あがってしまっているバッテリー。冬の間は外していましたが、もう一度充電し直して接続。
あがったのは今回で3回目。充電してもすぐに充電器が満タンを知らす警告音がなるし、さすがに今回は無理かなあと思ったのですが、意外とあっさりエンジンがかかりました。
でも心配だったので1時間程度エンジンかかたままで放置プレイ。
ガソリンが半分なので近くのGSで満タンにして南へ出発!!
なぜか100円ショップに寄って
これを買う。
ほのかな甘みがいいですね♪
最近ほとんど物を食べていない代わりに水分をやたら摂る私。
しばらく走ってここで小休止。
クソ暑いのでアイスを買う。
でもこういう暑さにはかき氷が向いているのであって、ソフトクリームは向いていないσ(^_^;)
すぐに口の中が甘くなり過ぎてしまい、水のペットボトルを買う。
きみはさっきから水分摂りすぎだwww
行き先は特に決めていないが、とにかく南へ。飛騨方面ですね。
いやあ、この日はとにかく暑かった!長袖のポロシャツをまくっていたので腕がすごい日焼け。
飛騨に入って着いたところは
戦国時代、神岡町を中心に栄えた江馬輝盛が住んでいたという館を飛騨市が再現した建物です。
以前にも一度行きましたが、暇だったので(笑)、もう一度着たわけなのであります。
江馬氏・・・・平家一門の輝経が北条義時の養子になったのが始まりといわれるが、真偽のほどは不明、
鎌倉時代には江馬一族が資料にたびたび見えるのですが、具体的に出てくるのは時経の代から。
飛騨守護の京極氏の被官になっていた三木氏と姻戚関係を結んでいたようです。
戦にあたって三木氏に援軍を送っていたりした江馬氏ですが、しばらくして三木氏と仲たがいし、対立関係になりました。
その後は三木氏が上杉謙信についたのに対して江馬氏は武田信玄につき、信玄の重臣である山県昌景が飛騨に侵攻した際にはそれに呼応して三木氏を降し、さらに武田・江馬勢は越中にも侵攻して松倉城の椎名氏も降します。これにより江馬氏は中地山城(立山町)を褒美としてもらい、家臣の河上富信を置きます。
これで江馬氏は安泰かとおもいきや・・・江馬輝盛は父の時盛を殺して江馬家を相続してしまいます。これは時盛ら江馬一族が親武田派であるのに対して輝盛は親上杉派だった事が起因しているようです。
前回も書きましたが、武田信玄が亡くなるにあたって自分の死を3年間秘密にせよ、という厳命がたった9日間で上杉謙信に知られてしまったのは江馬氏からの通報にあったといわれています。(輝盛弟信盛が武田氏に仕えていたのでそこから情報がもれた)
江馬氏も三木氏も同じ親上杉派として一時は平穏だった飛騨も武田氏が滅んで上杉氏が跡目争いで勢力を後退させ、そして三木氏が親しくしていた織田信長が明智光秀に本能寺で討たれると状況が一変します。
江馬輝盛は混乱している中央情勢のどさくさに乗じて飛騨一円を我が物にしようと三千の兵を集めて宿敵三木(姉小路)氏へ攻撃を開始、三木氏は盟友である小島・牛丸両氏に応援を要請して二千で迎え撃ちます。これが飛騨の関ヶ原といわれた「八日町の戦い」です。
序盤は人数の多い江馬勢が有利だったのですが、勢いで攻めかかる江馬勢に対して三木勢の伏兵が奇襲攻撃、混乱状態に陥った江馬勢を翻弄し、さらには三木勢の鉄砲武者が大将である江馬輝盛を狙撃して見事に討ち取り、この戦いで江馬勢は壊滅してしまうのでありました。
この後、江馬勢の居城であった高原諏訪城は落城、一時は三木氏改め姉小路氏が飛騨を治めることになったのでした。
その後の両氏はというと
江馬氏・・・息子らしき時政なる人物が姻戚関係にある越前大野城主金森長近(輝盛の娘は長近孫の左京重勝の嫁)に庇護されており、後に金森長近が飛騨に侵攻した際にはその尖兵となって姉小路氏と戦い、姉小路氏を倒すことに成功したのでした。しかし、褒美としてもらえるはずだった旧領の高原郷は結局もらえず、約束を反故にされた腹いせに時政は反乱を起こすのですが、金森勢に討たれ、江馬氏は滅亡してしまいます。
姉小路氏・・・金森長近に攻められ、飛騨の大名としては滅んでしまいますが、他家へ人質に出されていた近綱が後に徳川家に仕え、以後姉小路家は旗本として存続します。
遠目から見て回りました。
室内に入るには入館料が必要です。前回行った時には市の職員と現地採用の人と二人いましたが、今もそのようです。二人共草刈りしていました。邪魔しないように見学していました。
館の表門前の堀。薬研堀といいます。こういったものは一度落ちると上がりにくくなっているものです。
堀の中であたふたしている敵に向かって塀の上から鉄砲や矢で殲滅できるように。
完全ではありません(一部地元の地権者の賛成が得られなかった為)が、よく再現されていると思います。江馬輝盛はここに住んでいたようです。
基本的にお殿様は城の天守閣で住んでいません。それはTVや映画の世界。トイレも風呂もない天守閣の最上階までわざわざ上がって寝泊りするなんて不便。普段は麓にある屋敷にいるものです。城にいるのは有事の際とか家中での公式行事等のみ。
赤外線装置までついている・・・。維持費かかるなあ。そこまでして作らなければいけないものなのか?
たしかこの館、1億3000万程度かかっているはず。でもほとんど誰も訪れる人はなく、来るのは私みたいなマニアか江馬一族にゆかりのある人くらいか・・・。
場所が高台っぽい場所にあり、看板が不十分な事もあってわかりずらい。飛騨市の観光名所にするのならばもっと周知を充実させるべきだと思います。
ん?この家紋は「三ツ星一文字」。大江氏末裔の毛利氏系(毛利元就で有名な)が使う家紋。江馬氏は北条の末裔を称しているので「三つ鱗」はずなのになぜ?
しばらくして暑いのでここから退散いたしました。
ここから若干近くにある「神岡城」なるところへ。神岡中学校のそばにあります。
正しくは「東町城」。武田信玄の命を受けた山県昌景が飛騨へ侵攻し、江馬氏等を支配下に置きました。
この時江馬氏に命じて築かせたのがこの城。
この城の天守閣です。
入らないのでけっこうです(笑)
マニアなら天守閣を見て戦後の作り物だと一発で見抜けます。
実はこのような漆喰で固める典型的な天守閣は安土桃山時代から。それまでは土でもった台に完全木造の天守閣みたいな櫓を築いていました。東町城が出来た時代と江馬氏の身代から考えるにこの作りはありえない。さらになんて低い天守閣(笑)これじゃ意味ねえじゃん。
じつはこの建物、鉱山会社の記念事業として建てたものなのでした。
この後、お腹の調子がおかしくなってきたのであわててうちへ帰った私なのでした。
















