今回はお約束通り前回のネイティブアメリカンの神話である “ストーリー”の中身について書きたいと思います。
ハバスパイをご期待の方 ごめんなさい。 必ず書きます
!
前回お伝えした通り、ネイティブのストーリーは 神話であり、昔話であり、教えであり、歴史であるといういろいろな側面を持っています。
まあ、とにかく今回は前置きなく、一つ短いストーリーを読んでみてください。
Gluscabi の出現
Tabaldakが人類を作り終えたあと、彼は両手に付いた塵を払い落し、それは地球の上に振り撒かれた。
その塵から Gluscabiは自分自身を作りだした。
彼は地球から腰を上げ、言った 「さあ、ここに私はいる」
そう、それがAbenakiの人々が Gluscabiと呼ぶ者であり、又の名を“Odzihizo” -その意味は ”自分自身をあるものから作りだした男“
かれは、The OWNER(オーナー)、Tabaldakほど力強くはなく、むしろTabaldakの孫のようであり、人間であり、物事を変える力を持っている、ただし、その力はある物事を一層悪くする力だった。
Gluscabiが地球から腰を上げた時、オーナーであるTabaldakはとても驚ろかされた。
「いったい、どうやって、あなたが出てくるようなことが今起きたのだ?」 と言った。
そして、Gluscabiは答えて言った 「そうだな、なぜなら、あなたが始めての人類を作った後の残りの塵から私は私自身を形作ったのです」
「あなたはとても素晴らしい」 オーナーは彼に言った
「わたしはとても素晴らしい、なぜならあなたが私を撒いたからだ」
「私たちに雄叫びをきかせなさい」 オーナーは言った
そして、彼らはその場所を去り、山の頂上へと昇って行った。
そこで、彼らは目をぎっと見開らき、彼らが見ることが出来る光景全てを凝視しながら見渡した。
彼らは 湖を、川を、木々を、地球上の、大地に広がるすべてのものを見ることが出来た。
そして、オーナーが言った
「見よ! 私のしたことがいかに素晴らしいことなのか! わたしのこころのままに、私はこのすべての存在する世界を作りだした、海や川や湖を!」
そして、オーナーとGluscabiは目を見開いて凝視した。
極力 意訳はせず、言葉の配列もそのままに訳しました。
これは Abenaki という北米大陸東側のカナダとアメリカ国境付近に住む種族に伝わるストーリーです。これは私が直接聞いたわけでは無く、本の中の一つのストーリーです。出典はこの記事の最後に載せていますのでご参照ください。
この‟ストーリー“はいわゆる「創世」ものです。地球や人類の始めはどういう世界だったのか?にヒントを与えるものです。
“ストーリー”は現代人にとっては意味が通じないことがしばしば出てきます。
脈絡がないんですよね。
上も下も右も左もない、配列が無茶苦茶 って感じでしょうか?
だから、解説のしようがないし、「だから何だ?」って言われると なにも返す言葉はない。
でも、その無茶苦茶さが無意識的なんだってことだと思います。
赤ちゃんが話をし出した後その内容が無茶苦茶に大人は聞こえるでしょう? そういう事だと思います。
Tabaldakは人類を最初に作ったのに、その人類についてはここでは全く語られません。
(※Abebakiの他のストーリーで語られているとは思うのですが、ストーリー自体はいくら探しても出てこないんですよね…)
Gluscabiが出てきた理由も一切わからない。
そもそも彼は何なんでしょう? 塵から自分自身を作った男って…
「だからなんだ?」 「…」 ってな感じ
でも読み進めると、不思議に何度も読み返してしまうんです。
塵から自分を作りだすって どういう感じなんだろう? どんな気分なんだろうな?
やっと生まれたって感じなのか? 出て来ちゃった? って感じなのかなー
目を見開いて、地球上のあらゆるものを見渡す 彼らの姿はとても印象的です。
Tabaldakは自分が作り出したものを愛でる気持ち、Gluscabiは自分と同じ素材でできているものを愛でる気持ち、そして、双方とも自分の手を離れた存在だからこそ、地球上のものたちを愛することが出来たようにも感じます。
ここにも ネイティブのグレートスピリットの概念を見ることが出来ますよね。
さて、幾ら辻褄の合わない分かりにくい内容とはいえ、わざわざ、このブログでご紹介するのですから、ちょっとは解説じみたこともしないといけません。
まず、ネイティブのクリエーター(創造主)という概念について。
ネイティブのいうクリエーター(創造主)は いわゆるGOD:神 とは違います。
これはこのブログの以前の記事「ヤマトの神とグレートスピリット」でもご紹介していますが、ネイティブではクリエーターはあらゆる地球上・宇宙上の存在物‐人間・動物・山・川の無機物を作りだしましたが、クリエーターもその他の存在物と同じだと考えます。
クリエーターは別に偉いわけでは無いし、クリーエータ―を恐れてはいない。
だから、感謝しますが、怒りを鎮めるために崇め奉ってはいない。
クリエーターはクリエーターの役目をして、人間は人間の役目をしているだけ、なのです。
一方、一神教の神は唯一絶対神で 神とそれ以外は違う世界、違う次元にいると考えます。そして、多くは神の怒りやを恐れを受けないように、崇め祀ります。
一神教やキリスト教文化圏の人の中には 神という言葉を使わず、クリエーター(創造主)と呼ぶケースもありますが、創造主と人間は違う次元で、恐れがある時点で、一神教と何ら変わりはありません。
Tabaldakはクリーエータ―ですが、Gluscanbiと一緒に山に駆け上がるという行為をすることや、その時の記述には「They:彼ら」という言葉を使う点からも、TabaldakとGluscanbiが同じ立場にいることが分かります。聖書ではこういう事は決してありません。
また、Tabaldakが人類を作り終えた後の残った塵からGluscanbiが出来上がったということも、あらゆるものはすべて同じ素材で出来上がっていることを伝えています。
人間も動物も風や山や川もすべて同じものだと考えるネイティブの概念がここにもあります。
この概念は 日本‐ヤマトの八百万の神とも違うことがお分かりいただけると思います。
さて、ではその登場人物を見てゆきましょう。
ここでTabaldakはクリエーターで、The OWNERと呼ばれています。暗闇で何もない世界から地球や人類を作りだしたと云われています。
Gluscabiは人間とありますが、人間の形をしているだけで、人間ではありません。
それはGluscabiはTabaldakが作り出したのではなく、自分で自分を作りだした事から分かります。
だから、その点でTabaldakに近い存在です。
でも人間と同じ素材からできています。
つまり、身体は人間だけど、中身はクリエーターなのです。
他のAbenakiのストーリーにはGluscabiは山と湖を作りだしていることからも、彼が人間ではないことが分かります。
ネイティブのストーリーには実はこのGluscabiのようにクリエーターと人間・動物たちの間にいて、人間の形をしているが人間ではない存在が必ず登場します。
例えば、ホピ族に伝わるストーリーを見てみると
、
Creatorを Taiowa と呼びます。Taiowaは初めに Sotuknangという人間の形をした力を生み出し、Sotuknang を使ってTaiowaの意思を実行させます。つまり、宇宙に物質を作りだし、空気、水、風など、つまり地球を作りだします。
そして、次にSotukanagは彼を手助けしてくれるスパイダーウーマンを第1の世界に創り出します。
スパイダーウーマンには第1の世界に生命を作りださせます。そして、スパイダーウーマンはPoqanghoya とPolongawhoya というTwin(双子)を作り、地球の北極と南極に飛ばし、両極を収めるように指示する…。
ホピのストーリーは続きます。
第1の世界から始まりそこで生みだされた人々がCreatorを尊重した生き方をしないので Sotukanagはその人々からCreatorを尊重することを誓う人々だけを残し第1の世界は火で、第2の世界は氷河で、第3の世界は洪水でそれぞれ 世界を壊してゆきます。そして、辿り着いたDry landが第4の世界であり、その第4の世界のCaretaker(世話人)でGuardian(守り人)のMasaw(マーサ)が登場し、その地が今のHopiが住む場所となっています。
※ホピのこのストーリーはZuniなどの他のプエブロにも、そして、プエブロではないアサバスカン由来のDine(ナバホ)にも同じような内容が残っているとても興味深いものですが、実際の内容はこんな短さではありません。
ここでは CreatorのTaiowaは初めに存在し命を下すだけで、実際の仕事を行うのはSotuknagであり、スパイダーウーマンです。Sotuknagは人間を含む地球とクリエーターの間に存在しています。ホピだけに限らず、ネィティブの神話にはこの存在が必ずいます。
ぼくは、このGluscabiやSotuknangのような存在が、Spirit(スピリット:精霊:妖精)の化身だと思っています。そういう存在がいることを古代の人々は知っていたんだと思っています。
それはキリスト教でも出てきます。
カソリックではお祈りの際に「父と子と精霊の御名により…」と言います、いわゆるTrinity 3身一体説 ですが、父は神で子はキリストという解釈もありますが、ぼくは、父はクリエーターで子は人間、その間を取り持つ精霊がスピリットだと考えています。そして、キリストはこの精霊(Spirit)が人間の姿に化身した存在だと僕はとらえています。
さて、‟ストーリー“について、もう一つ大事な点を最後にお話しします。
それは「それがどこで作られたものなのか?」 もとても大事な要素だという点です。
このストーリーは北米大陸の東側のカナダ国境付近だと云われています。その周辺はいわゆる5大湖のエリアです。地理に詳しくない方はぜひGoogle Earthで見てください。
北米大陸の東側は押並べて水の国なんですよね。
アメリカは今でこそ世界の覇者でハイテク国家のイメージですが、この国の発展は東側の川によって発展してきたといってもよいぐらい、水が大きくこの国に影響を与えています。
これはぼくがアメリカ大陸を何度も車で横断した経験からも感じています。
だから、このストーリーで、TabaldakやGluscabiは湖や川を凝視します。次回ご紹介するストーリーなどは 世界のはじまりは水だった なんて記述もあるぐらいです。
これは、ぼくの持論ですが、場所にはある種のエネルギーがあります ― 地縛霊じゃありませんよ(笑)。
エネルギーは「時代」にもあります。
ある土地の文化は人が作るように思いがちですが、文化は場所と時代が作ります。
場所が人間を作り、人間が時代というスパイスを利用して文化を作る。
人は場所に生かされています。
Gluscabiが地球上の塵から作りだされ、地球から腰を上げたという記述は、まさにそのことを物語っているように思います。
ただ、水の国なのに水からGluscabiが作り出されたと記述せず、塵が集まって、地面から登場したと記述するのは、やはり、大地から作物が育つように、大地から生命は生まれてきたことを現したかったのか? とも思っています。
皆さんはどう感じますか?
神話 ストーリーは まだまだ幾つもあるので、連続で投稿はしませんが、続けてゆきたいと思っています!! 次回はハバスパイを頑張りたいと思っています。
お読みいただきありがとうございました
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