アメリカの歴史、ネイティブアメリカンの歴史は 興味が尽きない。

 

けれど、それ以上に アメリカ先住民の大地と共に暮らしてきた文化が僕はとても好きだ。

 

Bynton Canyon 

 

アメリカ先住民だけに限らず、大地と共に生きてきた、あるいは生きている人々には 何か共通したものを感じざるをえない。

 

その最大の共通項は 、自然に存在するあらゆるものに対する畏敬の念 -それをアニミズムと呼ぶ場合もある-、 もしくは造形物を神のように崇める(多神教を含める) ことにあるといえるだろう。それはキリスト・イスラム・ユダヤなどのいわゆる一神教とは異なる。

 

そして、もちろんそれは日本人である 私たちの中に脈々くと流れているものだ。日本にはあらゆるところに八百万の神が存在するとしているし、美しい四季折々の自然を慈しみ、愛でる習慣を持つからこそ、根底にアニミズム的要素を持つ儒教、道教や仏教思想などが習合され、日本人の思想を形作っているといっても過言ではない。

 

特に最澄・空海など日本仏教の開祖とよばれる傑物は山での厳しい修行など、その内容はまさにアニミズムの体現だし、最澄の密教はその後、神仏習合したまさに日本のアニミズムである山岳宗教に大きな影響を与えているのは周知の事実だ。

 

さらに、道元の正法眼蔵にみられる山水経などはそれだけ読んでいたら、これは仏教というより 独自の自然経 としか思えない。(事実、道元は自分は何宗でもないといっていたという。道元の滅後、曹洞宗の開祖と後に言われるようになった)

 

特に山岳宗教に関しては、(僕は信者ではないが、)僕が日本にいた時、相当調べ、学び、実践し、そこで得た内容が今の僕にもつながっている。だからこそ、現在、スピリチュアルを取り入れた地球とのつながりを伝えてゆきたいと思うに至る原因でもあるので、これもどこかで 詳しくお話ししてゆくつもりだ。山岳宗教は実は世界広しと云えども、その世界観は日本独自のものだという事を知る人は少ないだろう。 チベット密教にも似ているが、日本の山岳宗教は異なる。

 

※画像はお借りしました 役小角

 

でも、まずは、ネイティブアメリカン、アメリカ先住民の思想や考えについて、僕が見聞きしたことをしてゆきたい。

 

ネイティブアメリカンの世界- もちろん全ての種族かどうかは知らないが- では、

大きな形のないグレートスピリット (創造主という概念が最も近い) がこの世界に存在し、そのグレートスピリットが形を変えたものの一つが 大地であり、もう一つが木であり、草であり、岩や山であり、空や星であり、動物であり、ヒトである という考えが、大きな根底にある。

 

「あらゆるものは、 すべて、 グレートスピリットとつながっていて、グレートスピリットそのものなのだ」 という。 

 

つまり、大地や、草や、木や、空や、ヒトも、動物も、それらは 表に現れている 「表象」 に過ぎない、この表象がちがうだけで、そのもとは すべて同じ グレートスピリットなのだ。

 

図にすると こんな感じだ - ※フリーハンドですいません !(^^)! 

 

 

 

 

この世界観を ワンネスという表現を使いたがる場合もあるが、それは少しニュアンスが違うと思っている。 ワンネスは一神教の考えが根底にあり、神以外のすべてのものが一つになること もしくは、もともと離れたものを一つにしようとするように僕には思えるからだ。 あるいは、人類の存続を第一主義とした地球環境保護を訴える 地球は一つ という概念も同じだが、それはネイティブアメリカンの世界観とは異なる。

 

ネイティブアメリカンの世界観は、 西洋でいう神 もしくは 創造主 という概念も含め、すべてが同じなのだ。

 

だから、ネイティブアメリカンは自分や自分の子をみるように、人以外の動物、岩や山、川を見る。友人に接するように昆虫や山や空と接する。それらはすべて自分の同胞なのだ。 

 

実はこれと全く同じ感覚を 僕は日本に住んでいた頃体験している。 20代後半から7年近くほぼ毎日欠かさず 365日 とにかく 「一つの山」 に入っていた時があった。日本の雪深い地方のスキー場職員として冬は雪崩管理を含むレスキュー、夏は炭焼きやスキー場開発として山の管理やメンテナンスを行っていた。 

 

毎日、山を考え、山の恵みをもらい、山に含まれ、雪の内部を想像し、草木の息づかいを聞いていると、次第に自分と雪の境界が分からなくなる、自分と草木の違いが分からなくなる、猛吹雪の中で自分の意識が研ぎ澄まされ、視野の無いホワイトアウト状態でも自分が進むべき道がはっきりと分かる。

新緑のブナの木が力いっぱい大地からの水を吸っている音が自分の事のように感じる。山を降り、少し離れた自宅でTVを見ていても、あの斜面の雪がどう積もっているのか? あの斜面の木がどう伸びているのか? がイメージできるようになる。

山の中に自分自身の意識が埋没していた、山が自分で、自分が山だった。 

 

だから、ある意味 僕の感じる世界観は、色々なところに神が宿る日本の八百万の神とは少し違うものだった。大地の山や木を神として崇めるのではない。山や木は自分とは異なる神ではない。自分と同じ意識を持った存在が山であり、木であり、葉っぱの一つ一つ、石ころの一つ一つなのだ。 

 

さらに、山を母胎と捉え、山の中で過酷な修行をし、力を得て、生れ変る山岳宗教のような 「修行という 何かをしなければ何かを得られない」と考えるものとも実践が違っていた。

 

「何もする必要はない、そもそもが同じなのだ。」 それに気づくことだ と感じていた。

 

だから、自分と木や山が同じものだという ネイティアメリカンの世界観の方が僕にはしっくり来たのを、だいぶ後になって、アメリカでネイティブアメリカンを身近に感じるようになってから、体験したのだった。

 

そして、その世界観は、突き抜けた青空の、乾燥して砂嵐が舞う、赤い大地に立つことで、僕の中で確証となったのだ

 

さらに、ネイティブアメリカンは 他の国の人々も大事にするように Ancestor(祖先)という概念をとても大事にする。祖先が今の自分たちを生み出したからだ。でも、その大切さは我々日本人や他の国の人々が想像するものを遥かに超えるほど重要なものだ。 それは、彼らには口語はあるが、文章としての文字を持たないからだ。 

歴史は文字があり、それを後代に伝えることで、その重要さがクローズアップされるとも考えるが、一方で、文字によって史実が捻じ曲げられ、歴史が作り出される側面もある。


口語により、祖先の大切さを伝えるには、言葉に力を持たせなければならない。言葉にありったけの魂を載せなければならい。だからこそ、文字に頼らず、ヒトが話す 言葉によって、 祖先の大切さを語るのだ。

 

ヒトが語る 言葉 は文字以上の力がある。そして、それはシャーマンやメディスンマンが歌う セレモニーの歌やドラムの響きにも同じことが言える。それを、ネイティブアメリカンは知っている。それはまさに、日本の 言霊 (ことだま) に等しい。

 

Mitakuye Oyasin  

(英訳: All my relations 、 We are all related ) 

 

日本語訳だと すべては私たちと関係している、全ての私たちの親族あるいは関係するものたちへ

 

ラコタ族 に伝わる 親族や祖先を敬う言葉だ。

 

Relation は直訳すれば親族だが、僕には 宇宙をも含めた地球上に存在するあらゆるもの にしか聞こえない。

 

それは、僕が最近気がついた、地球上に存在するあらゆるものは すべて 地球から生まれている。僕たちは 地球の子供なのだ 

という考えとまったく 等しい。

 

そして、彼らが唱える言葉と 彼らが大事にしている 踊り や ドラム、セレモニー、フルートなどの実践がいかに祖先を大切にし、大地と共に存在しているか… 

 

言葉がスピリットであり、踊りやドラムや歌が スピリットそのものなのだから、祖先にも通じ、空や大地にも通じる。

ヒトが行う、あらゆる実践や行為は スピリットにつながり、その他のすべての宇宙や大地に影響を与える。

 

だから、自分が行う行為の一つ一つは自分だけのものではなく、世界に影響を与える。

 

自分が行うことは自分だけの秘密だから大丈夫! という概念はない。 すべてが繋がり、影響を与えあっている。だからこそ、個人が世界に対し 責任があるのだ。

 

世界で唯一の存在である自分は 関係する世界全てに責任と誇りを持っている。

 

ネイティブアメリカンは そう思っていた、あるいは 思っている。

 

今、僕も、そのことを 本当に心から 感じている。 

 

 

 

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