今回ご紹介した物語は実は比較的新しい時代に語られたものです。時代としては前回お話したバッファロー大量虐殺の時代つまりインディアン戦争末期です。それは、飢えで困る描写、戦いが無くなる世界を望んでいること、そして、実在した白人の司令官カスターの登場から分かります。

しかし、ホワイトバッファローウーマンの物語はずいぶん前から伝わっていて似た物語がいくつかあります。White Buffalo Calf Womanもその一つです。ネイティブアメリカンの物語は口語伝承なので語り部の思いや時代が付加されることがよくあり、それも神話・物語の面白さでもあります。

 

 

ただ、どのバージョンをみても2人の若者が美しい女性と出会い、1人は悪さをして雷にうたれて死ぬ、村の真中に女性のためのロッジを建てる、女性からパイプの意味やその儀式を教わる、女性がホワイトバッファローウーマンに変化する、ことは変わりません。

 

つまり、今回ご紹介のものでは冒頭部分と飢え、平和を望む、白人司令官カスターのくだりが付加されたものだと考えられます。

それはラコタとカスターの歴史を見ることで理解が深まります。

ラコタ族(LakotaTribe)はスー族(Sioux)の一部で、スーはラコタ、ダコタ(Dakota)、ナコタ(Nakota)から構成され、ラコタはTetonSiouxとも呼ばれ、7つの族(Bands)(Seven CampFires)で構成されます。このような共同体形成はネイティブアメリカンには珍しいといってもよく、多くは(派閥はあるかもしれないが)「」でまとまり、族に分かれたら別れたままで特別なことが無いかぎり集まりを行うことはありません。物語での仲間が集まり、集会を行うとはこの背景があります。

 

そして、ラコタはその先祖(900AD) はミシシッピ川の東にあたるオハイオバレーから来たとされ、オハイオ川の上流には五大湖(Great Lake)があり、昔は東の湖岸に住んでいたという記述がかなり史実に近いことが伺われます。この物語が新しいといえ1800年代―当時はまだ地図や記録がなく移動手段が徒歩であることを考えると、五大湖が海ではなく湖だという事を知っていたのは驚きです。

 

さて、ではこの時代の人々は物語にあるように飢えていたのでしょうか?これは推測に過ぎませんが、飢えはヨーロッパ入植者とのインディアン戦争が作り出したと考えます。古いと思われる神話に飢えは出てこないし大きな気候変動があった事実もありません。バッファロ―の数も1830年以前に変動はありません。戦争によりわずかな畑も焼かれ、土地を追われ、作物を作り収集し狩猟する時間も無く、頼みのバッファローも激減してしまえば…飢餓になるのは無理もないでしょう。

 

オハイオバレーに居たラコタの祖先は他の部族に押される形で1700年代にはミシシッピ川の上流(現在のミネソタ、ウィスコンシン、アイオワ周辺)にその居を移動させ、隣接のシェイエン(Cheyenne)族とミズーリ川の周辺で小競り合いを繰り返した後ブラックヒル(Black Hill)をラコタの聖地とします。

ブラックヒルは現在のサウスダコタの西、ワイオミングとの境界部分にあり、スピルバーグ監督の映画ETに登場するデビルズタワーや4人のアメリカ大統領の顔が山に掘られたマウントラッシュモアがあることで有名な場所です。ブラックヒルにまつわるラコタのインディアン戦争は物語性が高く歴史学者の中でも注目されるテーマになっています。これもいつかお話ししたい。

一方、カスター(George Armstrong Custer )は1861年のThe Civil War (南北戦争)以来生涯を戦いに捧げた人物で、当時は医学が未発達で戦傷は死を意味し、部位によっては切断が唯一の治療だった中で16年間第一線で活躍し最後には約1500人を率いる戦線の将校になったのは強運を持つ軍人の証です。

カスターを有名にしたのはバッファロー大虐殺を承認したシャーマン将軍の指示で出兵した1868年の南シェイエン(SouthernCheyenne)族との戦いBattle of Washita Riverで、西側でのインディアン戦争での初めての大規模な勝利と言われています。またそこでは戦士だけでなく捕虜とした女・子供までも容赦なく殺害した残忍さが広く知られることになりました。その後ダコタ砦の将校になったカスターは政府からブラックヒルの調査を命じられます。ブラックヒルは政府とラコタとの間に条約(Treaty of Fort Lalamies1868)が結ばれ不可侵だった。それは政府も承知でしたが政府の財政ひっ迫は約束よりもブラックヒルの金の可能性を選択、それまで大きな戦いを避けてきたラコタは、全く知らされずに約束を破棄されたカスターの聖地ブラックヒルへの侵入、しかも途中数人のラコタが殺害されたことで全面戦争に舵を切ることになります。そして、政府はカスターが金を発見した報告を受け本腰を入れてブラックヒルの獲得に動き出すことになりました。

 

つまり、物語でのカスターの“誓いの破棄”は実はカスター本人がラコタとの間に交わしたものではなく政府との間に交わされた誓いを指します。条約の締結時にはパイプが使われていました。

ラコタでは特に煙草を吸う行為とそれを吸うパイプをとても神聖なものと捉えています。私もその意味をラコタ出身の人に教わりました。コーンマザーの物語で見たように煙草そのものが大地からの恵みであり、火をつけた大地の恵みの煙そのものがスピリットであり、それを儀式通りに身体に取り込むこと、それが“誓い“を意味するのです。

 

(※ブラックヒルへのカスター侵攻(1874)後、ラコタはBig Hornの戦い1876で政府軍を打ち破りカスターは戦死。だが、その翌年1877には政府の全面攻撃でラコタを率いるクレイジーホースが殺されブラックヒルは陥落する)

 

物語で注目したいのは2人の若者の登場とその1人が制止を聞かずに雷にあって死んでしまうという事です。世界の神話・民話には対になる2つのモチーフが良く出てきます。男性と女性、太陽と月、右と左、陰と陽(中国思想ですが)などなど。でも、インディアンのそれでは2人もしくは双子が何故か多く出てきます。これは人の内面の2極性だと考えられています。人は善と悪を両方持つものといいたいのでしょうか?

 

そして、制止を振り払う事、これは神話の研究者の河合隼雄さんが言う“見るなの禁”だと考えています。神話民話には“鶴の恩返し”に代表される“見てはいけない、やってはいけない”禁が出てくるといいます。そして、その禁は必ず守られずに破壊がやってくる。まさに雷雲で死んだ若者ですよね。カスターの誓いの破棄も同じく約束は守るものだという道徳を説いているのかも知れません。でも一方で、約束を守らないのもまた人なのだと説いているのでしょう。

 

バッファローはラコタの人々にとって衣食住をまかなう存在以上に、聖なるパイプの神聖さを授けてくれる恩師にも似た親密さと尊敬の存在だったことがこの物語から分かります。そして、インディアン戦争による飢餓や恐怖、バッファローの消失は、それまで単なる幻想的な存在だったバッファローウーマンをより切実な祈りの対象にし、人々に熱く語り掛ける勇者に変身させたと考えます。

 

想像し、信じることの大切さを教える神話や民話、今の時代に合わないとは決して思っていません。

 

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