23日(金)
結局この日も仕事が終わってから準備。それにしても遠出する時にたくさん荷物をもっていく子だなあ。
予備の衣類だけでなく予備の予備まで持っていく。使わないのに。
夜明け前に出るつもりが、結局夜が明けても出発出来ませんでした。
24日(土)
0830出発。途中賤ヶ岳SAに寄りました。
ここは唯一「つるやのパン」が売られているところ。つるやのサラダパン、最高!!
コッペパンにマヨネーズベースのものにからめたたくわん漬が入っているのですが、これがめちゃくちゃおいしい!関西方面に行った際には必ず買います。
1300すぎには大阪市内に。
受付をすませる前に行きたいところがあり、天王寺区へ。
元々菅原道真を祀ってあるいたって普通の神社なのですが、真田幸村(正しくは信繁)の最後の地として一躍有名になりました。
1615年5月7日、俗にいう「大坂夏の陣」において圧倒的な徳川勢にたいし果敢に突撃、先鋒を撃破して徳川家康本陣に突入するなど善戦するも衆寡敵せず、安居神社まで退いて休息していたところを討たれました。
数倍もの関東勢に対し冷静に対処し、わずかな隙を見過ごさずついには家康をあと一歩というところまで追い詰めた幸村。家康は命からがら逃走して一時は死を覚悟したほど。
しかしながら結局は家康を討つことは出来ず、3000余名いた真田勢も壊滅、満身創痍の状況で傷ついた家臣を看病していたところを松平忠直(家康の孫)の越前勢に囲まれ、西尾久作宗次という武将に討たれてしまいます。
普通、武将の銅像といえば凛々しく立っているのがほとんど。なのに幸村像はしゃがんでいます。
実際もこんな状況ではなかったかと思います。全ての力を出し切って動けないくらいの疲労困憊。越前勢に囲まれた時も刀を抜いて抵抗するなんて力なんて残ってなく、神妙な態度で首を差し出して討たれたのではないかと。
一見無念にもおもわれる最後ですが、一概にそうとは言えないと思います。むしろ達成は出来なくてもやるだけのことはやった、ここまで頑張った、家康よ、思い知ったか!ひょっとすると清々しささえもあったのかもしれません。
銅像を眺めながらマラソン本番では幸村のように全力を出し切りたい!と思った私なのでした。
手を合わせて完走を祈願した私はマラソンの受付に向かうのでした。









