領有権について判断出来ないので、常設裁判所は、中国が建設している人工島が、違法か否かについても判断していません。
さらに、常設裁判所は、いわゆる九段線(nine dash line)を始めとする中国の歴史的「権利」(historic rights)についても裁定を出しています。ただ、海洋法298条は、海洋法締約国に、歴史的「権原」(historic titles)に関する紛争について、常設裁判所の管轄権を認めないと宣言する権利を定めています。中国は、すでに2006年にこの宣言を行っており、したがって、本件に関し、常設裁判所は、歴史的権原に関する管轄権を持たないはずです。
そこで、常設裁判所は、中国が政府声明や通信社の報道で過去行ってきた主張を観察し、中国の主張は、単に個々の歴史的「権利」の束にしか過ぎず、主権の存在を根拠付ける歴史的「権原」に関する主張ではないと断定、したがって、常設裁判所は、2006年の中国の宣言にもかかわらず、これら中国の歴史的「権利」に関し、管轄権を持つとしています。その上で、中国が主張する歴史的権利を認めませんでした。[3][4]
しかしながら、先にお伝えしたように、常設裁判所は、領有権に関する管轄権を持たないため、常設裁判所は、個々の陸地に関し、領有権に関する裁定は行っていません。
このため、専門家は、今回の裁定を過大に喧伝し、九段線が無効になったとして中国を追い込むべきではない、九段線が南シナ海の個々の陸地における中国の領有権とそれにともなう領海などの海洋権益の根拠となる可能性はあると指摘しています。[5]
実際、裁定直後に発表された中国の声明を見ると、今後、中国は、より海洋法に則った領有権と海洋権益の主張を行うようになると思われます。[6]
今回の裁定に対しては、日本とアメリカのメディアが大きく反応しているのに対し、ヨーロッパでは比較的冷静に受け止められているようです。EUでは、各国間で評価が分かれています。ASEANも共同声明を出せませんでした。[7][8]
また、今回の裁定における、島か岩かの判断基準をあてはめると、南シナ海における台湾の権利も制限されるため、中国だけでなく、台湾も、今回の裁定の受け入れを拒否しています。[9]
なお、報道されているように、今回の裁定には、強制力はありません。
いずれにせよ、南シナ海であれ尖閣諸島であれ、領有権の問題は、一方の領有権を認めれば他方の領有権が否定される問題であるため、対立と紛争に向かいがちです。そのため、領有権問題については棚上げし、実質的な海底資源の共同開発や漁業権の割合に関し、多国間または二国間の話し合いで合意するというのが、賢明です。
すでにフィリピンの大統領は、本件を提訴した対中国強硬派のアキノ大統領から対中国宥和派のドゥテルテ大統領に代わっています。ドゥテルテ大統領は、中国と話し合いで問題を解決することを決定しています。[10]
南シナ海の問題は、軍事力では解決しません。外交によってのみ、解決が可能です。今回の裁定をひとつの根拠として、安倍政権は南シナ海へ自衛艦を派遣する決定を行うかも知れません。しかしながら、それは、問題の解決につながらず、かえって問題を悪化させることにつながるだけでしょう。
参照資料:
(1) "While the Courts Have Ruled, China Is Not Leaving the South China Sea", Julian Ku, The National Interest, July 15, 2016
(2) 「南シナ海問題に関する仲裁裁定」、浅井基文、2016年7月17日
(3) UNCLOS Arbitral Tribunal Press Release—PCA Case No. 2013-19 – The South China Sea Arbitration (The Republic of the Philippines v. The People’s Republic of China)
(4) UNCLOS Arbitral Tribunal Complete Set of Full Text PDF Documents—PCA Case No. 2013-19 – The South China Sea Arbitration (The Republic of the Philippines v. The People’s Republic of China)
(中国の歴史的権利に関する管轄権については、裁定文の85ページから97ページに記述があります。)
(5) "Shaping China’s Response to the South China Sea Ruling", Bonnie S. Glaser, The National Interest, July 18th 2016
(6) "South China Sea: Did China Just Clarify the Nine-Dash Line?", Andrew Chubb, The National Interest, July 14th 2016
(7) "EU's statement on South China Sea reflects divisions", Reuters, July 15th 2016
(8) "Asean 'abandons' joint statement on ruling", Bankok Post, July 14th 2016
(9) "Taiwan, After Rejecting South China Sea Decision, Sends Patrol Ship", The New York Times, July 13th 2016
(10) "Philippines is willing to share natural resources with Beijing in South China Sea even if it wins a legal challenge", The Citizen, July 8th 2016