北米大陸に生息するバッファロー(Buffalo)をご存知でしょうか?日本には生息していないのですぐにイメージできる人は余程動物に詳しい人でしょう。

 

バッファローは猛牛とも訳されますが猛牛は英語でBull(雄牛) エナジー飲料のRed BullやNBAのChicago Bulls、NYウォールストリートにある銅像が有名ですね。バッファローの日本語訳は無くバファローもしくはバッファローです。発音的にはBuが吃音のように聞こえるのでバッファローの方が近いでしょうか?

 

容姿は写真を見て頂けば一目瞭然です。

 

(travelchannel.com)

何かで見たことがあるかも?…という方がいたら、それはディズニー映画の「美女と野獣」を見たからかも知れません。 肩から胸が異様に大きく下半身はそれに比べてとても小さい、アニメでデフォルメされているように思えますが、実物がまさにその容姿です。

 

(mynews13)

 

さて、このバッファロー、興味深い点で真っ先にお伝えしたいのは、実は正式名称ではないという事です。これはネイティブアメリカンをインディアンと呼ぶことと同じで、誤った呼び名が一般的に流布している「誤称(Misnomer)」といわれるもの

生物学的にバッファローとはアジアに生息する水牛(Water Buffalo)とアフリカのアフリカンバッファロー(African Buffalo)のことで、アメリカにいるバッファローは正式にはバイソン(BisonBison)です。ちなみに北米大陸にはBison BisonとWood bison( B. b. athabascae)が生息し、バイソンは世界的には他にヨーロッパにも生息しています。

だから、バッファローをググるとBuffalo=Bisonとして出てきます。

ややこしいびっくり

 

なぜこの名前の取違いが起こったのでしょうか?正確な理由は不明ですが、1616年フランスからの入植者で後に現カナダのケベックにフランス領を設立した人物が探検中、野性動物を乱獲しそれを記事として発表する際バイソンをフランス語のBufflueと記したと言われています。

ということは、ヨーロッパでもバイソンはバッファローと呼ばれていたのか?もしくはいるのか?はよく分からないし、そんなに古くからバッファローの方が有名だったのなら、その名前を学名にすれば良かったのでは…とも思いますが…

 

まあ、とにかくバッファローの方がアメリカでは馴染んでいるのは確かです。Buffaloが付く都市の名前は全米に多くあるし、アイスホッケーチームやフットボールチームなどプロだけでなく大学、高校のスポーツチームの名前には引っ張りだこです。バッファローという名前の響きがやはり、強さを感じさせる以上に、実はバッファローはあの大きな体重・体格のわりに、2m近くはジャンプをし、時速65キロを7㎞ほど走れる身体能力を持つのでスポーツの目指すべき姿として名前が使われるのはある意味当然かと。

これが草食ではなく肉食獣なら間違いなくライオンの上をいく百獣の王だったに違いない。だから、アメリカ内では白頭ワシ(Born Eagle)と共にアメリカを代表する野生動物と云ってよいでしょう。

 

そのアメリカを代表するバッファローが実は誤称ってのが本当に不思議だし、ネイティブアメリカンも同じ誤称である点も何かしら運命めいたものを感じざるを得ません。それもそのはずでネイティブアメリカンのある種族にとってバイソンは畏敬のDietyであり、糧であり、戦いから学ぶ恩師であり、自分達が生きる源たる宇宙に匹敵するほどの存在でした。

 

 

さて、このバイソン、ずいぶん昔はものすごい数が北米大陸に生息していました。1500年代、その数は30,000,000から60,000,000頭いたとされています。(※出典は記事末にあります、そして、ちなみにバイソン自体は50万年前から世界に存在していました)

それが、1889年には全米で541頭!。しかも、激減したのは1830年以降で僅か59年で少なくとも3千万頭以上が殺されてしまったのです。

何があったんでしょうか?

 

気候変動ではありません、人による殺戮です。肉というよりはその毛皮が主な目的だと言われています。先住民族であるネイティブアメリカンが行った? そう書かれている文献もいくつかあります。

でも、違います! 

彼らは自然と共生していました。生きるためにバイソンを衣食住に利用し、インディアン戦争中は武器の購入のために毛皮を売るしかなかったという事実はありますが、必要以上に狩ることはなかった。

 

ヨーロッパからの入植者―今のアメリカを作った人々です、その秩序を葬り去ったのは…

 

確かに歴史とは殺戮の繰り返し、特に昔の時代は、今からは考えられないくらい、人間は残虐にあらゆる動物-人間を含めて殺戮しています。

映画などでは頻繁にどの国でも先住民族を野蛮で悪い者のように扱うものが多いです、「人食い人種(Cannibalism)」とか「生け贄の儀式」とかに仕立て上げている。前回少しお話ししたメサベルデ国立公園を中心とした古代人のプエブロ族に関するドキュメンタリー映画をずいぶん昔に見ましたがプエブロはカニバリズムが行われていたことをメインに映画が進行するので、2000年代に作られた映画であるにも関わらず、未だにネイティブアメリカンをそういう見方で見る白人歴史学者に呆れるを通り越して強い憤りを感じたものでした。

 

確かに歴史的にはネイティブアメリカンに関わらず世界の先住民族にカニバリズムの証拠があり、一部のヨーロッパ人やアメリカ人は先住民が野蛮で無教養な証拠としてカニバリズムを見ているようですが、昔のヨーロッパの人たちの殺戮の方がとても残虐で無教養に見えるのは私だけではないと思います。コロンバスに代表される大航海時代はヨーロッパ人の世界大殺戮時代に他ならない。イギリス、フランス、スペインなどの列強がその時代世界中で何をしたのか?歴史書を見ればそれが事実であることは明かです。

 

それと全く同じことがこの北米大陸のバイソンにも降りかかりました。1492年のコロンバスのアメリカ大陸発見からやって来るヨーロッパからの入植者たち(ヨーロピアンセッター)。かれらは友好を結びに来たのではなく征服するためにこの地に入ります。しかし、1500年から1800年まではバイソンの数にあまり変動はありません。

バイソンにとっての本当の試練はアメリカがイギリスから独立した後にやって来ます。

1775年イギリスからの重税に耐えかねた既にアメリカ大陸しか知らない住人で作られる13のコロニーはイギリスとの戦争(独立戦争)を始め、翌1776年独立宣言を行います。ただイギリスとの戦いは続き1783年のパリ条約にてイギリスの敗北とアメリカ合衆国独立が認められました。ようやくアメリカ大陸が自分たちのものになりますが、それは東側の一部分だけのもの、独立当初は味方だったフランスがミシシッピ川の広大な領域を持っていてその土地の買収は1803年だし、各地でネイティブアメリカンとの戦いは続き、その後1860年代の南北戦争(内乱)もまだ先の混乱した内政という状態でした。

 

そして、1830年当時7代大統領であったアンドリュージャクソンが採択したインディアン移住法(Indian Removal Act)によって国内統一に向けたネイティブアメリカン一掃作戦が取られるようになってから、バイソンの数は急激に減ることになります。

1830年 40,000,000 

1840年 35,650,000 

1870年  5,500,000  

1880年  395,000

1889年  541(US)

 

ここに大きなバイソン激減に至る恐るべき一つの策がありました。それが1867-1873年にかけて行われた、ある市民戦争を闘う司令官が出した作戦です。

インディアンを殺すにはそれが食糧や生活の糧として共生しているバッファローを皆殺しにしよう」 

 

兵糧攻めという城に食糧が運ばれる道を断つという城攻めの戦法がありますが、その犠牲にバイソンを選ぶというのは恐るべき内容です。

 

ただ、その少し前1860年初頭からNY周辺の一部の裕福者層が野性の荒野西部(Wild West)で行う勇気・名誉の証しのレジャーとしてバッファロ―ハンティングが行われた風潮もバイソン激減の一役を担っています。

そして、1890年サウスダコタのBlack Hills周辺にてゴーストダンサーに代表されるインディアンファイターが、既に囚われの身であったかつての指導者Sitting Bullの殺害に奮起し、ウーンテッドニーで戦いを行うが大虐殺に終わるというThe Wounded Knee Massacre で300年近く続いてきたインディアン戦争は事実上終結したと言われています。

 

バイソンの減少の年代がまさにネイティブアメリカンの戦いの軌跡になっていることは数奇な運命の偶然でしかありません。しかし、それはネイティブアメリカンとバイソンの結びつきが糧という物質だけではないもっと精神的に深いところでの繋がりがあったからこそ、なのだと思っています。

バッファローの神話がそれを物語ります。それはまた別の機会でお話ししましょう。

 

そして、バイソンは…殺戮をする人がいる一方それを保護しようという人々もいて、1875年議会がバイソン保護に関する法案を出すも当時の大統領グランツはその3年前の1872年イェローストーンのエリアを国有地化しパークとする(事実上の初代国立公園)法案を通しながらもバイソン保護だけは許さずに否決した経緯があります。

それもそのはずでバイソン一掃作戦を許可したのは正にこのグランツ大統領でした。

 

しかし、1884年には議会はイェローストーン国立公園にバイソンの保護を依頼し、さらに1903年からは本格的な保護活動が動き出し、今現在では500,000頭(2017年)に回復したといわれています。

 

バイソンは今、イェローストンが最も多く生息していますが、実はグランドキャニオンのノースでも保護が行われているし、野生ではありませんが、アリゾナ州ウィリアムにBearizonaという動物園に普通のバイソンと共に珍しいホワイトバイソンが飼育されています。

Photo by Koh TANAKA @Bearizona

 

バイソンはぜひ肉眼で見てください。あの貫禄とその背後にある悲しい歴史が彼らからにじみ出ていて、私はこの動物を初めて見た時、その歴史を知らないのに、何故か涙が止まらなかったことを今でも覚えています。

そして、ラコタに伝わるバッファローの歌、ラコタ語でバッファローはタタンカと発音しますが、この歌もとても物悲しい、でも毅然とした重みのある歌、それは自分たちの分身であり、宇宙でもあるバッファローを称える魂の叫びです。

 

出典: https://www.fws.gov/bisonrange/timeline.html

Bureau of Sport Fisheries and Wildlife (January 1965). "The American Buffalo". Conservation Note12.

Hornaday, William T. (1904). The American Natural History. New York: C. Scribner's Sons.

 

“Kill Every Buffalo You Can! Every Buffalo Dead Is an Indian Gone” J.WESTON PHIPPEN The Atlantic