娘が小さなピアノコンクールに挑戦した。
普段は譜読みの宿題程度の練習だったが、この1ヶ月は私もついて音作りに取り組んだ。
指は回らないがわりと歌えるタイプなので、フィジカルな鍛錬を挟みつつ、表現する場面をしっかり聴かせるテクニックを伝える。
親の方が白熱し、露骨ににらみ返されたり、泣かせた日ももちろんある。
まだまだ未熟すぎる手つきが歯痒く、基礎がないことは重々承知で、先生の引き出す音楽性に合わせ折り合いのつくところを試行錯誤した。
まず演奏の正確性が重視されると聞いていたから、今の“一夜漬け”では他の出場者に太刀打ちできないことは覚悟していた。
結果としては、風向きが良くなんとか受賞することができた。
荒削りでも出場に足る健闘をしたと認めていただいたようで、嬉しかった。
ちなみにこの日、娘が誰よりも他の出場者の演奏を真剣に楽しみながら聴いていたことが私の一番の誇りだ。
必ず最前列の鍵盤側に座りたがり、ステージを見上げていた。
きっとたくさんの何かを得たことと思う。
ピアノを弾く者は、楽器の特性上、練習を重ねた自分の相棒では決して本番を迎えられない宿命だ。
ステージに据えられたピアノは案外豊かな個性があって、初めて向き合って鍵盤に触れることはまるで新しい生き物との出会いだ。
なかなかにこちらの心を読んで、挑んでくる。
あのデカくて黒光りするヤツは、練習不足で不安があれば絶対に付け込んでくる。
響かせるには、勇者の剣が必要だ。
そんな世界で完璧なコントロールを目指し鍛錬してきた小学生たちの演奏に、私はある意味我が子そっちのけで感動しきりだった。
上手い子は本当に上手い。
だけどそれだけでなく、ありありと性格が出る。
心優しい子、温厚な子、真面目な子、高学年ともなるとそういうのがはっきりと音楽から伝わり涙が出そうに。
オーケストラさながらの音楽の奥行きを、たった10本の指で再現する作業。
自分に厳しい真っ直ぐな子しか生き残れない。
クラシックのコンクールなど特に、徹底的に他人軸に合わせる訓練も避けて通れないのだ。
個性といっても、型あっての型やぶり。
それにピアノにも、筋トレや素振り、計算ドリルにあたるものがたくさんある。
いい音というのは、抜きの動きで鳴る。
基礎をしっかりやらせたいし、練習は裏切らないってそういうことなんだよね。