だいぶご無沙汰してしまいました照れ

毎年10月後半-11月前半のフルムーンから次のフルムーンまではなんだか自分の内面に入る時期のようで外に向けて言葉を発信することを止めていました。特に言語的な答えが出てくる訳では無いのですが、大切な時間だと思っています。

 

さて、その間実はプエブロの中心的な場所であるニューメキシコ州アルバカーキとサンタフェに行く事があったので、良い機会なのでアルバカーキ、サンタフェについて話をしたいと思います。以前スパニヤードの話でサンタフェに少し触れ、とても良いところなのでいつか話をしたいと言いましたが、実現しました。

やっぱり良い所でした! 好きだなー ニューメキシコ!

 

ただ、今回残念ながら、ニューメキシコ州全体が11/16日から2週間のロックダウンになってしまい、見たい場所や行きたい場所が軒並みクローズしてしまったので、写真等は生写真が少ないかも知れませんが、

いつか! 皆さんが再度アメリカを訪れる時が来ることを祈るつもりでご紹介したいと思います。

 

まず、そもそもニューメキシコ州って?という方もいるでしょうから場所の位置関係を抑えておきましょう!

 

 

ニューメキシコはアメリカ南西部、西はアリゾナ、東はテキサス、北はコロラド、南はメキシコ国境という位置関係。主要都市は…(正直)アルバカーキしかない…笑い泣き

 

ではアルバカーキが首都かというとそうではなく! 首都は実はサンタフェなんですね!! その辺りは後ほど詳しくお話しします。

 

地理的に南側にエルパソ(El paso)という街があるので、エルパソがニューメキシコ州(もしくはメキシコ)だと勘違いしがちですが、エルパソは実はテキサス州です! 

 

エルパソと云えば…エミリーブロンテ主演のSICARIO(2015)という映画がありましたが、それはエルパソを舞台としたアメリカ・メキシコの闇カルテルのダークな部分を扱った映画ですが、エルパソやメキシコが実は本当に怖いところなんだという事がしみじみ分かる映画です。興味がある方はぜひ“覚悟のうえ!(とてもグロいシーンが出てきます)”ご覧ください。個人的には妙に好きな映画なんですね(決してグロイ映画が好きなわけではなく、人の闇は些細な日常生活から生まれるものなのだという事がとてもよく分かる映画です)

 

 

ニューメキシコはその名の通り以前はメキシコの一部でした。ニューメキシコだけでなく、アリゾナ、テキサス、カリフォルニアはメキシコの一部分だったんですね。だからこのエリアの主な地名ロスアンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガス、サンディエゴはほとんどがスパニッシュです。

 

さて、以前はメキシコだったという話に行き着く前にスパニヤードとメキシコとの関係を簡単にお話しする必要があります。また歴史の勉強になりますね・・・

 

何度もお伝えしているように1492年にコロンバスが現在のバハマ周辺に漂着し、新大陸発見がヨーローパに知れ渡ります。コロンバスはイタリア人ですがスペインの出資で航海が成立、その功績や発見物はスペインのものになり、その後スペインの軍隊がこぞってアメリカ新大陸征服を目指し入ってくることになりました。

 

そして、スペイン入植者が初めにコロニーを作ったのは1502年で現在の(中南米)コロンビア周辺だと云われています。アメリカに初めてコロニーが出来たのは(以前お話ししましたが)1607年にイギリス系入植者が作ったジェームスタウン(現在のジョージア州)ですからそのほぼ100年も前の話になります。(ジェームズタウンの話はディズニーのポカホンタスに繋がる、これもまた面白い話がありますが…それはまたどこかで…)

 

そしてその軍勢は西に移動し、現在のメキシコシティがあるアステカ王朝(Aztec)のテオテティトランを1521年に征服し、新スペイン王国としてスペインが(それから300年間)統治を行います。

 

当時のスペインは歴史上有名なスペイン無敵艦隊を率いた強国の時代で、世界の大航海時代を支え、アメリカ新大陸からの資源がさらに国を強くしたと云われています。

 

ですが1588年のアルマダの海戦でイギリス海軍に敗れたところからスペインの勢いは衰え、加えて内政の脆弱化から1800年初頭にはフランスのナポレオンが一時スペインを征服し自分の兄を王に据えました。しかし、その体制も長くは続かずフランスに抵抗するイギリス・ポルトガルの後ろ盾もあり1813年にはフランスからスペインを取り戻します。

 

ただこの後も内政は混乱、当時のヨーロッパに広がる王政に反逆する自由主義者の波はスペインにも飛び火し王政と自由主義者の戦いは1900年代まで続いたようです。その機を同じくしてラテンアメリカの市民たちも1800年初頭にはスペイン統治に反旗を翻しメキシコ独立戦争が幕開け、1824年軍を率いたGuadalupe Victoriaが初代大統領としてメキシコを統治するに至ります…。

 

まさか、アメリカのニューメキシコがスペインやメキシコの歴史に触れるとは思いもよりませんよね? 

 

学校で教える歴史って(仕方がないのですが) 現実感のない机上の空論に終始するので、興味を持つ人がいなくなるもの当然のように思います。でも、こうやって場所の歴史を一つ一つ紐解くとあの線とこの線が繋がり、このこととあのことが繋がり…世界が繋がってくるので、とても面白いですよね

 

正直、ヨーロッパは、ギリシャ以外はあまり興味が無いのですが、ネイティブアメリカン➡メキシコ➡スペインの繋がりでのスペインには少し興味を感じています。いつか行ける機会があると良いと思っています。

 

ざっとそんな背景があることを抑えて置いて、ニューメキシコに話を戻しましょうビックリマーク

 

1521年にアステカを征服し新スペイン国を樹立する一方、アメリカ新大陸を(鉱物資源目的で)探検する軍勢が出てきます。特にこの南西部で有名なスパニヤードはナルバエズ遠征隊(1528年出発:Pánfilo de Narváez)。この行軍で生き残った バッカ(Alvar Núñez Cabeza de Vaca) はサントドミンゴ(現ドミニカ共和国の首都)を出発し海路でキューバを経てフロリダ、ミシシッピ、テキサス、その後陸路でニューメキシコ、アリゾナ、ネバダ、カリフォルニアを徒歩でほぼ瀕死の状態で8年に渡り踏破したというもの。

 

スタート時には600名いたクルーは結局4名しか消息が分からず、しかもVacaはネイティブアメリカンの奴隷として生活しながら部族間を渡り歩き、メキシコ周辺で偶然スペイン軍と出逢いスペインに帰ることが出来たというとても遠征とは言い難い過酷極まるものだったと云われています。

 

次はプエブロとスパニヤードの記事でお伝えしたコロナド隊で1540-42年にかけメキシコシティーを出発しアリゾナ、ニューメキシコ、カンザスに幻の7つの金の街Cibolaを求めて旅を行い、途中幾つものプエブロと戦いを起こしました。

 

Cibolaは実在の街ですが“7つの金の街”が幻であったとするコロナドからの報告後この地に足を踏み入れたスパニヤードは現れず、その後50年の年月が経った後、新スペイン国生まれのオニャテ(Juan de Oñate)がスペイン本国の王よりリオグランデバレーを新スペインの領土にせよとの命を受け1598年から遠征に出発、途中有名なアコマプエブロ虐殺を行い同年この領域をサンタフェ・デ・ヌエボ・メヒコ州=新メキシコ国を創設し、その後継者の、ドン・ペドロ・デ・ペラルタ(Don Pedro de Peralta)が1607年現在のサンタフェにその首都を建設するに至ります。

 

ペラルタは1610年に正式にサンタフェを首都として創設宣言を行い、現在のアメリカ国内でもジェームズタウンに次ぐ古い創設都市とされています。だから、今でもニューメキシコ州の首都はサンタフェなんですね。

 

サンタフェはスパニッシュでHoly Faith(=聖なる信仰・信頼)という意味です。スパニヤードの目的は鉱物資源であると同時にローマカトリック教を宣教することでもあったのでサンタフェだけに関わらず、ロサンゼルス、サンディエゴ、エルパソなど南西部の主な都市には古い教会が幾つもあるのはその由縁です。そんなに信仰が深いのに大虐殺を行うという一神教のキリスト教の矛盾点である訳ですねー それに先住民をキリスト教に改宗させるなんて、大きなお世話だと個人的には思いますが…それが宗教ですからね…

 

ちなみにアルバカーキは1706年設立というこれも意外に古い歴史を持つ場所です。

 

今回は歴史的な話に終始しましたね。次回は街の魅力をご紹介したいと思います。

 

ニューメキシコ州の州の旗